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9・要を訪ねて来た女





「ごめん!いい!言わなくて」


「佐伯《さえき》…」


「なんでかなって思っただけだから。

そこまで気にしてないし、その、」


「…ごめん」



要《かなめ》を困らせたくなかった。

けれど本当は聞くのが怖かったのかもしれない。


ただの仕事仲間だからこそ少し心を開こうとしてくれた要をまた振り出しに戻してしまう。



「謝んないでよ。あ、そうだ。今度はさ

俺飲まないからまたメシ行こうよ」


「うん」


「塔太《とうた》も山岡《やまおか》が来てくれたらめちゃ喜んでるし」



そのあと少し仕事の話をして通話を終えた。


肩が、こんなに力が入っていたのかと驚くほど

上がっていた。


携帯をそっとテーブルに伏せて、蘭《らん》は

深く息を吐いた。



要に何かあったのは間違いない。

そのせいで要は昔の自分を消しているのだ。


本当は知りたい。

そして力になりたい。


過去は変えられないが未来は変えられる。

大切なのは今からなのだ。



「腹減ったな」



要が生きやすかったらそれでいい。

きっと桜《さくら》もそう言ったに違いない。


冷蔵庫を開けてみたが水しかなかった。


シャワーをしてから外に何か買いに行こう。



時間は進んでいる。

そして自分たちは生きている。


要も自分もこれからが大切、と、蘭は自分に

言い聞かせた。








「打ち合わせに行ってきます」



さっきまで電話で依頼主とやり取りをしていた

要だったが、どうやら直接打ち合わせをした

方が早いと判断したようだ。


要はタブレットなどをバッグにしまい、

壁にかけてある時計を見上げた。



「長くなりそうだから直帰してもいいですか?」


「もちろんよ。クリリンに言っておくわ」


「山岡さん、もうすぐ定時なのにこれから

打ち合わせだなんて…おつかれさまです」



菜々(なな)と桜にペコっと頭を下げて、要は部屋の

ドアを開けた。



「がんばれー」


「なるべく早く終わらせろよー」



蘭と塔太の声に振り向いて要は口元で微笑み

頷いた。



「まあさ、ここにいても定時になんて上がれないけど」



菜々がそう言うと全員がぶんぶん、と首を縦に振った。



「山岡さん、よく話してくれるようになりましたよね」


「ねー。相変わらずおとなしいけど、

入ってきた時とは全然違うわ」


「帰りが一緒の時は俺らとメシ行くし」



塔太が蘭を見ると蘭もうれしそうに頷いた。



要がこの会社に来て半年。


元々デザイナーとして働いていたからなのだろうか今ではじゅうぶんな戦力だ。


相変わらず自分のことは何一つ語らない要だったがこの場所に馴染んできている。


蘭はそれでいい、と思っていた。



過去は変えることはできないが

これから先の未来は自分たちの手で一つ一つ

大切に摘んでいけばいい。



「さてウチらもがんばるか!」


「ですね!」



要を見送った4人がまた自分のデスクに向かって仕事をし始める。


30分ほど経った頃、室長の栗谷《くりたに》が入って来た。



「山岡くんは?」



少人数の部屋だ。パッと見ただけで一人いないのはわかる。


普通なら仕事を終えて帰ったと考えるものだが

残業当たり前のこのデザイン室。

栗谷はいきなり要がいない理由を聞いてきた。



「お祭りの委員会の人と打ち合わせに出てます。

今さっき出たところで何時になるかわからないので私が直帰するように言いました」



菜々がふわふわとしたアフロヘアを揺らしながら栗谷に説明した。


うーん、と困ったような表情の栗谷を見て

4人は顔を見合わせた。



「山岡くんにお客さんが来てるんだよ。

なんでも大学の時の友人だとか」


「大学…」



要と同じ大学だった、高校の時の蘭の親友の武市の話が蘭の頭の中に一気に蘇った。


中退して行方不明になった要。


武市でさえその行方を知らないのに

大学の時の友人というのはなにかが引っかかった。



「室長。ここに山岡がいるって言ったんですか?」


「うん。ダメだった?」


「いえいえ」



要が会いたくない人ならどうしよう。


蘭はあごに手を当てて最善を考えた。



「いないんなら仕方ない。また今度来てねって

言っとくか」


「あの、俺が言います」


「蘭、」


「佐伯くんが?じゃあ頼もうかな。

2階の応接室で待ってもらってるから。

よろしく」



忙しいのか、栗谷はそのまま部屋を出て行った。


ドアが閉まると同時に塔太があわてて

蘭のデスクに駆け寄った。



「なんて言うつもりだよ」


「なんか引っかかるからその人のこと探ってみる。

大丈夫そうならまた来てって言えばいいかなと」



塔太には要が大学を中退したことも話していた。


それを聞いていた塔太もやはり、大学の友人が

ここに訪ねてくるのはおかしいと思っていたのだ。



職場まで知っているのになぜ直接連絡を取らないのか。

おそらく、その友人とやらは要を探してここに

辿り着いたのだ。



「一人で大丈夫か?」


「うん。行ってくる」



でしゃばったことをしているのかもしれない。


しかし蘭はどうしても今の要の生活を守って

やりたかった。



蘭が出て行ったドアが閉まる。

少し揺れているドアを見つめていた塔太の横に

菜々と桜が並んだ。



「志水《しみず》くん」


「うわっ!菜々さん!びっくりするじゃ、って

桜ちゃんも!」


「私たちにも言えるとこだけでいいので

話してください。

またもしその人が来た場合対処したいから。

志水さんも佐伯さんもいない場合もあるでしょ?」


「今回の人だけとは限らないわよね。

これからこういうのがあるかもしれないわ。

せっかく仲良くなって仕事を楽しんでくれてる

山岡くんか飛ばないようにしたいのよ」



塔太が眉を下げると菜々と桜は安心させるために優しく微笑んだ。







応接室のドアをノックする前に、蘭は大きく

息を吸った。


ここへ来るまでの1分足らずの間では

なにを話したらいいかなど考えられるはずもなく、出たとこ勝負するしかなかった。



「失礼します」



ノックをしてから蘭が中に入ると、

黒い革張りの長椅子にどう見ても蘭より年下に見える女性が座っていた。



「初めまして。私、デザイン室の佐伯と申します」



相手が自分よりも年下のようだからなのだろうか、さっきよりも蘭の心は落ち着いていた。


女性は蘭が入った時、目を大きく見開いたが

今は瞬きを繰り返している。


名刺を取り出して両手で渡すと、その女性も

両手で受け取った。



「篠塚です。佐伯…さん?」



そう言って女性は名刺に目を落とした。

そしてもう一度蘭の顔を見た。



「山岡さんは?」



山岡を呼んできます、と言って室長の栗谷は

この部屋を出て行った。


次来るのが要だと信じて疑わなかったのだろう。


篠塚光里《しのづかひかり》は怪訝そうに

蘭を見ていた。



「山岡は急な打ち合わせで外出しております。

何時までかかるかわかりませんので

本日は直帰いたします」


「そうなんですか。

ではご自宅を教えていただけませんか?」


「山岡の承諾がないとお教えすることはできません」



当たり前だ。光里もそれがわかっているので

それ以上強く言わなかった。


しかし蘭が不思議に思ったのが、なぜ今

山岡さんに確認してもらえないか、と光里が

言わないことだった。



まるで言っても要に承諾してもらえないことを

光里がわかっているみたいだった。



「わかりました。ではまた来ます」


「山岡が会うかどうかはわかりませんが…」


「あの、佐伯さん。何か知ってるんですか?」



誘導尋問とまではいかないが、何かを秘めたような蘭の口調に光里は引っかかった。


近くに立っている蘭を見上げる視線。


それは少し悲しそうにも見えた。



「篠塚さん。あなたが大学の友人というのは

違いますよね。

実は私、山岡とは高校の時からの友人でして」


「高校から…。そうだったんですか。

はい。確かに私は山岡さんの友人ではありません」



要の今の環境を守りたい。


やはり何かが引っかかる。

光里に会わせてもいいのだろうか。


光里はやっとここを探し当てたような感じに見えた。

要が会っても良い人物ならもっと要の情報を知っているはず。


蘭は口元に微笑みを作りながら要のことだけを

考えていた。



「友人…だったのは私の姉です」


「お姉さん?」


「また来ます。失礼します」



バッグを手に取ってからが早かった。

立っている蘭の隣をサッと抜けて、

光里は応接室を出て行った。






「ただいま」



デザイン室に戻ると、塔太、菜々、桜の三人は

それぞれ自分のデスクに顔を突っ込んで仕事を

していた。



「待ってたわよ。佐伯くん」



バッ!と立ち上がった菜々が部屋に入ってきた

ばかりの蘭を連れて奥にある長椅子へ向かう。

その通り道で塔太をピックアップした。


桜はそんな三人の後ろを笑いながらついて行った。



長椅子に座った、いや、座らされた蘭が同じく

隣に座っている塔太を見て目を丸くした。



「蘭、実はさ」



菜々と桜に、要のことを教えてくれと頼まれた

塔太だったが、蘭のことなので自分からは言えないと断ったのだ。


それならば蘭の帰りを待とう、ということになり今に至る。



事情を聞いた蘭は、うん、と頷いて菜々と桜を

見上げた。

向かい合わせに置かれている長椅子に菜々と桜も座った。



「山岡は覚えてないんだけど、俺、高校がおんなじだったんです」


「そうなの?」


「あ、でも向こうが全く覚えてないから、

聞いてもないんだけどね。だから内緒ね」



要が今と違って明るくて友達も多かったこと。

生徒会長をしていたので自分は要を知っている、と

蘭は少し隠しながら話した。



「それが、ここへ来た時あんな感じでしょ?

びっくりして。なんかあったのかもしれないけど話さないってことは知られたくないってこと

だから」



それよりもだんだんとみんなと打ち解けてきて

仕事が楽しい、とがんばっている今の要を

継続してもらう方が良いと判断した、と蘭は

菜々と桜に話した。



「だから今、訪ねてきた人がよろしくなかったら…

もう来ないでって言おうとしたんだけど…」



“また来ます”


光里は頑なだった。



「菜々さんと桜ちゃんにも協力してもらえるのは本当にうれしい。ありがとうございます」


「もちろんです。何かを抱えているな、っていうのはなんとなくわかってたんですが、

でも過去より未来ですよね。佐伯さんの言う通り!」



桜が感心したように頷く。

隣で菜々もふわふわのアフロヘアを揺らしながら激しく同意していた。



「長く続けてほしいもんな。俺さ、よそとか

考えたこともないぐらいこの職場が好きなんスよ」


「あらうれしい。なんだか志水くんに告白されてるみたいだわ」


「そこ、桜ちゃんにしてもらって…」



菜々がキッと塔太を睨むとみんなが笑った。


塔太の言ったことは、ここにいるみんなが思っていることだ。


要にもそう思ってもらいたい。

4人の気持ちは一つにまとまった。



「見えないところからサポートしましょう!」


「見守り大事!ですよね」


「菜々さん。心強いです。桜ちゃんも…」



そう言って蘭は、ずいぶん前に要が桜に

相談した、と言っていたことを思い出した。








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