34 成長の結果
――なんだか、懐かしい……。
もう失くしてしまった人生の一部を夢に見た。自分があんなに充実した日々を送っていたなんて信じられない。毎日忙しくて、辛くて、でも、楽しかった。
今だから言える。よく頑張った。そして、もっと頑張りたかった。
微睡みの中で涙をこらえていると、不意に冷たい感触が頬に触れた。
「もう、何……?」
もう少し感傷に浸っていたかったのに、と渋々目を開けると、オレンジ色の猫の顔がにっこりと笑った。頬に当たっていたのは肉球のようだ。爪の一本一本までくっきり見える距離にいる。
「っ!?」
「おはようございますにゃ。そして、おめでとうございますにゃー。スティにゃんは十七番、“星”の神の雛になりましたにゃん!」
よ、めでたいにゃ、と拍手をするニャピ。
スティナは思わず飛び起き、周囲を見渡す。
見覚えがある。スティナに貸し与えられているライグラの屋敷の一室だった。他の者の姿はない。
「と、とりあえず、ありがとう……?」
眠る前の出来事を思い出す。十五、六歳まで成長した自分の姿を改めて確認し、そして、体の隅々まで力がみなぎっていることに気づく。
今までの肉体とはまるで違う。これが、神に近づくということだろう。窮屈な卵の殻を破り、孵化した今、指先一つでなんだってできるような万能感があった。
――これは、気をつけないとね……。
人間とは明らかに性能が違う体に釣られて、心が驕り高ぶってしまいそうだ。
「あ、そうだ。ニャピちゃんに聞きたいことがあったんだ。確か雛になったら十七歳まで成長するかどうかは選べるはずだったよね?」
成長したことに不満はないが、この年齢を選んだ覚えがない。
「にゃー、スティにゃんは無意識のうちに願っていたはずですにゃ。もっと大きくなりたい、大人になりたいと」
「うん、まぁ、子どもの姿でいるつもりはなかったけど……でも、ちょっと中途半端な気がする」
「それもまた、無意識に十七歳になることを躊躇う気持ちがあったんじゃないでしょうかにゃ。前世のこの年齢のときにやり残したことがあったとか、初心に帰りたいとか」
あるいは、とニャピはそっとスティナに耳打ちした。
「彼に甘えるために年下のままがいい、とか。乙女の打算ですにゃー」
「え!?」
その打算には身に覚えがない。だが、「彼」と言われて思い浮かんだ顔に激しく動揺した。
「スティにゃんのおかげで空座が一つ埋まったとはいえ、まだ雛の数が足りませんにゃ。しばらくは自由にお過ごしくださいにゃ。“神選びの遊戯”の本番はこれからですにゃ。ここでどう行動するかは結構重要だと思いますにゃー」
スティナの耳にはニャピの言葉はほとんど入ってこなかった。
あわあわと混乱している間にニャピは可愛いポーズをとった。このパターンは知っている。
「ではでは、また! ドロンですにゃん!」
呼び止める間もなかった。他の参加者の情報や本選のこと、神衣についてなど聞きたいことは山ほどあったのに。
スティナは力なく項垂れた。
「がっかりだよ、スティナちゃんには」
ヴィクターから向けられる軽蔑の視線に、スティナは何とも言えない気持ちになった。再びアイドルを志そうとしているスティナとしては、見る者の要望に応えられないのは辛い。
しかし――。
「成長しないでって言ったのに! せめて日に日に幼さの殻を脱いで大人になっていくのなら寂寥や惜別で切なくなれるのに、いきなりこんなに大きくなって……なんの情緒もない! 戻してっ!」
老化だ、年増だ、と顔を覆って泣き真似を始めるヴィクターに対し、あっという間に申し訳ない気持ちは擦り切れ、軽蔑の眼差しを返すに至った。
襲撃の夜から三日。
神の雛に目覚めた影響か、あの夜からスティナは眠り続けていたようだ。動けるようなら着替えて昼食を取りに行きましょう、とミントに言われ、屋敷の食堂でヴィクターから開口一番に恨み言をぶつけられたのだった。
――この人……あえて空気を読んでないのかな。
ようやく神の雛として孵化できたのは良かったが、スティナは素直に喜べなかった。ドムドウッドの町の被害や、“禍身”となった少女のことを思うとやるせない気持ちになる。
そんなスティナの思考を逸らすために、ヴィクターはわーわーと喚いているのかもしれない。だとしたら感謝をしなければ、と思いかけ、
「あー、一気にやる気なくなっちゃったな……」
と舌打ちされてその気も失せた。ヴィクターは純粋に幼女のスティナを惜しんでいるだけだ。
こんなに正面切って異性からダメ出しされる機会はなかなかない。むっとしつつも凹んでしまう。たった五、六歳成長しただけでこうも責められるとは思わなかった。
「絶対前の方が可愛かったよー。ねぇ、アサギくんもそう思うよね?」
ヴィクターがアサギに話を振る。スティナの心臓はどきりと跳ねた。同じ空間で顔を合わせていながら、アサギは先ほどから一度も口を開いていなかった。
なんとなく、気まずい。
聞きたいこと、話したいことがたくさんあるのに、どれから口にすればいいのか分からない。ニャピとの会話のせいもあるし、最後に見た彼の表情が蘇り、居た堪れない気持ちになるのだ。嫌われてしまっていないかと不安だった。
アサギはおもむろにスティナの正面に立つと、じっと見つめてきた。
「あ、あの、アサギくん……?」
そして、少し屈んでふわりと微笑む。
「俺は、スティナが成長してくれて嬉しい……と思う。目線が近くなった」
絶句。
心臓が健康に悪そうな音を立て始める。
――確かに目線は近くなったよね……っ。そのせいで威力が上がってる……!
やはり子どもの体に助けられていた部分は大きかった。十歳の体に戻りたい。
――でも、アサギくんに年下として甘えたいなんて……それも嫌かも。
複雑。言葉では言い表せない感情がスティナの胸に去来する。
これでアサギも照れてくれるなら救われるが、嬉しいと言っている割にいつも通りの対応なので、自分だけが恥ずかしい。成長してもちっとも意識されないなんて……。
「改めておめでとう。俺がいない間、随分と頑張ったんだな。スティナが神の雛になってくれて一安心だ」
裏表を感じさせない言葉にスティナはほっと息を吐いた。
――良かった……。
気まずさも消えた。アサギは通常運転だ。
「ありがとう。みんなのおかげだよ。特にアサギくんには何度も助けてもらったし……これから恩返しするからね!」
自然とスティナの頬が緩む。
本当は身長のことなどではなく、綺麗になったとか、大人っぽくなったとか、そういうコメントが欲しかったのだが、アサギに容姿を誉められても恥ずかしいだけなのでこれでいい。
「ヴィクターさんも、いろいろと助けてくれたと聞きました。ありがとうございました」
芽生えかけた禍根を水に流し、スティナはヴィクターに心から礼を言った。
「いや、僕は賑やかしに参加しただけだよ。お礼を言われる筋合いはない。……うんうん、僕の好みの対象からは外れちゃったけど、スティナちゃんは本当に良い子だね。これからきっと長い付き合いになるし、よろしくね」
一言余計だったが、スティナは頷きを返した。
そして気づく。成長してヴィクターの幼女趣味の対象から外れたことは、むしろ喜ぶべきことである、と。友達として付き合う分にはきっと悪い人ではない。
「これが、この世界の命運を決める神々ですか……」
ミントのこぼした呟きに対し、スティナは慌てて姿勢を正した。
昼食を終えて一息つくと、ダスクも合流して情報の整理を行うことになった。
スティナが眠っている間、ダスクは町の復興のためライグラと奔走していたようだ。ザミーノは今も大工仕事を手伝っている。
改めて被害状況を聞き、スティナは目を伏せた。
死者は二十人強。住む場所を失った者も大勢いる。町の経済にも大きなダメージがあり、今後生活に困窮する者も多いだろう。
――わたしが、あの人の恨みを買っていたから……。
ドムドウッドの町は神の卵同士のいざこざに巻き込まれただけ。自分が派手に活動して、あの少女に目をつけられたことで、今回の事件は起こった。
もっとうまく立ち回れていれば、もっと強い神技を行使できれば、あるいは……。
「落ち込むな、と言っても無理だろうが、これだけは言っておく。今回の件、スティナは何一つ悪くない」
「そうです。ドムドウッドの町を巻き込んだのは、禍身と化したあの少女の悪意です」
ダスクとミントの言葉は嬉しかったが、スティナは素直に頷けなかった。
「いやいや、本当にスティナちゃんは悪くないんだよ。今回この町に魔物をけしかけた神の卵は、利用されていたんだ。“死神”の雛にね」
「あのヒト……ピリオドさんって名乗ってました。ご存じなんですか?」
ヴィクターは曖昧に笑った。
「僕は本当の姿に会ったことはないし、死体の傀儡に遭遇したこともない。でも噂は知っている。“死神”の雛は型破りで随分クセがあるらしいってね。“正義”の雛が敵視しているって話だし、まぁ、ろくでもない奴なのは今回の件ではっきりと分かったよ」
神の卵を“禍身”に堕とし、町で暴れさせた。ヒトの感情を無視した非道なことを笑いながら行う姿を思い出し、スティナは身震いした。
「一体何が目的なんだろう……」
「いろいろと推測はできる。例えば、今後の“神選びの遊戯”を自分優位に進めるため、他の雛を選別しているのかもしれない」
アサギは言う。
自分に協力的な者を雛にして、自分と対立しそう、もしくは厄介な神技を持つ者が雛にならないように妨害する。
実際、“死神”の他にも遊戯に干渉している雛もいる。アサギもスティナに協力し、自分と対立しない者を雛にしているので、当然と言えば当然の行為なのかもしれない。
――でも、あんなやり方……やっぱりひどいよ。
ピリオドのやり方はあまりにも残虐だった。受け入れることができない。
よく知りもしない者相手にここまで強烈な嫌悪を抱くのは初めてのことで、スティナは戸惑っていた。絶対に相いれないモノが存在すると実感した。
神の雛に選ばれるのはおそらく二十二名だけ。そのうち、もしかしたらもう何人かは“死神”の仲間が埋めているかもしれない。恐ろしいことだ。
「実際、ドムドウッドが破壊されたのも、“死神”の狙いなんだと思うよ。ねぇ、ダスクさんだっけ。この町の聖堂、崩れちゃったんだよね?」
ダスクが難しい顔で頷いた。
「ああ、鳥の魔物の攻撃が直撃していたらしく、トーンツァルト様の像も壊れてしまった。住民たちの落ち込みようは凄まじいものだ」
スティナはその事実に目を瞬かせた。参加表明をした思い出の場所がなくなってしまった。そうだ、この世界の旧最高神トーンツァルトの像に祈りを捧げることが、遊戯への参加表明だった。
「えっと、像を壊すためにドムドウッドを狙ったってことですか?」
「多分ね。参加者を減らしたかったのか、あるいは、旧神への信仰をめちゃくちゃにするのが目的かな? なんにせよ、挑発的だよねぇ。そういうわけで、この町を巻き込んだのは本当にスティナちゃんのせいじゃないよ」
それが分かってもスティナの心は晴れない。
ピリオドが何を考え、何を目的にしているのか。はっきりしない。
「待て。やけに断定的に言うが、なぜそれが分かる。像が壊れたのは偶然という線もまだあるではないか」
ダスクの問いにアサギとヴィクターが視線を交わし、頷いた。
「俺たちは、遊戯に干渉する組織の拠点を調べに行った。残念ながら、その拠点にはほとんど情報が残っていなかった。俺たちの動きを察知したのか、別の場所に拠点を移した後だったみたいだ」
「でも、残っている人がいてね……いろいろと教えてもらえたんだよ。最高神の像の場所を襲撃する計画についてとか、ね」
元々二人が調査に向かったのは、地母神ユンルアーラが“禍身”化していることについて、その組織が関わっていそうだったからだ。つまり。
「どうやらその組織のトップが“死神”らしい……奴の下にユンルアーラがいるとしたら、あまり良い予感はしないな」
なかなか更新できなくてすみません。
また少しずつ書いていきますので、よろしくお願いします。




