休養日
『いよいよ……この日が来てしまいました!龍門ルチャリブレの渡辺ジュン、東京グリーンペンギンズの正一つばめ監督……負けたら即日引退の試合です!』
どんなに強いチームでも勝率は6割台、日本一のピッチャーでもどこかで負ける。絶対に勝てる試合などないのだから、『負けたら辞める』などと軽々しく言えるはずがない。
『毎年この時期は多くの選手や監督、コーチが泣く泣くユニフォームを脱ぐことになりますが……この2人は違います。完全に己の自己満足、わがままで世間を騒がせています』
『こんななんでもない試合で一々引退や辞任を賭けていたら人が足りなくなります。何を考えているのやら』
苦言を呈する解説者がほとんどだったが、ファンは違った。ペンギンズとルチャリブレのファンは熱くなり、警察が球場の外に待機するほどだ。他球団のファンは野次馬として面白がり、自分のチームの試合以上に楽しみにしていた。
「世の中を舐め腐ったあのクソガキを追放しろ!」
「ジュン!お前が正義だ!悪魔を殺せ!」
つばめは以前にルチャリブレを罵倒し、怒りを買っている。天罰を下せとルチャリブレファンは叫んだ。
「地獄へ落ちろ!口だけ野郎の渡辺ジュン!」
「引退セレモニーの準備はできてるぜ!」
傲慢な言動のせいで敵が多いのは渡辺も同じだ。『祝・渡辺ジュン投手引退』と書かれたボードを掲げるペンギンズファンが何十人もいた。
『早くも殺伐とした空気!試合後はこんなものではすまないでしょう!』
『一番平和なのは引き分けですね。もしくは渡辺が負け投手にならない形でペンギンズが勝つ。それならつばめ監督も渡辺も辞める必要はありません』
どちらも生き残り、和解する。それが最善の結果だ。盛り上がらないとしても、喧嘩騒ぎや暴動は避けられる。
『渡辺は自分が好投すればいいだけですが、つばめ監督は選手の働き次第です。負けたら監督がいなくなる、そのことを選手たちはどう思っているでしょうか?』
『プレッシャーをかけられていい迷惑でしょう。発奮させるためにやったのだとしたら間違いなく逆効果ですよ』
重圧に潰され、練習の時点ですでに動きが悪い選手がいた。張り切りすぎて空回りしそうな選手もいる。現状ではルチャリブレが有利に見えた。
「つばめさん……」
つばめの最終戦になるかもしれない試合だ。そうならないように願いつつも、みのりは外苑球場に来ていた。一般の観客とは接触しないVIP席に座っている。
「……すいません、お隣……失礼します」
「あっ…はい、どうぞ」
みのりの隣に座ったのは若い女性だった。このVIP席は球団の関係者か身分の高い招待客しか入れない。つまり、販売されることはない席だ。
「今日は……どなたのご紹介で?」
「……渡辺ジュンです。ペンギンズの幹部の方から特別な方法で席を譲っていただいたそうで……」
金を積んで手に入れたのだろう。わざわざ他球団の幹部に接触し、VIP席の枠を裏技を使って買ったのだ。渡辺にとってこの女性は、面倒な手間や出費を重ねてでも招待したい人物ということになる。
「ペンギンズに関わる皆さんが集まる場所で私だけルチャリブレを応援することになって申し訳ありませんが……あなたは?」
「私は……家族がペンギンズの人間なので……」
オーナーの孫娘と言えば女性が萎縮するかもしれない。つばめの友人……いや、妻だとほんとうは言いたいところだが、長い説明が必要になるだろう。適当に濁して答えるのが正解だ。
「……この度はジュン君がご迷惑をおかけしました。私はジュン君と小学生の時からの知り合いなのですが……時々こうして暴走してしまうんです」
「はあ……まあ喧嘩を買った側も同罪ですから、気にすることはありません。」
つばめが渡辺を相手にしなければよかっただけの話だ。ここまで大きな騒動になったのは両者に責任がある。
「ジュン君は……昔からそうなんですよ。自分が気に入った人にはちょっかいを出すんです。きっとつばめ監督のことが好きになっちゃったんでしょうね」
「……え?いやいや、まさか……」
「つばめ監督は年上の男性に囲まれた野球界で毎日必死に戦っています。気持ちで負けないように強い言葉や厳しい態度を表に出していますが、心身への負担は計り知れません。これ以上無理をしてほしくないから、ジュン君は監督を止めようとしているのです」
つばめは無理などしていない。虚勢ではなく、心から他球団を嘲り、罵っている。それをこの女性はわかっていなかった。
「それはないでしょう。いくら照れ隠しにしても、悪口の内容が過激すぎます」
「いいえ、あれがジュン君の愛情表現です。長年そばにいた私にはわかります。だって……」
女性の様子がおかしい。みのりが顔を覗き込むと、涙を流していた。
「……だって私には、一度もそんなことをしてくれないのですから……」
みのりは何も言えなかった。それは違いますよと慰めることもできたが、彼女たちはとても長い間共にいるのだ。2人のことを何も知らない自分が口を挟むのは失礼だと考え、黙っていた。
『絶対に負けられない両チーム、スタメン発表です!』
ルチャリブレは当然ベストメンバーを組んだ。キャッチャーは専属捕手の誉を用意し、好調のバッターで中軸を固めた。ところがペンギンズは……。
8 木南
6 武雄
7 ラムセス
5 池村
4 土場
3 青山
9 岩木
2 大矢木
1 加林
『………これは………』
『1番の飯館、4番の三丸……海田に秦野もいませんね。練習には参加していましたが……』
どう見てもベストメンバーとは言えない。故障や病気で仕方なくこうなったわけでもない。
『そういえば昨日の会見でつばめ監督が、どこかでレギュラーを休ませたいと話していましたが……』
『いやいや、一気に休ませることはないでしょうよ!しかもこの大事な試合で!渡辺など眼中にないと言っているのも同然です!』
代わりに入った選手たちも、渡辺が得意ということはない。本当にただの代役だ。
「ジュンさん!あのガキ……死にたいらしいですね」
「………やりたいようにやらせてやろう。今日までの命なのだからな!」
つばめからの挑発的なメッセージに、ルチャリブレのバッテリーは激しく怒った。これが自分たちの平常心を奪うつばめの作戦だったとしてもあえて乗り、怒りの力でペンギンズ打線を圧倒すると誓った。
「……今さらだが、ほんとうにいいのか?これで」
「ああ。代走ばかりの木南、最近はスタメンを外れている青山と岩木もたまには最初から使ってやらないとな。レギュラーの休養も兼ねることができる」
二軍から上がってきた三丸と海田は好調をキープしている。ベンチスタートと完全休養の日を設けて、無理をさせずに使っていく。
「しかし今日は絶対に勝たないと……」
「そうだな。最下位相手に負け越しでは優勝どころか3位も厳しくなる。負けるわけにはいかない」
渡辺との勝負を忘れているようにすら見えた。しかし勝とうとする気はあるので、それならもうこのままでいいかとペンギンズベンチは開き直った。
今日からプロ野球開幕!こんな底辺作品を読んでいる場合じゃないぞ!




