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フードホール

1週間ぶりにケット・Dから着信があったのは、放課後、築地ニュータウンのフードホールでコーヒーを飲んでいる時だった。

2人掛けのテーブルの向かいには安峰さん。最近、ちょっと仲がいいのだ。

といっても、今日は別に放課後デートとかじゃないけど。

安峰さんはこの後、友達とカラオケに行くらしくて、その前の時間潰しに誘われたのだ。


「ケット・Dからだ」


安峰さんにそう伝えてから、僕は通話を受けた。

周りに人がいるので、今回はスピーカーモードにするのはやめておく。

僕たちには守秘義務があるのだ。


「よう、彩輝。今、大丈夫か? なんか騒がしいけど――」

「大丈夫だよ。外にいるだけ。安峰さんも一緒だよ」

「ワームホール出現の兆候が見られた。出現予定地点はノードE18付近だ」

「E18って――築地市場駅?」


今まで気にも留めていなかった学校の最寄り駅の駅番号だけど、基底世界と行き来するようになったせいで覚えてしまっていた。


「そうだ。次の時刻同期は18:00だが、そのタイミングで基底世界に来られるか?」

「18:00ね。学校の保健室からでいいのかな?」


さすがに、まだ校舎に入れる時間のはずだ。


「いいんじゃないか?」

「それなら、まだ学校の近くだから余裕で間に合うと思う。でも、試験期間中と違って部活動で残っている生徒も多いけど――。誰かに観測される心配ってないの? こっちに戻れなくなるんだよね?」

「まあ、可能性はあるな。ただ、観測が発生しそうな場合、吾輩には事前にわかるから安心しろ。最初に基底世界に転移した時にだって、ちゃんと教えただろう?」

「――そうだっけ?」

「忘れたのか? 時間は大丈夫なのかって聞いたじゃないか」

「ああ、あの時?」


そういえば、基底世界から戻った直後に、担任教師が保健室にやってきたんだったっけ。

あの時、もしも時刻同期のタイミングを逃してしまって、担任教師に誰もいない保健室を観測されていたら、僕たちは基底世界から戻れなくなっていたわけだ。


「思い出したか?」

「思い出したけど、5分前に教えられても――」

「いや、転移前にわかるんだよ。この前は教えるのを忘れただけだ」

「僕のアパートから転移した時も教えてもらえなかったような――」

「あの時は24時間以上あったからな。彩輝。さては貴様、1人暮らしだな?」

「そうだけど――」

「生意気に。まあ、学校の保健室から転移する場合には、窓のカーテンは閉めた方がいいだろうな。観測が発生する確率を下げることができるし、その方がエコなんだ」

「観測されにくくなるのはわかるけど、なんでエコ?」

「カーテンが閉まっていれば、部屋の中のオブジェクトのレンダリングを省略できる。世界の貴重なリソースを無駄に消費せずに済むじゃないか」

「どういうこと?」

「目の前に宝箱があったとしても、宝箱を開けるまでは中身は空っぽでも問題ないってことさ。だって、誰も観測していない空間をミリ秒単位で再描画するなんて、どう考えても無駄じゃないか。誰かが観測する直前に最新の状態を描画する方がいい」

「それって、現実世界の話をしているの?」

「貴様らは2037年を生きているのか。それなら、知らなくても当然だな。でも、ちゃんとした物理現象だから」

「あんまり納得がいかないけど。とりあえずカーテンは閉めておくね」

「そうしてくれ。あと電気も消しておくといいぞ。そうすれば、明日まで観測は発生しない。また時刻同期の5分前に連絡すればいいか?」

「うん。遅れることはないと思うけど、念のためお願い」

「了解した。それじゃあ、またな」

「またね」


僕は通話を切って、スマホをテーブルの上に置いた。


「聞いていた感じ、今から学校の保健室に行けばいいわけ?」

「うん。でも、まだ時間があるから、飲み終わってからで――って、それ僕のじゃん」


僕は安峰さんから飲みかけのコーヒーを取り返した。


「いや、長電話してるから。冷めちゃうと思ってさ」

「なくなっちゃうよりマシでしょうが」


どうやら、僕がスピーカーモードにしなかった当てつけみたいだ。

守秘義務があるからなのに。

安峰さんがケット・Dに消されちゃわないか心配だよ。


僕はそんなことを考えながら、コーヒーカップに唇を当てた。


あれ? これって間接キスじゃないか――なんて思ったりもしたけれど、僕はすでに安峰さんとは直接キスをしちゃったから、もうそのくらいでは動じないのだ。


でも、吊り橋効果って怖いね。

斜木から安峰さんを守り抜いたテンションであんなことをしてしまったけれど、後から訴えられなくてよかった。

もう2037年なんだから、よほどのイケメンでもない限り、キスをする前にはちゃんと同意を取らないとね。


セクハラ、ダメ。ゼッタイ。


そんなことを考えながら、ちょろっと僕が様子を窺うと、安峰さんは右手でスマホをいじっていた。

カラオケのドタキャンをしているのかもしれない。


いや、待てよ――。


突然、僕の脳裏に直前の映像が鮮烈に浮かび上がった。

どうやら僕の頭は、先日、斜木を叩き起こすアイディアを思いついた時のように冴えわたっているらしい。


安峰さんは左手にコーヒーを持って飲んでいたはずだ。

それを僕は右手で取り返してそのまま飲んでいるわけで、実は間接キスにはなっていないじゃないか。

180度ずれてしまっている。


僕はコーヒーカップをさり気なく左手に持ち替えた。

2024/12/14:誤記の修正

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