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赤執事 ~Scarlet's Butler~  作者: 鬼姫
【朱執事】近朱必赤編
42/65

Ep.42 近森霖之助

 ああ、もう人里ともしばらくはお別れだ。

 今までお世話になった人々への挨拶も教師としての役目も終えてきた。びっくりかわいい小傘とも堅苦しくも優しい上白沢さんとも、短くも長い付き合いだった。

 もう会えないというわけではないが、人間という身からして、紅魔館に囲われている立場として、気軽には会えないのは確実である。だから、何だか小学校を卒業していくときのような、大した変化はないのだけれどどことなく物悲しい気分というものになった。



 さて、今現在は教師兼相談役としての役目を終えて、八雲藍の登場を寺子屋の教室にて待っている。俺のとなりには、いつものように上白沢さんもいる。


「お待たせして申し訳ございません。博麗大結界の修復をしていたもので。」


 そういってはいってきたのは、普段着ている中華風の服とは違い、俺の世界でも見覚えのあるモダンな格好だった。無駄に本数のある尻尾と金色の毛並みの耳は余計だが、着ている本人がモデル以上に美人であるため、外で出会えば誰でも釘付けになる気がする。・・・ぞっとするような気配を除けば。


「さて、今日は何をするのでしょうか、藍さん。」


 八雲藍は手を腰にあてる。

 普段は大仰な服装であるため気づかなかったが、時たま9本の尻尾がふよふよと小刻みに揺れている様は見ていて心地よい。


「今日はとある人物に会ってもらいます。本日はそれだけでございます。」




 相談役が長引いたせいもあってか、日が山の向こうへ隠れようとしていた。

 やって来たのは昨日と同じく魔法の森である。いや、魔法の森ではあるが、アリス邸ほど奥にある場所ではなく、ちょうど里の田畑からでも視認できるほどの入口にある"場所"だった。


「"香霖堂"・・・。」


 俺の家と同様の瓦屋根の目立つ和風の一軒家。そのドアの上にはでかでかと店名の看板が掛けられていた。


 八雲藍が一歩前に出る。


「ここは森近霖之助の経営する道具屋です。主には外から流れ着いたガラクタを売っています。」

「えらく辛辣ですね。」

「売っている本人も物の用途を知っていても"使い方"までは知らないのです。その様な物はガラクタではありませんか?それ以前に壊れてて使用不可能な物も多いので、本来ならばゴミとして廃棄すべきなのでございます。」

「ああ、まあ・・・そうですか。」


 嫌っている訳ではないが、何となく八雲藍が森近霖之助という人物を苦手としていることはわかった。


「それでは中に入ってください。」

「藍さんは一緒に来ないのですか?」

「私はしばらく外で待機していますので。」

「苦手・・・なんですか?」

「彼にはその様な感情を抱いたことはありませんが、いかんせんここは少々背けたくなる状態なので・・・―。」


 つまりは潔癖症ぎみの身からして、ほこりまみれでゴミ屋敷の香霖堂には極力入りたくないということらしい。その性格を除いたとしても、大きな尻尾のせいでそこら中のほこりをまとめてさらうことになり面倒なのは間違いない。


「君も中々に辛辣だな。」


 上白沢さんが苦笑いをする。


「そういえば、上白沢さんは彼に会ったことはあるのですか?」

「ああ、もちろんだ。彼はその昔、人里に住んでいたからな。

 それに昨日相談に来た銭谷の先輩でもあるしな。」


 つまりは、霧雨道具屋の弟子だったということだ。


 さて、会う前に、ここで彼について復唱と追記をしておこう。

 森近霖之助。

 上白沢さんと同じく人と妖怪のハーフだ。ただし彼女と違うところは、彼女が後天性のハーフであることに対して、彼は生まれつきのハーフであるということである。

 そして、彼の生業は道具屋の店主。主には外の世界の物品を仕入れて販売している。その他にもマジックアイテムや服の仕立てもできるそうだ。

 なぜこんな珍妙な場所にいるのかというのにも理由がある。それは、上白沢さんの話にもあったようにかつては霧雨道具屋に弟子入りしていたらしいのだが、何らかの理由で口論。その結果、自立という形でここを立ち上げることとなったということだ。



 俺はドアに向かう前に辺りを散策した。その家は確かにゴミ屋敷で、入りきらなかったらしい商品が外にまで陳列されている。

 その中には、今ではもう見かけない旧ポストや蔦が口にまで掛かっている信楽たぬき、そして、錆びて薄汚れた「止まれ」の道路標識までもがあった。


「売り買いできるような物ではないですね。」


 上白沢さんは苦笑いをしつつも大きく頷く。


「私でもガラクタだとは思うのだが、外の世界の君が言うのだからそうだよな。」

「幸いなのは中から臭ってこないことと、周りに民家がないことですね。」


 するとその時ガラリと新聞張りの障子が開けられた。


「それは悪かったね。一応これでも確かに売り物なんだ。ケチをつけないでくれ。」


 薄暗い窓奥から眼鏡をかけた白髪の青年がぬぅと顔を出した。


「あなたが森近霖之助さんですか?」


 彼は直ぐには答えず、俺を見て、窓からギリギリ見える上白沢さんを見た。


「なるほど、そういうことか・・・。

 まずは中に入ってきてくれ。」



 洋風の装飾がなされている扉を開けると、カランコロンとドアベルがなった。

 その先の目の前に広がる光景は藍の言っている通り、ゴミ屋敷のような風貌であることは確かだった。約30畳もあろうかという大部屋には足場のないくらい商品が敷き詰められている。

 しかしながら、俺の印象は少しばかり違うものであった。

 外の住人である俺はもちろん道具の名称、用途、使用方法は知っているため、ここにある物のほとんどすべてが使い物にならないことは理解している。ただのガラクタに過ぎないことはここを知る誰よりも知っているはずだ。

 ただそれでも、ここの物には所有者の思い出が見えるような気がした。新品にはない独特のにおい、形、汚れ、それらを引っくるめて侘しさと表現してもいいかもしれない。それに加えて、それぞれがかつて使用されていたときのプライドを、捨てられた今でも持ち続けているようだ。

 ・・・なんて言うとそれらしいのかもしれない。


 ドアを半開きにしたまま店内をジロジロと眺める俺を見て、霖之助さんは微笑んだ。


「君とはいいお茶が飲めそうだ。」


 どこを見たらそんな感想になるのやら。


「目だよ。目は口ほどに物を言うとよくいうからね。

 それに、ここに来る大体のお客さんはドアを開けたらすぐ閉めて帰ってしまうか、商品を見ることもなしで僕に話しかけるかのどちらかだ。

 君みたいに熱心なお客さんは大歓迎だよ。」

「・・・。

 もし本当にそう思ったなら医者に行くことをおすすめします。」

「あっはっはー。元気いいね。何かいいことでもあったのかい?

 生憎僕は生まれてこの方ほとんど病気にかかったことがないんだ。」


 どこかの胡散臭い中年のおっさんみたいな文句だな。


 反応に戸惑っている俺を他所に、彼は嬉しそうに両手を組んで顎を乗せる。


「あれ、おかしいね。外の本を読んだらこれが"専門家"の挨拶だと・・・。」

「確かにとある専門家の決め台詞みたいなものですが、それを日常で使うのは痛々しすぎます。そもそもあなたは専門家ではなく道具屋でしょう?」


 彼は立ち上がる。

 そして、ごちゃごちゃしたガラクタをつまずくこともなくまたいでいき、ドアの前まで来た。

 俺も身長は高い方なのだが、彼も負けず劣らずの長身である。


「僕も"専門家"だよ。

 小説の怪異の専門家の彼とは違うけれど、僕は道具に関する専門家だからね。」


 彼は大きく一呼吸ついた。


「・・・そして、幻想郷の"専門家"でもある。」

「幻想郷の専門家?」

「そうだよ。

 僕はこれでも長生きなんだ。幻想郷ができる以前を知っている。」


 そんなの妖怪なら結構な数いるはずだ。俺が会った中では、レミリア、フラン、八雲紫、八雲藍、多々良小傘、上白沢慧音、藤原妹紅、射名丸文、そして、天魔のおじいさんがその年数を生きていることは明らかである。


 口にこそ出さないが、彼の言葉への反論はまだある。

 幻想郷の詳しい年表は俺も知らないのだが、そもそもこの結界ができてから200年もたっていないはずだ。それに対して妖怪というのは、妖怪譚として古来より語られている。

 幻想郷の起源以降しか知らない妖怪の方が多いと考える方がナンセンスだ。


「なるほどね。確かにそうだ。」


 彼は含み笑いをした。

 そして、半開きのドアを大きく開いて招いた。


「とりあえず中に入ってくれ。外は寒いだろう。」




 彼は座っていた椅子の足元においていた灯油ストーブを部屋の中心に移動させた。


「改めて挨拶をしよう。僕はここ、道具屋"香霖堂"の店主、森近霖之助だ。よろしく。」


 彼は右手を差し出す。

 俺は両手で握って握手した。


「俺は冴月麟です。外の世界から来ました。」


 長い握手を終えた後、彼はよいしょと商品であるはずの木椅子に腰かけた。


「君がここに来さされた理由は藍から聞いているよ。能力の開発にはヒトに会うことが必要なんだってね。」

「ええ、まあ。」


 彼は眼鏡越しに切れ長の目を細める。


「どうしてその必要があるのか、君自身理解しているのかい?」


 正直、自分からはあまり考えたことはなかった。

 だからとりあえずは、以前聞いたようなことを思い起こしてみる。


「・・・非現実に慣れるためですかね。」

「それじゃあ何で非現実に慣れることが能力の開発になるんだい?」

「幻想を作るには幻想が当たり前だと思わないといけない・・・からですかね。」

「それじゃあ―当たり前とはなんだい?非現実とはなんだい?」

「・・・。」


 早くも三つ目で俺は言葉につまる。


 それをじっと見て、彼はゆっくりと首を横にふった。


「この話はね、能力のためなんて言う薄っぺらいミクロ的なものじゃあないんだよ。言うなら"人間論"とでも評すべきマクロ的な、特に外の世界の君にとっては重要な話なんだよ。」

「どういうことですか?」

「つまり八雲紫が理解してほしかったことは、人間として大きくなりなさいということなんだ。」


 人間として大きくなりなさい・・・?

 まるで宗教家や、もしくは母親のようなことを言うじゃあないか。


「その通りだよ。

 人間、動物、生物、物質、そして、森羅万象はそこに帰結する。結局のところ、自分は誰かになんてなれやしないし、なれたとしてもたるべきではない。

 しかしね、それじゃあ話にならない。ヒトは一人では生きていけないからね。ヒトは誰かに見られ、触れられ、話され、助けられ、影響されることで、また自らも認識できるようになる。

 だから相手を知るということは、逆に自分に対しても多くの視点を手に入れることと同義なんだ。」


 つまり彼はこう言いたいのだ。

 他人の物の見方を1つの「鏡」と例えるなら、それを多く得ることでいろんな角度から自分を見ることができるようになる。なぜなら、自分も含めて他人なんて、完全に同じ視点を持つものはいないのだから。

 ひとつの鏡から手が見えても、もうひとつの鏡からは足が見えているかもしれない。もしかしたら、その映された手や足の周りから宝毛が見つかるかもしれない。

 それはなんと喜ばしいことか。


「当たり前とか非現実とかなんてものも一つの見方に過ぎない。当たり前も視点を変えれば非現実になる。非現実もまた然りだ。

 その最たるものが妖怪や君の能力だ。外の世界では不可思議な現象に対して科学という視点で理解しようとする。ここでは妖怪や不思議な能力という視点で理解する。

 君の能力はいわばこの世界のヒトが観測する"視点"を置き換えてしまうというものだ。だから、それを変えるためにもまずは、幻想郷特有の能力者が持つ"視点"を学ばなければならない。

 そういうことだ。」


 しばらくの静寂が流れる。

 俺と霖之助さんはお互い、目と目を会わせて一寸たりとも動かない。連れとしてきている上白沢さんはこのやりとりを聞き、口をあんぐりと開けて唖然としていた。後に聞いた話では、彼がここまで饒舌に語ることは、そう滅多にないかららしい。



 しばらくして彼は俺との視線を外し、大きなあくびをした。張りつめてきた空気が緩んだようだ。


「やれやれ、偉そうに教えをとくのは僕には不似合いだったね。

 ・・・少し疲れた。お茶でも用意しようか。」

「・・・ありがとうございます。」




 お茶を持ってきた彼に促されて売り物の椅子に腰かけ、丸いテーブルを囲んだ。


「紅魔館のように紅茶とはいかないけれど、玉露の緑茶だから不味くはないと思うよ。」

「どうも・・・。」


 俺は若草色を一口、口に含む。

 美味しい。茶葉独特の苦味と引き締まった甘味のバランスがとれていて、後々の癖にならず、口腔から全身に旨味のすべてが染み渡っていくようであった。


「これは外の世界では最高級の緑茶らしいが、僕には過ぎ足るものだ。だから、大切な人を迎えるときにしか飲まないのだけれど、やはり旨いね。茶の十徳と古来から言う通りに、これ程の美味しいお茶はどんな問題でも万事解決してくれそうだ。

 まあ、あくまでも僕の視点だけれどね。」


 俺はもう一口含む。


「その気持ちは概ねわかります。

 ただ、看過できない問題もあります。」

「ほう。それは?」

「知っているかもしれませんが、八雲紫がこの能力を欲しがっている理由についてです。」


 上白沢さんはぴくりとこちらを向いた。どうやら彼女も興味があるようだ。なにせこの問題はゆくゆく幻想郷全てに影響するのだから。


「ああ、君も難儀な運命を背負っているのだったね。」


 彼は、上白沢さんがかつてそうだったような青ざめることもなし、ただたんたんと答えた。


「しかし、幾度か言われただろうけれど、これは君が決めることだ。助言はできても手伝うなんていうのはできない。」

「・・・。」

「まあ、そう気を落とさないでほしい。

 僕も君の選択に文句は言わないし、できるかぎり助けになる方法は調べてみるよ。」


 森近霖之助はがたりと立ち上がる。


「まずは・・・―」


 そして、奥の方にある部屋に行き、がさごそと何かを取り出して戻ってきた。


「これをあげよう。」


 テーブルにごとりと置かれたのは、一丁のダガーナイフだった。


「ナイフ・・・ですね。」

「ああ、ナイフだ。しかし、元々はナイフではないけれどね。」

「というと?」

「これは天羽々斬だよ。

 もちろん見ての通り刀剣本体ではなく欠けた破片を工作したものだがね。」


 上白沢さんはそれを聞いて悲鳴のような叫びをあげた。


「天羽々斬だと!?」

「上白沢さん、これは天羽々斬ってなんなのでしょうか?」

「知らないのか?博学の君らしくない。」


 彼女は意外そうな面持ちで聞き返す。


「なんでも知っているわけではありません。少なくとも歴史関連については上白沢さんの方がよく知っているはずです。

 ―それで、天羽々斬とは?」

「あ、・・・ああ。

 それは日本神話に登場する刀剣だ。スサノオノミコトがヤマタノオロチを刻んだとされている。」

「それって凄い剣なんじゃあ!?」

「ああ、普通はこんなところにはないはずだな。」


 テーブルの上の神剣を手に取る。見た目はいたって普通の鉄のナイフだ。感触からしても歴史的な重みは無いように思えた。


「友人に蒐集癖のある子がいてね。ガラクタを集めては僕のところに売りに来るんだよ。

 これはその中に紛れていた代物だ。

 今はこう加工されてダガーナイフにしてあるけど元は屑鉄みたいなものでね。しかも外の機械のスクラップに混じっていたから余計分かりにくかったよ。」


 彼は武勇伝のごとく、さぞ自慢げに語った。


 しかし、渡されたはいいが、一介のただの能力者の卵の俺が持つべき代物ではない。もし外の世界にいるならば、然るべき機関に奉納すべきだろう。


 彼はしかめっ面をして、額に手をあてる。そして、上白沢さんに目をやった。


「慧音先生は彼がこれを持つことについてどう思うかな?―上白沢としての意見を聞きたい。」


 唐突の質問に彼女はうろたえる。


「わ、私!?私は別に構わないとは思うが・・・。」

「やはりそうだろう?これで持ち主は確定だ。」


 その理論は短絡的過ぎやしないだろうか?短絡的すぎて火花が散りそうだ。

 確かにそんな大層なものを貰えることは嬉しいのだが、上白沢さんまで巻き込んで、やり口が押し売りみたいだとどうも気が引ける。


 彼は、やれやれという風に大きくため息をつく。


「慧音先生に尋ねさせてもらったのは、ただ彼女の同意を得るためではないんだよ。」


 俺は上白沢さんと顔をあわせた。

 また、彼女も俺の顔をうかがったところを見ると、同じく理解できてないようだ。


「彼女は完全ではないにしろ、"白澤"だ。

 君は白澤を知っているかい?白澤とは、中国に伝わる人語を理解し万物に精通するとされる聖獣だ。徳の高い者の前に現れて、災いを退けたり福禄をもたらしたりするそうだよ。」

「それとこの剣との関わりなんてないと思いますが?」

「いやいや、そうでもないさ。

 先程の僕の言葉を思い返してごらん?」


 普通に質問しただけだったような・・・?

 いや、確か一つだけ引っ掛かりそうなところはある。

「―上白沢としての意見を聞きたい。」


「そう。その通り。

 名は体を表すとはよく言うが、彼女の場合はこれによく当てはまる。だから僕は本人の名前を呼ぶと同時に、白澤としての意見も求めたんだ。

 そして白澤はこれに同意した。つまりは神聖なる者の視点からして、君がこれを持つことはふさわしいと認められたのだ。

 信頼できる話じゃあないかな?」


 言われてみれば、理論としては間違いではないかもしれない。ヒトを導く白澤の特性からしても、ある種の手続きを踏んだともとれる。


 しかし、不意討ちによる同意とういのは如何なものだろうか?


「不意討ちでも同意は同意だ。

 それに、神の世界では不意討ちは当然として行われている。これについては日本古来より記され来たことだから明らかだ。そもそもスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した経緯もそんな話ではなかったかな?」


 近森さんの言っていることは何一つ間違っていない。この妖怪の闊歩する世界では、揺るぎのない正論である。


「もちろん、以降慧音先生が訂正だと主張するなら取り消されるかもしれないがね。」


 上白沢さんはなるほどといった顔で腕組みをした。


「いや、取り消しはしない。

 やはりこれは彼が持つべき代物だ。確信してそう思う。」


 別に近森さんの口車にのったごときで思うところはあまりないのだが、相応しくないと自覚のあるものを持たされるという気持ち悪さからブルーになる。


 それを察した上白沢さんは俺の肩にそっと手をおいた。


「・・・それに君は優しすぎるから。その優しさは否定すべきところではないけれど、それによって危険が及ぶこともある。

 だからその時のためにも持っておいてほしい。」

「上白沢さん・・・。」

「正直君には―生きていてほしいのだ。」




 俺は掌にあるナイフをもう一度見た。

 そして、黙って懐にしまう。


「話はまとまったようだね。」


 彼はようやく終わったとばかりに机からキセルを取り出して火をつける。

 こもってほこり臭い部屋に、加えて煙が充満した。


「ついでにこれもあげるよ。」


 彼の左手から投げ放たれたものを、俺は右手で受け取る。


 手の中にあったのは黒くて小さな箱だった。


「これは?」

「指輪だよ。」


 しばしの間なまらぬるい沈黙が流れる。


「え!?近森さん、"そういう"感じなんですか!」

「違う。僕からじゃあない。僕にはそんな趣味はない。

 ある人に頼まれたから渡したんだ。」

「ある人?」


 聞こうとすると、彼はおもむろに立ち上がってせっせと俺たちを香霖堂から追い出した。


「さあ、僕から話すことは以上だ。

 こう見えて僕も何かと忙しい。今日のところはそこの藍と一緒に帰ってくれ。

 ・・・また困ったことがあればここに来てくれ。相談に乗るよ。」


 そういって不作法にドアを閉める。

 

「何かあったのですか?」


 俺たちの呆気にとられた顔を見て、八雲藍はそう尋ねた。


「いいえ・・・。

 一方的に話が進んで一方的にお店から排除されました。」


 正直何が起こったのかわからない。手品や催眠術とかそんなチャチなものじゃあ断じてない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったような気がする・・・。


 そんな俺たちを見て藍さんは吹き出す。


「あはははは!!

 今のは面白い!これは一本とられました!」


 そこには冷徹な眼をした不吉な女性ではなく、笑い叫ぶ傾国の美女がいた。


「笑い事ですか・・・。」

「い・・・いや、申し訳ございません。でも、ツボにはまったのです。ふふふ!」


 八雲はやはり解らない。

 今までもわかったことはなかったのたが、なにがおかしいのやら・・・。



「さて、帰りましょう。

 あなたが紅魔館に戻った後もこちらからお伺い致しますので。」

「ああ。」




 俺と上白沢さんはその呆気にとられた気持ちのまま各々の帰る場所へと戻っていった。




「あ、お帰りなさーい!」


 現在の自宅に到着した時には夕暮れになりかけていた。

 玄関戸を開けると、居間にいたのは陽気な唐傘お化けの小傘である。


「ああ、ただいま。」

「もう帰るんだよね・・・紅い館に。」

「支度したらね。

 昨日の通りに俺が去った後の管理は頼むよ。」

「うん。」


 実は昨晩小傘を訪ねていた。

 話はさっき言った通り、俺がここをたち去った後の家の管理だ。売却するという選択肢もあるのだが、買ったのがフランであるため安易には選べない。少なくとも独断でどうこうすることはできない。

 そこで、お隣さんの多々良小傘に頼んだのだ。彼女は快く引き受けてくれたのだが、もちろんロハでの取引ではない。


「約束通り今度森近霖之助さんのところに一緒に行こうね!」


 これが条件である。

 香霖堂は人里から遠くもないし、彼女も妖怪なのだから自分で行けるとは思う。そのため別の条件の方がいいのではないかとは促したのだが、どうやら俺と行くことに意味があるらしい。




「さて、それじゃあ俺は帰るよ。」


 着なれた服ぐらいしかはいっていない中ぐらいのリュックサックを背負い、玄関から一歩前に踏み出す。


 小傘が後を追うように下駄を履いて見送る。


「いってらっしゃい!」


 彼女の元気な声が俺の鼓膜を心地よく揺さぶった。



 思い起こしてみると、人里での生活は長いようで短かった。

 妖怪やらを抜きにしたとしても、外の世界にはない大切な何かに触れられた。人が空を飛んだり魔法があったりする世界でも、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、楽しいこと、笑えることは俺の世界と一つも違いなくあるのだ。そういうことをからだの芯から感じることができた。


 そのお陰なのかもしれないが、何だか少しだけ・・・―ほんの少しだけ、これからフランと会うことや八雲紫の"お願い"について考えることが憂鬱ではなくなった。


 きっと森近さんの言っていた"大人"になったのかもしれない。




 それでは戻るとしよう。

 ―俺の家へと。

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