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4・一目惚れ





要《かなめ》はその親子を見てニコニコしていた。

その笑顔は10年前に見た笑顔より優しかった。



「…」


「ぶどうくんバイバーイ!」


「バイバーイ!」



母親に連れられて姉妹がレジへ向かうと

要はゆっくりとぶどうくんに視線を移した。


姉妹に向けた優しい微笑みそのままでぶどうくんを見ている要。



棚の影からそれを見ていた蘭《らん》の目から涙が一つシャツに落ちた。



踵を返してスーパーを出る。

駅に向かって蘭は走った。



なんで。

なにがどうなってるんだ。



頬に流れていた涙を夜風に乾かす。



なんで俺の描いたイラストを見てるんだ。

あんな風に優しく笑えるのに…なんで。



まとまらない心はバラバラだ。


電車を降りてからも走り続けた。

息が切れる頃、蘭はマンションにたどり着いた。



部屋に入ってバッグを投げ出し、ソファの上で

膝を抱えた。

自分の体が小刻みに震えている。

また涙がポロポロと今度は膝に落ちていった。



たまたまあのスーパーに行って、あの姉妹に会って微笑ましいと思っていたのだろう。


あのぶどうのイラストを蘭が描いたことは以前に資料室で要に言ったが、覚えてるはずもない。



問題はそんなことじゃない。

なぜ…


なぜ要は自分を偽っているのだ。



思い切って聞いてしまいたい。

しかしそれには昔を知っているということを

明かさなければならない。


要にしてみたら全然知らない相手に昔を知っていると言われ、なんで今そんななの?

なんで素の自分を出さないの?と聞かれるなんて気持ち悪いことこの上ないのだ。



「はあ」



いろいろな思いが巡ったが蘭の心の中は

整うどころかバラバラのままだ。


しかしそれもどうすることもできないのだから

仕方ない。


立ち上がった体がゆらり、と揺れる。


壁に手を這わせながら冷蔵庫へ向かうと

無いと思っていた水が一本だけ入っていた。



ゴクゴク、と音を鳴らして体の中へ流し込む。


馴れ合いはしたくない、と言っていたが、

どうにかして素の要に戻す方法はないのだろうか。


陽キャでも陰キャでもなんでもいい。


素の自分を偽って生きているなんて苦しいに

決まっている。


要が楽に生きられるようになってほしい。

蘭がたどり着いたのはそれだけだった。



頬の涙を指先で拭う。


要のことを考えると胸が痛くて苦しくて

どうしようもなかった。









蘭は自分の気持ちとは逆に、要とは仕事での

必要最低限の会話しかなかった。


いつも黙々と仕事をしている要。


そろそろ暑い夏が終わろうとしている。


時間だけが過ぎていくのが歯痒かったが

その先に何か解決できるものがあるかもしれない。


そうであってほしいと願っていた。



「え?18:00?」



仕事が終わって時計を見た蘭は思わずそう呟いた。



「佐伯《さえき》くん。もしかして終わったの?」



菜々《なな》が首を伸ばして、まさかねー、と付け足す。

その近くのデスクでは桜《さくら》もくすくすと笑っていた。



「それが…終わったんですよ。こんな時間に」


「ヤバいな蘭。俺なんてあと2時間は余裕でかかるぜ」


「なになにどうしたの?なんかあったの?

山岡《やまおか》くんは?まさか終わらないよね?」


「あと2時間は」


「だよねー。佐伯くん?熱ある?」



これでも定時を1時間過ぎているのだ。

普段は早くても19:00ぐらいに帰るので全員が

驚きの声を上げるのも無理はなかった。



またギャーギャー騒いでいる菜々を放置して

蘭は会社を出た。


外が明るいのに驚く。夏の終わりの18時は

まだ明るいのだ。



「なんか家帰るのもったいないな。

あ、そうだ」



何の意味もないだろう。

しかし蘭は、要と通った高校へ行ってみようと

思った。


まだ完全に日が暮れるまで時間はある。


行ってみようと思い立っては見たものの

卒業してからは一度も訪れていない。


10年経っているから変わっているだろう。


そんなことを考えながら蘭は駅へ向かった。




「懐かしいー」



電車に揺られること30分。

降りた駅がもう懐かしかった。


ここから高校までは商店街のように左右に店が

立ち並ぶこの通りを抜けたらすぐだ。


10年前から変わっていない店もある。

蘭は想像以上の懐かしさに目をキラキラさせて

高校を目指した。



蘭と要が通った高校は変わっていなかった。

立て直しもしていないのだろう。

古くなった校門から部活動終わりの生徒たちが

楽しそうに話しながら出て来た。



「懐かしいしか出てこないわ。しかし懐かしい」



生徒たちの笑い声に隠れてひとりごちる。

落ちた夕陽を背に校舎を眺めた。


教室棟2階の一番奥。

今もまだ生徒会室なのだろうか。

明かりがついているその窓を蘭は見上げていた。



「え?」



校舎を見上げていたので気づかなかったが

一人の教師が蘭の顔を見て声を上げた。



「あ」


「もしかして…蘭?なにやってんの」


「お前こそ。え?なに?先生?」



ジャージのズボンにTシャツを着た教師は

うれしそうに笑っていきなり蘭にハグをした。

蘭も背中に手を回してバンバン!と叩いた。



「久しぶり!てかここの先生になったの?」


「うん、って言っても今年からだけどな。

そろそろ落ち着かないとならない歳になっちゃったからな」


「まだ外国を転々としてるのかと思ってたよ」



この教師、武市《たけち》は蘭の高校の時の親友だ。


別々の大学だったが卒業するまでは連絡を取り合い月に一度は会っていたのだが、海外を旅するのが夢だった武市は大学卒業と同時に日本を出ていた、


しばらくはお互いの近況報告などをしていたが

それもそのうち途絶えていたのだ。



「まだ転々としたかったんだけどな。

もう30が見えてきたからさすがにな」


「なんだよ。お前らしくない」


「どういう意味?あ、お前暇?

今からメシ行こうぜ。着替えてくるから待っててよ」



この後特に予定もない蘭が頷くと同時に武市は

走って校舎へ戻って行った。




2人が入ったのは商店街に10年前もあった

鉄板焼き屋。


高校生の頃はもちろんはいったことがなかったが入り口に立てかけてある大きなしゃもじを見ただけで腹が鳴っていたものだ。


冷たいビールで乾杯する。

少し日に焼けた武市がうれしそうに何度も

グラスを当てた。



「こっち帰ってきてるんなら連絡して来いよ」


「マジそれな。ごめん。もう余裕なくてさ。

教師なんてなるつもりなかったし。

仕事慣れるまで必死だったんだよ。ってか今も

毎日帰ったらすぐ寝てる」


「大変なんだなあ。人相手だもんな」


「今の高校生って俺たちの時みたいにピュアじゃないんだよ。めんどくせえぞ」



そう言って武市は口に手を当てて笑った。

生徒はいないにしろ、高校の近くの店だ。

保護者がいるかもしれない。



「蘭は?続いてんの?デザイナー」


「なんとかな。今日、入社して初めてこんなに

早く帰れたからさ、10年ぶりに学校見に来たんだ」


「そうだったのか。残業ヤバいって言ってたもんな」



2人の目の前の鉄板からは香ばしい湯気が立ち昇る。


海外へ行っていた武市は他に連絡を取っている

友達はいなかったので、蘭が今も繋がっている

友達の話をうれしそうに聞いていた。



「お前、生徒会だったから友達多かったのにな」


「生徒会のヤツらとも、初めは数人連絡取ってたけどな。今は全然。

余裕ないってヤバいよなー」



武市は生徒会で要と一緒だった。


蘭が要と初めて話したあの日も武市を迎えに

生徒会室を訪れたのだった。


武市なら何か知っているかもしれない。


蘭はビールを一口飲んで座り直した。



「生徒会長とは?連絡取ってた?

確かお前同じ大学だったよな?」


「要?要がなんかあったのか?」



聞き返されるとは思わなかった蘭は瞬きをして

嘘の理由を考えた。


同じ職場だとは言えない。

言ったら武市のことだ。会わせてくれと言い出しかねない。



「この前、生徒会長に似た人を見かけたんだよ」


「どこで?」


「日暮里」



思わず会社の最寄駅を言ってしまったが

武市は、そうか、と頷いていた。


やたらと食いついてくる武市が気になる。

蘭は重くならないように話を続けた。



「なんだよ。生徒会長、なんかあったのか?」


「んー。あいつさ大学中退した、と思う」


「…思う、って」


「3年の終わりかな。急に来なくなってさ。

ラインも電話も出ねえし。

事務に聞きに行ったら個人情報だからとかで教えてくんなくて」



中退。要が?

しかも連絡も途絶えた?


蘭は頭の中で、今武市から聞いた情報たちを

まとめようとしたが点は線にならなかった。



「なんかあったの?」


「なんもなかったと思うんだよ。

結構仲良くしてたけど来なくなる前まで

普通だったし」


「そうか」


「蘭、その似た人に声掛けた?」



箸が止まった蘭の皿に武市が鉄板の上で焦げてきたイカを乗せ、自分の皿にも残りを乗せて口に運んだ。



「掛けるわけないじゃん。生徒会長だったから

俺は知ってるけど向こうは俺のこと知らないんだぜ」


「知ってるよ」


「は?」


「覚えてない?俺を生徒会室に迎えにきた時

要と入り口でぶつかっただろ」



“美人さんだね”


そう言った要の声まで覚えている。

忘れるはずなどなかった。



「俺は覚えてるよ。でも向こうは、」


「お前には言わないでくれって言われてたんだけどもう時効だもんな。要は行方不明だし。

あいつ、あの日からお前のことめっちゃ

気に入ってさ。

俺にお前のことばかり聞いてたんだよ」


「…」


「一目惚れした、ってうれしそうでさ。

でも、お前を困らせるし恥ずかしいから

絶対に言わないでくれって。

だから蘭が声掛けてたら絶対気づくよ」



一目惚れ。同じだった。

蘭もあの日から要のことが頭から離れていかなかったのだ。


それを言葉にすると“一目惚れ”なのだ。



胸が痛くて壊れそうだった。

ぶどうくんを見て微笑んでいた要を思い出すと

涙まで滲んでくる。


しかし武市に悟られるわけにはいかなかった。



「信じらんないけど…覚えててくれてそうなら

声、掛けたら良かったかな」


「今度もし見かけたら声掛けてよ。

まあさ、元気でいてくれたらそれでいいんだけど。

なんかあったのかなって心配だったから」


「うん。わかった」



武市の話が本当なら要は自分のことを覚えている。

それなのになぜ、あんな態度なんだろう。



口に入れたイカは焦げているのに柔らかい。


ゆっくりと噛んでいると、何から救うのかも

わからないが要を救えるのはうぬぼれでもなんでもなく自分しかいないのでは、と蘭は思い始めていた。









よし!と大きな声を出して塔太《とうた》が立ち上がった。



「うわ。もう8時じゃん」



ひとりごとのようだがひとりじゃなくまだ要がいる。


蘭が帰る時にまだ仕事をしていた菜々と桜は

30分前に帰って行ったのだ。



「山岡ー」



ぬっ、と要が顔を上げた。



「終わる?」


「あとちょっと」


「メシいかね?」


「…」



馴れ合いはしたくない、と言われたのももちろん覚えている。


しかしこれからも仲間としてやっていくのだ。


断られるのもわかっていたが塔太は声をかけてみた。



「いや、いい」


「そっか。全然いいんだけどさ…

なんか、頑なだよな」


「人と接すると疲れるだけだから」


「そういう人もいるよな。でもさ、蘭が…

心配してるから」



要がスッと視線をまたデスクに戻す。

帰り支度をしながら塔太は要の様子を伺っていた。



蘭の名前を出した時に明らかに変わった要の表情。


要も蘭のことを覚えているのかもしれないと

塔太は感じた。



「ここでずっと一緒に仕事するんだから。

社長やクリリンみたいにおっさんになるまでな。

蘭はそれを望んでる」



今度は明らかに要は上下の唇を噛んで悲しそうな顔をした。


悪いヤツではない。

何か事情があって蘭のことを知らないフリをして自分たちとも絡まないようにしているのだ。


塔太はグイグイ行った方がいいのでは?と考えた。



「蘭だけじゃない。俺も菜々さんも桜ちゃんもな。

お前と一緒にここで仕事したいって思ってる」


「…」


「さ、帰るぞ。終わったか?」



要が今度はびっくりした顔を上げた。

帰り支度を終わらせた塔太はまた自分の椅子に座った。







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