6・桜の思い
一歩前進だった。
アトリエピーチのデザイナーたちと馴れ合いは
したくないと断言していた要が
塔太とサシメシに行ったのだ。
もちろん、塔太が強引に誘ったことも蘭には
わかっていたが
それでも要が行った、という事実がうれしかった。
「社長と山岡の前の会社の社長が知り合いらしくてうちのデザイナーが少なくて困ってるからって」
塔太は要から聞いた情報を蘭に共有した。
そか、とうれしそうに聞いている蘭。
コーヒーカップを皿に置いて、塔太は腕を組んだ。
「ん?なに?」
じっと顔を見てくる塔太に蘭は首を傾げた。
「なんか、蘭のそんな顔見るの初めてだなって
思ってさ」
「そんな顔?」
蘭はペタペタ、と自分の顔を手で触って
目を丸くした。
「楽しそうとかうれしそうって感じの笑顔は
見たことあるけど、なんていうのかな
安心したみたいな…いや、それも違うな」
「うれしいだけだよ。分析すんなよ。
だってさどうせ働くなら楽しく働いてほしいじゃん。
そりゃ、山岡は今のままでも楽しいかもしれないよ?
でも、なんでも話せる仲間がいた方がいいに
決まってる」
蘭がうんうん、と微笑んでコーヒーを飲む。
塔太はまた首を傾げた。
どう表現したらいいのかわからないが
初めて見る蘭の表情は塔太にとって不思議だった。
「まあいいや。で、今度は蘭とも行こうぜって
言ったら頷いてたよ」
「マジか。行こ行こ」
「よし。善は急げだ。今日の帰りにでも
誘ってみるか」
菜々の言っていた“信じる”ということが
蘭の頭の中でカタチとなって現れてきた。
どんな要でも受け入れる。今の要も過去の要も。
最後にたった一人になったとしても、信じるのだ。
動いていく方向が少し見えてきた蘭には
痛いぐらいに降り注ぐ夏の日差しさえ心地良く
感じていた。
いつもの昼休みの光景に桜が足りない。
蘭と塔太は昼休みは必ず外に食事をしに行く。
菜々《なな》と桜は弁当を持ってくることが多い。
要は出社前にコンビニで買ったサンドイッチや
おにぎりを10分ほどで食べ、仕事に取り掛かる。
アトリエピーチの仕事に少しは慣れてきたものの、まだみんなに比べたら仕上げるまで時間が掛かる。
この日も要はサッと昼食をすませてサーバーで
淹れたコーヒーを飲みながら仕事を始めた。
ふと見た菜々が退屈そうに携帯を触っている。
いつもなら桜と二人で楽しそうに話をしながら
弁当を食べているので手持ち無沙汰なのだろう。
「仙道さん」
「菜々さんね」
「あ、菜々さん。都丸さん、
いや、桜さん、どうですか?」
菜々は持っていた携帯をデスクに伏せて腕を組み椅子の背もたれにもたれて天井を見上げた。
「何度かあったのよ。最初の方は2週間ぐらい
出てこれなくて」
「2週間、ですか」
「それがだんだん復活までの時間が短くなってきたの。
今、桜ちゃんとラインしてたんだけど明日は大丈夫そうだ、って」
良かった、と要が言って頷く。
天井から要に視線を移した菜々は目を丸くしていた。
「てか仕事以外で話しかけられたの初めて。
うれしいわ」
「何言ってるんですか」
「ここに来た時の桜ちゃんを思い出した。
あの子も最初はあなたみたいに、ううん、
山岡くんよりもひどかった」
今の蘭と塔太と同じだ。
菜々は桜が疲れない程度に一緒に帰ろうと誘ったりしたものだ。
だんだんと桜が話すようになってくれたのが
うれしかった。
病気のことを知った時は驚いたが、それを話してくれたことがうれしかったのだ。
「ここしばらく来れない日がなかったのよ。
だから桜ちゃん、悔しいって言ってる」
「仕方ないですよ」
「そうよね。でも桜ちゃんもこのまま治っちゃうんじゃないかって期待してたんだね。
私もそうだったけど」
菜々がサーバーにコーヒーを淹れに行った。
通りすがりにあった桜のデスクのタブレットと
パソコンがなんだか淋しがっているみたいだった。
「変わりたいのに変われないってもがくよね」
「…」
「側から見てるとさ、慌てなくてもいいし
このままでもいいんだよ、って思うんだけど
本人には辛いんだろね」
「かも、しれませんね」
菜々が座った椅子がキィ、と鳴った。
要にはその音が悲しく聞こえた。
「あの、菜々さん」
「はい?」
「帰りに桜ちゃんの家に行くんですか?」
「桜ちゃんがOKならね。寄ろうかと思ってる」
桜になにか伝言でもあるのだろうか。
言葉を考えているような要を急かすことなく
菜々は見守った。
「俺、代わりに行ってもいいですか?」
「桜ちゃんがOKならいいわよ」
早速菜々は携帯を掴んで桜にラインをした。
自分を決して見せない要は桜になにか思うところがあったようだ。
お互いのためにも良いのではないかと菜々も考えた。
「OKだって」
「ありがとうございます」
「桜ちゃんのことよろしくね」
早く出てこいと言ってはならないと注意しようとしたが、要にはわかっているだろう。
菜々は少し微笑んでコーヒーを飲んだ。
19時を過ぎた。
要は自分のデスクの前に立ち、まだ仕事をしている三人に声を掛けた。
「おつかれさまです」
「え。山岡、もう帰んの?」
塔太がペンを持ったまま要の方へ椅子をくるりとさせ、顔を上げた蘭と目を合わせた。
「うん。おつかれさまです」
「なんだよー。メシ行こうかと思ってたのに」
「用があるから」
昼休みに蘭と要を連れて行く店まで考えていたのだが用事があるのなら仕方がない。
蘭とまた今度か、と目で言い合った。
「おつかれさま」
菜々がそう言ってスッと手を上げる。
要はそれに頷いてから部屋を出て行った。
桜の家に行くまでにあるスターバックスで
飲み物を2つテイクアウトした。
桜が何が好きなのか知らないので
要は自分の好きなホワイトモカを2つ買った。
菜々に教えてもらった家はすぐにわかった。
赤い屋根の一戸建て。
桜は一人暮らしではなく家族と住んでいるのだ。
インターホンを鳴らすと桜ではない声が聞こえてきた。
「はい」
「こんばんは。桜さんと同じ会社の山岡と申します」
「はーい。お待ちくださいね」
母親らしき人の元気な返事が聞こえてすぐに
玄関のドアが開いた。
「いらっしゃいませ。お仕事帰りにごめんなさいね」
「いえ、あの、桜さんは」
桜の母親は要を中に入れて、玄関のすぐ近くにある階段へ連れて行った。
「桜の部屋2階なんですよ」
「おじゃましても大丈夫ですか?」
「どうぞどうぞ」
どうやら母親は案内してくれないようだ。
勝手に上がってくれ、と言わんばかりにぺこっと頭を下げて行ってしまった。
桜の体調不良におろおろしている母親より
数段マシなのではないだろうか。
桜にとって腫れ物扱いされるほど辛いことは
ないに違いない。
そんなことを考えながら要は一段ずつ階段を
上がって行った。
2階に上がると淡いベージュのドアが3つあった。
一番奥の部屋にプラスチックに描かれたイラストがぶら下げてある。
近づいて見てみると「桜の部屋」とイラストに
紛れて書いてあった。
「可愛いな」
桜のデザインだとすぐにわかった要はイラストをじっくり見てからノックをすると、
返事もなくドアが開く。
そこには部屋着を着てメガネを掛けた桜が
ニコニコと笑っていた。
「ノーメイクですけどどうぞ」
「はは。おじゃまします」
おどける桜に要は思わず笑ってしまった。
心配かけないように明るく振る舞っているのだろう。
その心遣いが温かかった。
「これ、好きかわかんなかったんだけど」
「スタバ?うれしい。どれでも飲めます」
要が袋を渡すと、桜はうれしそうに中身を取り出して机の上に置いた。
「いただきます」
「どうぞ」
「ありがとう。山岡さんここ座ってください」
机の椅子を引き出した桜は、2つ並んだカップの一つを取ってベッドに腰掛けた。
うれしそうにストローに手を添えて飲む。
要も桜を見ながら一口飲んだ。
「沁みるー。朝から何にも食べてなかったから
糖分最高です」
「…そうだったの」
「やる気はあるんですけど体が動かなくて。
おなかも空いてたんですけど。
ずーっとベッドに寝てて、今初めて起きました」
簡単に明るく言ってはいるが、かなり不安だろう。
自分の命令を自分が聞いてくれないのだから。
半分ほど飲んで、おいしい、と笑っている桜を
見ていると要の心が少し苦しかった。
「いきなり俺が来て、ごめん。疲れないかな」
「全然です。山岡さんが来てくれたから起きられた。
それに、山岡さんと話したいなって思ってたから」
「俺と?」
うん、と桜が微笑んで頷く。
ノーメイクでメガネの桜は高校生に見えた。
「私、小さい時からすごいコミュ障で。
人と話すのが本当に苦手だったんです」
だった、ということは克服できたのだ。
確かにアトリエピーチで働いている時の桜は
誰とでも普通に話をしている。
「アトリエピーチに就職しても全然話せなくて。
雑談とかじゃなくて仕事上で必要なことさえ
聞けなかったんです」
それなのに菜々を始めとする塔太、蘭は
桜に普通に話しかけてきた。
桜が返事にまごまごしていても急かすことなく
待ってくれる。
一年経つ頃には桜は冗談を言い合えるぐらいまで話せるようになった。
「人と話せなかったのは反応が怖いからなんです。
私の言ったことが相手にどう響くかわからない。
怒らせたらどうしよう、とか考えてると話せなくなっちゃうんです。
でも菜々さんたちは普通に接してくれた。
私が怖がってるって気づいてたから優しくして
くれたんだけど、特別扱いとかじゃなくて。
本当に普通に」
桜はアトリエピーチの仲間たちのことが大切だと思うようになった。
この人たちに迷惑をかけたくない。
そう思ったからこそ、病気のことを話したのだ。
要は桜の話を頷きながら静かに聴いていた。
病気のことを話すのは勇気がいっただろう。
しかし桜にそうさせたのは他でもない、
アトリエピーチの仲間たちだ。
桜のことを信頼している仲間たちなのだ。
「菜々さんが言ってくれたんです。
迷惑だなんて思ってないけど、迷惑なんていくらでもかけていいのよ。
その代わり心配はかけないで。
どんなことでもなんでも話して、って」
「菜々さんらしいね」
「でしょ?頼れるネキだもん。
だから私は甘えることにしました。
今日みたいにダメな日はダメって正直に言う。
言うだけで心が軽くなるんです」
一人で抱え込むな、ということだ。
吐き出すことで軽くなる。
菜々も塔太も蘭も、桜が一人で抱え込んでしまうことが一番辛いのだ。
「いい関係だな」
「山岡さんもよ?」
「俺は、」
「しんどくないですか?殻をつけてるの」
「…」
要が目を丸くする。
ゴゴゴー、と豪快な音を立てて桜はホワイトモカを飲み干した。




