ディープキス
『この回からグリルズのピッチャーは義達、先頭の海田に対し……投げた!』
様子を見るために釣り球から入ろうと、キャッチャーは高めに構えた。ところが義達の外し方が甘く、絶好のホームランボールになった。
(これを打てなきゃ……終わりだろ!)
『打った――――――っ!!』
打球の行方を見るまでもなかった。レフトスタンド中段に突き刺し、右腕が上がった。
『ペンギンズ勝ち越し!若き守護神の熱投にキャプテンが最高の形で応えました!安岡もきっと大喜びでしょう!』
「………」
その安岡は他の選手と同じように海田を祝福して出迎えた。しかし彼の狙いは締まらない形での勝ち越しだった。これでは海田のヒーローインタビューが確定だ。投打のヒーローとして、自分も呼ばれることを願うしかなかったが……。
『打った!前進守備の頭上を越えていく!』
『三遊間!ペンギンズ追加点!』
打線が爆発し、止まらない。とうとう4番の三丸に打順が回り、5番に入っていた安岡はバッティングの準備をしたが、つばめに止められた。
「監督!俺は九回も……」
「投げなくていい。もう5点差だ。九回も投げたら明日は登板できない……休め」
大差がついたせいで、安岡を続投させる理由がなくなった。これで安岡のお立ち台は消えた。
『長い長い八回裏が終了、打者11人で一挙7点の猛攻でした!16対9、大勢は決しました!』
「ヨシタツ帰れ――――――っ!」
「ヨシタツ消えろ――――――っ!!」
義達へのヤジに小澤と安岡も加わっていたという噂が広まったが、真偽は定かではない。終始接戦だった試合が最後の最後に崩れた。
『九回は市川!この点差なら問題ありません!』
疲れ果てたグリルズ打線はもう何もできない。市川が8球で仕留めた。
『今日は打のヒーローがたくさんいるのですが、代表して勝ち越しホームランの海田選手に来ていただきました!見事なバッティングでした!』
『ありがとうございます!初球から積極的にいこうとは思っていましたが、最高の結果になってくれました』
呼ばれたのは海田だけだった。お立ち台に立ったことでつばめとのキスの権利を得たが、彼は辞退した。
「いやいや……結婚したばかりだぜ、俺。やるわけないだろ」
戦いは終わった。皆があと一歩で勝利を逃し、勝者も敗者もいなかった。
「くそ……もうこんなチャンスは………」
小澤は千載一遇の機会を逸した。しかしペンギンズの選手は常につばめのそばにいるので、小澤とは違い希望がある。
「簡単に大事なものを賭けちまうんだから、この先いくらでもチャンスはあるぞ」
「キス……いや、それより先も……ぐふふ」
小澤は意気消沈して調子を落としていったが、つばめを狙うペンギンズの若手たちは炎を燃やし続ける。大阪スキュアーグリルズと東京グリーンペンギンズの明暗を大きく分ける日になった。
「……自分を賭けの商品に!?信じられません!」
家に帰ったつばめは、選手たちの異様な目つきについてみのりに聞かれ、今日起きたことを全て話した。大した話ではないと思っていたのでそうしたが、みのりにとっては大問題だった。
「選手たちがつばめさんに向けている欲望に少しも気がつかないのですか!?こんな危険なこと、もう二度とやらないでください!」
「欲望……?ふふふ、それはみのりの勘違いだ」
怒られているというのに、つばめは笑い始めた。自分が正しく、みのりが間違っていると信じて疑わない態度だ。
「彼らはいま、女なら誰でもいいと思っている。私が最初に指揮を執った試合の後に、世間の目に気をつけろと言ったせいだ」
「世間の目……?」
「夜遊びやトラブルがバレたら厄介だと脅したせいで選手寮にこもるようになり、異性に飢えてしまった。だから正一つばめでもいいやと思ってしまったのだろう。かわいそうに……」
選手たちの気持ちは全く伝わっていない。必死にアピールする彼らが気の毒になるほどだ。
「他球団の小澤選手はどうなんですか?」
「あれは稀代の女好きで、やはり女なら誰でもいいと考えている。今日の行動に関しては、私たちを混乱させる狙いが大きかったと思う」
小澤の熱い求愛すらつばめには届かない。彼で駄目なら誰がやっても無駄だろう。
「冷静に考えてみれば簡単なことだ。私と本気でキスしたいと思う人間なんかプロ野球選手はもちろん、この世に1人もいない。私は捻くれていて、魅力がないからだ」
「………」
「だから心配はいらない。今後もタイミングを見計らい、効果的だと判断したら同じことを……」
どこまでも鈍感で、極端に自己評価が低い。もはやつばめに言葉は通じないので、別の方法で教えるべきだ。みのりはゆっくりとつばめに近づいた。
「………!?」
「………!!」
あっという間に唇を奪ったみのりは、舌を伸ばしてつばめの口内に侵入した。そして互いの舌を絡ませる。
「………」
「………ぷはっ!」
みのりがつばめを解放すると、2人の唇は細い糸で繋がっていた。つばめは何が起きたのかよくわからずにいたが、みのりの表情は真剣そのものだった。
「……これでわかりましたか?この世に1人もいないなんてことはありません。少なくともここに1人、私がいるのですから」
「あ……ああ」
「もう二度と変な賭けはしないでくださいね」
強い口調で言い聞かせ、みのりは部屋を出た。
(ふむ……みのりはいいやつだ。自分を卑下する私を力づけるためにここまでしてくれるとは……)
熱い口づけをしてもつばめは変わらなかった。みのりの大胆な行動も、友情による励ましと受け取った。
(いつかふさわしい相手が見つかればいいが……大企業の孫娘なんだ、私が気にする必要はないか)
「わ……私はなんということを………!」
みのりは1人で悶えていた。床に倒れ、身体をくねくねしている。少し時間が経ち、自分のしたことを思い出して頭を抱えていた。
(他の誰よりも私が欲望の塊だったとは……!)
しばらくはつばめの顔をまともに見れないと思ったが、そのつばめが全く動じていなかったのでみのりもすぐに冷静になれた。ところが、『これなら定期的にディープキスができるのでは』と考えてしまい、再び己の欲の深さを知って自己嫌悪に陥るのだった。
『ショートゴロ!一塁ヘッドスライディング、アウト!試合終了っ!頂点に立ったのは……』
8月下旬、今年も全国から一流の高校生たちが集まり、熱い戦いを繰り広げた。つばめと同い年の高校3年生の選手たちが最後の夏を駆け抜けた。
「あいつは単独じゃ獲れませんよ。もう何球団も1位指名を決めているそうです」
「あの選手、育成ならいいかもな。身体が仕上がれば面白くなりそうだ」
スカウトたちが目をつけた選手を売り込む。ペンギンズは毎年のように即戦力ピッチャーをドラフト上位で獲得していたが、今年は加林を筆頭に若い先発がいる。素材型の高校生や野手に手を出す余裕があった。
「監督のおかげで投手も野手も若い選手がたくさん活躍しています。今年のドラフトは一発狙いの賭けに出ることもできそうですが……」
「そうだな。九州の高校にパワーヒッターのキャッチャーがいたはずだ……県大会で姿を消したが、彼を1位指名するべきだ」
もしつばめが来年も続投するなら、ドラフト会議に参加することになる。
「キャッチャーですか。大矢木がいれば5年は安泰でしょう。名村もいますし、いざとなれば山内や秦野も……」
「あの打力でキャッチャーはもったいない。打撃に専念させたい……すぐにサードかファーストにコンバートして、大砲として育てたい。うまくいけばチームの……日本球界の歴史が変わるだろう」
つばめが見つけた『超大物候補』。GMの大川や編成部のメンバーたちは、徹底的な調査を始めた。
ヤクルト強いね!すごいね!3連勝おめでとう!
DeNA弱いね!情けないね!貧弱だね!練習足りてないね!雑魚だね!間抜けだね!塵芥だね!ただの汚物だね!セ・リーグの排泄物だね!鼻くそだね!無価値な負け犬だね!AI(笑)だね!屑だね!やる気ないね!相川もおかしいね!映す価値ないね!ファックだね!
まあ最後にはDeNAが優勝しているでしょうから、ネガティブモードを楽しめるのも今だけです。




