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5・信じることの難しさ




塔太《とうた》から視線をまたデスクに落とし、

要《かなめ》がふう、とため息を一つついた。



「志水《しみず》が…話しかけるから終わってない」


「仕方ねえヤツだな。早くしろよ」


「先に帰って、」


「何食いたい?うどんか?」


「人の話を聞けよ。てかなんでうどん…」



塔太は要の方を向いて携帯を触り始めた。

要はもう一つため息をついてからタブレットに向かい仕上げたイラストを保存した。



「山岡《やまおか》ってがっつりしたの食わなそうじゃん」


「食うよ。俺行かないから先に帰って」


「蘭《らん》いないんだから。いいじゃん。

二人の相手するよりサシの方が楽だろ?」



返事をせずに要がタブレットの電源を落とす。

デスクの上に出していた私物をバッグに放り込んで立ち上がった。



「おつかれさま」


「終わった?よし。焼肉行くか」


「行かないって言ってんだろ」


「なんもしゃべなくてもいいから」



塔太が要を腕を掴んで歩き出す。

諦めたのか、要も歩き出した。



アトリエピーチの近くにある個人が営んでいる

焼肉屋に入る。

20人も入れば満員になるぐらいの狭い店内には

いい匂いが詰め込まれていた。



「若者コース2人前ね。あと生中。山岡は?」


「若者コース?あ、俺ハイボールください」


「食う気まんまんじゃん。

若者コースってのはな3人前を二人で分けるイメージなんだよ。

つまり一人1.5人前。若者は一人前で足りねえだろ」



ビールとハイボールのグラスを持ってきた店員が卓上に置いてあるコンロに網を置く。

ジョッキを上げた塔太を無視して要はハイボールをごくごくと飲んだ。



「なんかお前子どもみたいだな」


「…」


「まあいいや。うわ。これうまい!」



塔太が小鉢を揺らして笑う。

肉を持ってきた店員が帆立とほうれん草の、と

小鉢の説明をしていた。



「はい。タンです」


「ありがとう」



塔太がトングで皿に乗っているタンを全部網の上に乗せ、難しい顔をしている要を見て笑った。



「一気に乗せんなよ、って思ってるだろ。

タンはこうやって一気に乗せてかき混ぜときゃ

焼けるんだよ」



要がもう一つのトングを持って、塔太がぐちゃ、と置いたタンを丁寧に一枚ずつ広げた。



「山岡さ、なんでデザイナーになったの?」



もうすっかり手からトングを放した塔太が

ビールを飲みながら帆立を摘んだ。



「一人で黙々と仕事できるから」


「一人で黙々とできる仕事なんて山ほどあるだろ。なんでデザイナーにしたの?」


「…特に」




“あいつ絵が得意なんだよ”



高校の頃、蘭のことを聞いた要に、蘭の親友の

武市《たけち》はそう言って携帯の写真をスクロールして

蘭が描いた絵を見せてくれた。


蘭が描いたそのイラストは美しいデザインなのにどこか可愛さもある不思議なイラストだった。



蘭には内緒でもらったその写真は

その日から要の宝物になった。



一人で黙々とできる仕事、と考えた時に

最初に浮かんだのがデザイナーだった。


親しみやすいイラストを描きたい。


自分が人とは接触できなくても自分が描いたイラストが誰かと繋がってくれたらうれしいと思った。



「特になんだよ」


「たまたまだよ。たまたま求人があったから」


「それって前の職場?」


「うん」


「ふーん。前のとこなんで辞めたの?」



タンを食べ終わり、要がロースを焼いていく。

食べる専門の塔太はビールとハイボールの

おかわりを注文した。



「引き抜き」


「引き抜き?マジ?」


「引き抜きっていっても上手いからとかじゃない。

前の会社の社長が桃田社長の知り合いで

人が足らないから回してくれって」


「前のとこ結構デザイナーいたの?」


「20人ぐらい」



いいなあーと言っている塔太の皿に焼けたロースをトングで放り込む。

火が近いので焼いている要の額に汗の粒が光っていた。



「でも選ばれたんだろ?優秀なアトリエピーチに入るのは君だ!みたいな」


「一番俺が家が近かったんだよ。

それに誰とも話さないから他のヤツが抜けるよりいいし」


「優しいな山岡」



やっぱり悪いヤツではない。

塔太はうれしくなって笑いながら肉を頬張った。



「うま」


「うまいだろ。店汚いけどうまいんだよ」


「兄ちゃん。よく来てくれるから許すけど

汚いって言わないでよ。ホントのことをさあ」



壺を持ってきた店員があはは!と笑う。

つられて口の端で微笑んだ要を見て塔太も笑った。


食べている要に変わって再びトングを持った塔太が壺の中でタレに浸かっているカルビをずるり、と取り出して網に乗せる。


ぼわっと上がった煙が落ち着いた先に見えた要はまた元通りの無表情だった。



若者コースの最後はバニラのアイスクリームだった。

小さなスプーンでもぐもぐと食べている要が

塔太にはなんだか可愛く見えてきた。



「今度、蘭も誘おうぜ」


「俺はもう、」


「いいじゃん。別にお前のプライベート晒せとかも言わないし」



確かに塔太は今日、仕事関係の話しかしていない。


単に人と接するのが苦手というわけではなく

自分が何かを抱えていることを塔太に気づかれているのかもしれない。


純粋に仲間として食事をしよう、と、

その何かを引き出そうなんて考えていないのも伝わってくる。



こんな自分を。


それを踏まえて塔太は誘っているのだ。



気づいたら要は小さく頷いていた。












次の日、蘭は朝早くにアトリエピーチに行った。


昨夜、武市から聞いた要のこと。

要を救うには覚悟がいることがわかった。


要がどんな状況であろうと、どんな傷を背負っていようと、絶対に全てを受け入れなければならない。



高校の時、自分のことを気に入ってくれてはいたが10年も思い続けるなど不可能だ。


今はもう恋人がいるだろう。

それでもいい。友人として仲間として救いたい。


詮索するつもりなどなかったが、今のままでは

どうしてもいけない気がする。


昔のように要に笑ってほしい。


それだけのために蘭は動こうとしていた。



「あら。早いわね。おはよ」


「おはようございます。菜々さんこそ」



まだ仕事が始まる9時までは1時間以上ある。


菜々《なな》が早く来るのは珍しい。


自分のデスクにバッグをどん、と置いた菜々が

窓に近づいてブラインドを上げた。


南向きの窓からの日差しはそこまでキツくない。

電気はつけていたものの一気に部屋の中が明るくなり蘭は目をぱちぱちとさせた。



「桜《さくら》ちゃんが今日ダメみたい」


「え」



双極性障害を患っている桜が出勤できないということは今までにもあった。


しかしここ半年ほどはそれがなかったので

快方に向かっているとみんな思っていた。



「今、見に行ってきたんだけど思ったより元気

だった。桜のママさんも一応診てもらおうかなって言ってたレベル」


「良かった。最近大丈夫だったもんね」


「てかさ治んないんだね。

治ったと思ってたのに」



桜の様子を見に行くために菜々は家を早く出たのだ。

いつも、帰りもなるべく桜と一緒に帰っている

菜々は桜にとって頼りになるお姉さんだろう。



「数日したら出てくるわよね」


「ですね。その分俺たちでがんばりましょう。

桜ちゃんが気にしないように」


「うん。てか佐伯《さえき》くん?顔色悪いよ?

あんたこそ大丈夫?」



菜々に言われて蘭は自分の頬に手を当てた。

確かに寝不足ではあるが体調は悪くないはずだ。


要のことを考えて少し疲れているようだ。



「寝不足だけど大丈夫」


「ほんと?難しい顔してるし」



菜々は心配そうな顔をしながらコーヒーを淹れる。


一つを蘭のデスクに置いて、もう一つを立ったまま口に運んだ。



「ありがとう。そんな難しい顔してます?」


「してるわよ。桜ちゃんよりひどいかも」


「マジか。ヤバいな…」



塔太や要に変だと思われたら困る。

塔太などはどうした、と普通に聞いてくるだろう。


何も知らない菜々でも変だと思っているのだ。


かといって意識して難しい顔をしていないので

どうしたら良いのかわからない。



「体調悪いんじゃなかったら心ね。

悩みごと?お姉さんに言ってみなさい」



アフロのようなボリュームのあるパーマヘアを

揺らして菜々が笑う。


その笑顔が蘭の心を堰き止めていた何かを

溶かした。



「悩みってほどでもないんだけど…

大切な人に心を開いてもらうにはどうしたら

いいんですかね」


「信じる」



即答だった。答えが出るまでに時間がかかると

思って口に含んだコーヒーを、蘭は勢いよく喉に流し込んだ。



「信じる…?」


「信じる、ってその人の全てを受け入れることよね。

信じてもらえてるんだってわかったら心は開かれると思うわ」


「確かに。そうですね」



菜々の言ったことに蘭は自分を責めていた。


要のことを信じていないような気がする。

要に何があったのかは知らないが、それも全て

要の人生なのだ。


過去は変えられない。


要のためにはその過去も信じ、未来も信じることが蘭にできること。


全てを受け入れるとはそういう覚悟だ。



「ただね、信じでもらってるってわかってても

心は開かれない時もある。

心配かけたくないからわざと見せないし、隠す」


「それでも信じるしかないんですよね」


「そうよ。それが佐伯くんにできる

たった一つのことよ」



菜々の言葉が蘭の心に沁みていく。

友人としてでもいい。寄り添えたらいい。



「ありがとう。菜々さん」



手の中のコーヒーがぬるくなった。



「おはよーす」



菜々と蘭が微笑み合いながら残りを飲み干すと

塔太がやって来た。



「桜ちゃん、休み?」


「うん。調子悪いみたい。でも思ったより元気そうだったからすぐに出てくるわ」



菜々がさっき蘭に説明したようなことを塔太にも話していると、要がやって来た。












「え!」



珍しくパンが食べたいと言い出した塔太と

会社の近くのカフェに昼ごはんを食べに行った蘭は

大きな声を出した自分の口を押さえてキョロキョロとあたりを見回した。



「マジか!」


「蘭。なんでそんなうれしそうなんだよ。

俺も行きたかったー、とかじゃねえの?」


「いや、それはもちろんだけどさ。

へえー。山岡がね」



塔太から、半ば無理やりではあったが

昨夜の仕事帰りに要と二人で焼肉に行った

話を聞いた蘭はうれしそうに目を細めた。






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