自動補完
「なるほどね。〈トランス〉の方は?」
僕はもう1個のアプリのことをケット・Dに聞いてみる。
「そっちは知らん」
ケット・Dはそう言うと、安峰さんの腕の中を離れて地面に着地した。
「あなたにもわからないの?」
芭蕉先輩が中三川さんに尋ねる。
「それがね、私の〈アンロック〉はアプリのロックを解除できるだけで、どんなアプリなのかとかはわかんないんだよね。でも、アプリを開けるようにはなったはずだから、あれこれ試してみるのもいいかもね」
「そういうものなのね」
「でも、その前に――」
「まさか! またやるんですか!?」
僕の突っ込みを無視して、中三川さんは寸劇を始めた。
「それでは早速、今回の挑戦者をお招きしましょう。芭蕉弦音さんです!」
「――何?」
「クイズ百万長者!」
中三川さんと新宅さんがパチパチと拍手をする。
今回はなぜか安峰さんも拍手しているので、僕も拍手に加わっておいた。
「芭蕉弦音さん。あなたの人生を変えるかもしれないクイズ百万長者へ、ようこそおいで下さいました」
「どういうことなの?」
「それでは問題です。あなたがインストールした〈トランスポート〉は――どんなアプリ?」
「私が聞いているの」
「ライフラインは3つ残っています。使いますか?」
「使えるなら使うけれど、何があるの?」
「――〈オラクル〉」
「どういうライフラインなの?」
「美呼さんがアプリ〈オラクル〉を使いますので、その後に『ヘイ、モノシリ』と呼びかけてください。音声対話型AIモノシリが起動しますので、モノシリに何か質問をしてください。モノシリが全知全能の神に問い合わせて質問に対する回答を教えてくれます。ただし、質問は芭蕉弦音さんご自身に関する質問でなくてはならず、イエスまたはノーで回答できる質問でなくてはなりません。また、1回の〈オラクル〉の使用につき、質問ができるのは1回だけです」
中三川さんがカンペを読みながら説明する。
「なるほど。他には何があるの?」
「――〈オラクル〉」
「他にはないの?」
「――〈オラクル〉」
「ないのね」
「――〈オラクル〉を使いますか?」
「そうね」
「それでは、美呼さん。〈オラクル〉をお願いします」
「わかりました」
新宅さんがスマホを芭蕉先輩に向ける。
「降りたまえ」
新宅さんはシャッターを切り、憑依状態に遷移した。
「音声対話型AIを起動しています。しばらくお待ちください――」
新宅さんの両目がくるくる回る。
「お待たせしました。芭蕉弦音さん、何か質問をどうぞ」
ロボットのようなぎこちのない挙措で、新宅さんが芭蕉先輩に手のひらを向ける。
その時、僕はふと思いついたことがあって「もしかして――」と小さく呟いていた。
僕の呟きを拾って、芭蕉先輩が僕に顔を向けて言う。
「何かわかったの?」
「あ! それだめ!」
僕が口を開こうとした時、中三川さんが叫んだ。
理由はすぐにわかった。
「質問を受領しました。全知全能の神に質問に対する回答を要求しています――」
また新宅さんの両目がくるくる回る。
「回答を受領しました。今の質問に対する全知全能の神の回答は――偽です。芭蕉弦音さん。あなたは何もわかっていません」
新宅さんの憑依が解ける。
「――とまあ、こんな感じで、モノシリに呼びかけた後だと、対象者が口に出した質問は何でも受領されちゃうんだよね。しかも、日本語は主語を省略できるけど、都合のいいように自動補完されちゃうの。今の質問なんて、主語はどう考えても時枝君なのに」
「つまり、せっかくのライフラインを無駄にしてしまったのね――」
芭蕉先輩が申し訳なさそうに目を伏せる。
「僕のせいですね。すみません。でも、〈オラクル〉のクォータは2残ってますし、僕が〈ロールバック〉を3回使えるので、それも含めればあと8回チャンスがあるので安心してください」
「それズルくないかな? 百万長者がバンバン出ちゃうじゃん」
「賞金あったんですか? 僕、前回もらってないんですけど――」
「元の世界で時枝君に会ったらあげるよ。100万円」
「それって、100円玉くれるやつですよね?」
「そんなことより、彩輝君」
芭蕉先輩が話を元に戻す。
「さっきは、何が『もしかして』だったの?」
「いえ、たいしたことじゃないんですけど、新宅さんの様子を見て思ったんです」
僕が言うと、新宅さんがきょとんとして首を傾げる。
「〈オラクル〉を使った後って、新宅さんはさっきみたいな憑依状態になっちゃうんです。ちなみに憑依って英語にすると何ですか?」
「Possession」
「あ、トランスじゃないんですか?」
「よく似た概念だとは思うけれど、 Possession は何かに憑かれている状態、Trance は意識が変化している状態かな。さっきの新宅さんの状態なら Trance でも間違いじゃないと思う。でも、例えば病魔みたいなのが本当にいたとして、それに取り憑かれて寝込んでいるとしたら Possession の状態とは言えても Trance の状態とは言えないかな。反対に催眠術みたいなのがヤラセじゃなかったとして、それにかかって惚けているとしたら Trance の状態とは言えても Possession の状態とは言えないと思う」
「なるほど――」
病魔ではないけれど、スルーア・Dに憑依された時、斜木の意識はちゃんと残っていた。
あれは憑依ではあってもトランスではない例だと言えそうだ。
「でも、それがどうかしたの?」
「〈トランス〉でも〈オラクル〉と同じような状態になれるんじゃないかと思ったんです。試しに〈トランス〉を開くとどんな画面が出ますか?」
「ちょっと待ってね」
芭蕉先輩が〈Trance〉を開く。
画面の中央にタイマーが表示された。
タイマーは00:16に設定されている。
その下には実行ボタン。
「クロック系のアプリみたいですね。タイマーは16秒ですかね?」
「16秒間――憑依状態になるの?」
「実際のところは使ってみないとわかりません。ただ、憑依状態になれるとしたら、少なくともメリットが1つあるんです。クー・Dに聞いた話だと――さっき言った犬のデーモンですけど、憑依状態になると休止状態に遷移できなくなるみたいです。つまり、安峰さんに〈スリープ〉を使われても眠くならないはず。多分、他の状態異常にもならないかもしれません」
僕はそう言った後、「実際、どうなの?」とケット・Dの方を振り返った。
「その通りだ。憑依状態は終了以外のあらゆる状態異常を無効化する」
そう答えてくれたのは、ケット・Dじゃなかった。
「クー・D!」
噂をすれば影とはこのことだ。
「なんで? 管轄は?」
「吾輩が許可したのだ。クー・Dに頭を下げられてはな」
「頭は下げていない。吾輩の配下がノードE18のネストに潜るならどうしても参加したいと言うから、本人に直接交渉させたのだ」
どうやらクー・Dは配下を連れてきたらしい。
ちょうど2人の男がやってきた。
1人は年齢は30歳くらい。
精悍な顔立ちで、髪はツーブロック。
光沢のあるスーツを着込んでいて、足には先の尖った革靴を履いている。
ちょっと苦手なタイプかもしれない。
もう1人は長身眼鏡。
こいつのことは知っている。
斜木だった。
2025/02/01:スタビライズの効果を変更(ep.42参照)




