負けたら引退
新たにプロの世界に足を踏み入れる者たちがいれば、それと同じだけ出ていく者たちがいる。8月も終わりに近づくと、球界を去る者たちのニュースが出始める。
『後楽園ビッグリーダーズの天山選手が今季限りでの引退を表明しました。今シーズンは一軍出場がなく、球団から来シーズンは構想外であることを告げられ……』
『銚子エクスプレスの増沢監督が退任することがわかりました。ファ・リーグは京都トリプルクラウンズが優勝目前ですが、エクスプレスは現在3位以内も厳しい状況で……』
人気と実績のある選手が引退するなら、ファンのために引退試合の日程を早めに発表する。低迷しているチームは、首脳陣やベテラン選手と契約を結ばないことで立て直しをアピールする。9月になればもっとこの話題が増えてくるだろう。
「戦力外通告をするのはまだ先ですよね?構想外と言っていましたが……」
「功労者には早いうちに伝えておくんだ。このチームで引退するなら華々しい引退試合とセレモニー、来年以降の仕事も与えるがどうする?とな」
引退勧告を受け入れるか、他球団で現役続行を目指すか。独立リーグや二軍だけの球団に海外など、昔よりは選択肢が増えたので、もうひと花咲かせようと退団する選手も多い。
「今年のペンギンズは引退試合は……」
「ないな。能登さんも池端も、あの成績で引退すると言ったら全力で引き留める。大事な戦力だ」
つばめが現れなければ2人揃って引退だったかもしれない。ペンギンズ一筋の2人が今から違うユニフォームを着ることはない。
「残りの連中は公式戦で引退試合をやるに値しない。どうしてもやりたければ来年のオープン戦だが……やはりないな」
すでに今年のペンギンズは戦力外のリストをほぼ固めている。つばめが早い段階で見極めを行い、整理していったので球団は仕事が楽だった。その選手たちの実績を考えれば、オープン戦であっても引退試合を行うには足りない。
「私に見向きもされず、二軍での出番もほとんどないのだから、まあほとんどの選手は察しているだろう」
「野球を続けたい選手たちが1人でも多く新天地を見つけられることを願うだけですね……」
現実は厳しい。力が落ちている、活躍できる見込みがない、欠陥があると判断されるのでクビになる。選手層の薄いペンギンズ、しかも目利きのつばめに見限られた者たちだ。大人しく球団が紹介してくれる仕事に就くのが現実的な選択になる。
「他球団は引退試合をするだろうが、遠慮はしない。わざと三振してやったり、わざとヒットを打たれたり……そのせいで負けたら最悪だ」
「その1敗で順位が変わることもありますよね」
ペンギンズは8月に上昇し、落ちてきた大阪スキュアーグリルズと並んで3位になっていた。首位に立った横浜スターヒーローズとは差があるが、大連勝と大連敗があればひっくり返る。忖度が原因で負けた試合のせいで優勝を逃したら、死んでも死にきれない。
「現役はもう無理だったと未練を断ち切ってやれば引退する選手のためにもなるだろう………ん?」
つばめはパソコンで資料を集める作業中だったが、気になるニュースが入ってきた。
「『龍門ルチャリブレの渡辺ジュン、つばめ殺しに引退を賭ける』………面白そうな記事だな」
つばめを敵視し挑発を重ねたが、池端のピッチャー返しを受けて登録抹消となってから約2ヶ月。一軍に復帰した渡辺ジュンは3連勝中だった。その間ペンギンズ相手には登板がなかったが、次の日曜日にぶつかることになった。
『正一つばめ……いつまで世間はあんなクズを持ち上げる気だ?やつは選手を取っ替え引っ替え夜のお供にしている淫売、堕落者だ。あんな汚れた女が今年のプロ野球界の顔なのだから、恥ずかしいよ』
事実無根の中傷も渡辺には朝飯前だ。どんな手を使ってでもつばめの評判を落とそうとしているのは以前と同じで、徹底していた。
『僕が求めているのは真の正しさ、真の尊さ、真の清さだ。そこに娼婦や偽善者はいらない。そう、僕の愛するプロ野球に正一つばめがいてはいけないんだ』
渡辺が好き勝手に振る舞うことを許されていても、他球団の監督を辞めさせる権限などない。しかし彼は強引に自分の理想を実現させようとした。
『勝負しようじゃないか、正一つばめ。日曜日、外苑球場での試合に僕は登板する。もし僕が勝利投手となれば……その日限りで球界を去り、二度と関わるな』
「……………」
『もちろん僕も退路を断つ。僕が敗戦投手となったその時は……龍門ルチャリブレを退団し、引退する』
まさかの発言が飛び出した。渡辺が動画を公開してから1時間も経たないうちにニュースになった。
「つばめさん。こんな人に構う必要はありません。無視しましょう」
愛する人を淫売呼ばわりされたみのりは怒りを隠さない。しかし当の本人は笑っていた。
「ふふふ……日曜が楽しみになってきたな。最下位チームとの盛り上がらない試合だと思っていたが、熱い夜になりそうだ」
「………勝負を受けるのですか?」
こうなるとつばめは何を言っても聞かない。『負けたら引退』の危険な戦いが決まった。
『ナイスゲームでしたね、監督。田富は7勝目、要所を締めた粘りのピッチングが光りました』
『早めに援護できたのがよかった。田富自身がバントを2つしっかり決めて自分を助けたな。しかし来年からド・リーグも指名打者制の導入が決まった……こんなコメントも今年までだな』
今日の試合の振り返りや来年からのルール変更も大事な話だ。しかし皆が気になっているのは明日、互いの引退を賭ける世紀の一戦だ。
『明日の試合ですが……勝負を受けたということは、勝てる戦いだと考えておられるわけですね?』
『どうだろうな。加林が投げるとはいえ、野球に絶対はない。あっさり負けることもある』
決戦の前だというのにつばめは普段通りだ。キス争奪戦の時と同じく、主役である自覚がない。
『ま、まさか監督……これだけ大騒動になっているのに、なかったことにできるなどとは思っていませんよね?』
『当たり前だ。しかし渡辺が出した条件では、決着がつかないこともある。やつが責任投手にならなければ勝負なし、つまりどちらも辞めないというつまらない結末だ』
試合はルチャリブレが勝ったが渡辺は早々に大量失点で降板、それでつばめを追放しても白い目で見られる。逆に渡辺は無失点でも救援が打たれて逆転負け、そんな展開で渡辺が引退するのもおかしい。やはり彼自身が勝敗に直結しなければならない。
『私は違う。内容に関わらず、負けたら消えると約束しよう。渡辺から10点取っても11点取られたのなら即廃業する!』
『な…なんと!自ら逃げ道を塞ぐとは……!』
『昨日は負け、今日は勝って1勝1敗……ペナントレースの終盤であんなチームに負け越すようでは話にならない。どの道責任を取る必要がある』
どこか他人事のようだったつばめがこの発言だ。完全決着は確実として、ますます注目を集める一戦となった。
『あとは……渡辺の言葉には誤りがある。この場で訂正させてもらう』
『誤り?』
『やつは「プロ野球に娼婦や偽善者はいらない」と言った。しかしペンギンズファンなら職業に貴賤はない。犯罪者や人に迷惑をかける屑でなければ、私は大歓迎だ!』
あくまでペンギンズファン限定だ。つばめの価値観は常に変わらない。
横浜DeNAベイスターズ、ファームリーグ中地区で首位独走!早くも二軍の優勝は確実です。同じく優勝が確実視される一軍の開幕は明日からです。




