ロールバック
安峰さんが僕の肩にもたれている。
膝にはケット・D。
「2人とも起きて」
「あ、ごめん」
安峰さんが僕に謝ってくる。
「ノード間の移動は休止状態で行われる。謝る必要なんてない」
ケット・Dが安峰さんに言った。
やっぱり、そういう仕様だったのか。
「そうじゃなくて。よだれ垂れちゃった」
安峰さんが僕のブレザーの袖を拭く。
「ええ――?」
銀座線の改札を出て、僕たちは大江戸線の改札に向かう。
コインロッカーの前で通路を右に曲がろうとした時、斜木が床に座り込んでいた。
スマホをいじって暇を潰しているようだった。
桐崎の姿はない。
また自動販売機の方まで水でも買いに行っているのだろうか。
「斜木君」
僕が声をかけると斜木が顔を上げた。
「――ああ。お前らか」
どうしたんだろう?
眼鏡の奥の瞳にどことなく光がないような――。
「お疲れ。桐崎君は?」
「――死んだ」
「え?」
僕は思わず大きな声を出していた。
ケット・Dと安峰さんも驚く。
「マジか?」
「なんで?」
斜木が左手を制服のズボンのポケットに突っ込んで、もう1台のスマホを掴み出した。
「俺が殺してしまったんだ。この手で――」
そのスマホを斜木は握りしめる。
「事故だったんだ。バグを殺そうとして誤って桐崎を殺してしまった。このスマホはもう起動しないらしい。2度とな――」
顔はもう僕たちの方を向いていないから、今、斜木がどんな表情をしているのかわからない。
重苦しい沈黙の後、安峰さんが口を開いた。
「あのさ、なんて言えばいいのかわからないけれど――」
斜木を気遣うつもりだったのだろうか。
安峰さんがそう言いかけた時、斜木が声を張り上げて怒鳴った。
「それなら、何も言うな!」
誰もいない駅の中で、斜木の怒鳴り声はやけに大きく響いた。
安峰さんの顔が強張る。
斜木が深く息を吐いた。
「――すまないが、少しひとりにしてくれないか。八は、俺の親友だったんだ」
「わかった。行こう、安峰さん」
安峰さんを促して、僕たちはその場を離れた。
通路を歩きながら、安峰さんが「――ねえ」と言った。
「時枝のアプリなら何とかできるんじゃない?」
「うん。僕も試してみようと思っている。ただ、どうなるかわからないから、斜木君に期待させるようなことを言いたくなかったんだ」
大江戸線の改札まで歩くと、クー・Dが待っていた。
「帰ってきたか。どうだった?」
「首尾は上々といったところだな」
クー・Dの問いにケット・Dはそんなふうに答えた。
「もったいぶるな。何のアプリだった?」
「〈ロールバック〉――時間を巻き戻せるアプリだ」
「本当なのか――?」
「ああ。〈オラクル〉で確認したから間違いない」
「機能も確認したのか?」
「いや、まだこれからだ」
ケット・Dがそう答えると、クー・Dは僕の方を向いた。
「時枝と言ったな。試しに〈ロールバック〉を使ってみてくれないか? こちらではちょっと問題が起きたんだ」
「桐崎君のことだよね?」
「そうだ。斜木から聞いたのか?」
「うん」
「そうか。このままでは斜木も使い物にならなくなる。吾輩としては配下を2人同時に失うのはさすがに痛い」
「今から使ってみるよ」
「感謝する」
クー・Dが犬の頭を僕に下げた。
ふいにケット・Dのスマホから「猫踏んじゃった」の着信音が流れた。
「くそ、呼び出しか。吾輩は行かねばならん。吾輩もアプリを使うところを見たかったのに――」
「残念だったな。吾輩が代わりに見届けてやる」
クー・Dが笑う。
「――あれ? でも、これから時間が巻き戻るのなら、別にすっぽかしても問題ないじゃないか」
そう言って、ケット・Dは着信音をミュートにしてしまう。
「だから、なぜ貴様はいつもそう適当なのだ」
「貴様が真面目すぎるのだ。さあ、彩輝。気になるから〈ロールバック〉を使ってみてくれ」
「わかった。使ってみるね」
僕はホーム画面から〈ロールバック〉を開いた。
ブルースクリーンの中央に表示されている時刻は14:55。
でも、どこまで巻き戻るんだろう?
ひょっとしたら、3年前のあの日に戻れるなんてこともあるんだろうか。
そうか。
〈SOS〉の固有アプリは、ユーザーの特徴が反映されるんだった。
だから、僕はこんなアプリを入手できたのかもしれない。
家族4人で暮らした団地。
僕が開けてしまったドア。
もしも、あの日に戻ることができたら、僕は絶対に間違えたりしない――。
「押すよ」
僕は自分に言い聞かせるつもりでそう言った後、実行ボタンをタップした。
なぜか僕の瞼が重くなる。
表示されている時刻が巻き戻っていく――。




