3・要の態度
アトリエピーチでの初めての仕事の締め切りを
無事に終えた要にいろいろと話も聞きたかったし、
そろそろ馴染んできてもいいのでは、と思った蘭はこの日の昼休みに塔太に相談してみた。
少し初夏を感じさせる日差しに目を細める。
二人がよく行く定食屋の軒もキラキラとしていた。
「ラッキー。並んでない」
「だな。今日何食おうかな。蘭はまたハンバーグ?」
引き戸に見えるが自動ドアになっている入り口から店内に入ると、エアコンのひんやりとした風が二人のシャツを揺らす。
そしてその風に乗って腹が鳴りそうなほどいい匂いもやってきた。
「今日さ、晩飯に山岡を誘おうと思って」
「そうなんだ」
「そうなんだって、塔太も」
「俺も?」
注文して10分。もう二人の前にトレーが置かれた。
塔太はレバニラ炒めをごそっと箸で摘んで
米の入った茶碗の上に乗せた。
「そうだよ。当たり前じゃん。同僚なんだから」
「まあいいけど。てか蘭のことだから
山岡を誘う理由あんだろ?」
蘭の前に置いてあるハンバーグから湯気が昇っている。
鉄板で出てくる少し焦げたここのハンバーグは
蘭の大好物だ。
「あいつ、うちでの初仕事終わったじゃん」
「なるほど」
「室長も褒めてたからどうやって考えたのかも
聞きたいし、ねぎらってやりたいなって」
「なんか、蘭らしいな」
同期の塔太と蘭も、初めての仕事が終わった後に飲みに行ったのが最初だった。
あの時も蘭がお祝いしよう、と塔太を誘ったのだ。
「俺らしいか?」
「蘭は一緒に喜んでくれるし悔しがってくれるし。仲間を大切にするもんな。
菜々《なな》さんも言ってたよ。あんな良い陰キャはいないって」
「菜々さん…陰口やめてくんないかな」
どうせなら普段はあまり行かない、駅を過ぎた
ところにあるおしゃれな居酒屋にしよう、と
塔太は携帯を取り出した。
「あそこ個室あるしな。仕事の話するにはそっちの方がいいだろ」
「予約してくれんの?塔太は仕事早いな」
「よし、取れた。誘うのは蘭に任せた」
「おう」
ハンバーグの焦げた部分を食べた蘭がうまい!と言って笑った。
同じ歳で同じ職場だ。
何かしらの話題はある。
少しでも要のプラスになってくれたらいい。
少し冷えていると思っていた店内も食べ終わる頃にはちょうど良い温度になっている。
この店にも要を誘ってみよう。
蘭は冷たいお茶を飲んでひとり微笑んだ。
定時はとっくに過ぎているがこれは日常茶飯事だ。
残業代は出るのだがなるべく早く帰るようにと
室長の栗谷からは常に言われている。
蘭は今日やらないとならないところまでなんとか終わらせて、ふぅ、とひと息ついた。
「桜ちゃん。もう少しかかる?
私、コーヒー飲みたいからさ」
仕事を終えた菜々が、タブレットとにらめっこ
しているデザイナーの桜のデスクに向かって言った。
「あと、ここ直すだけです。
でも菜々さんゆっくりコーヒー飲んでください」
「いいの?ありがとう。
じゃあ桜ちゃんもゆっくり直して」
アトリエピーチのデザイナーのもう一人の女性、都丸桜は双極性障害を持っている。
普段はなんてことないのだが気分が落ちると
何もできなくなる。
社長の桃田はそれも承知の上で桜のイラストの
上手さに惹かれて採用した。
デザイナーたちにもカミングアウトしているが
みんなは桜に気を使ったりしない。
気を使われることが桜にとって一番気に病むことだとわかっているので、気を使う、のではなく見守る、に徹していた。
「桜ちゃん。締め明日?」
塔太が自分のデスクから首を伸ばしてそう聞くと桜はニコッと笑って頷いた。
「でももうクリリンにOKもらってるんです」
「そかそか。おつかれさま」
室長の栗谷のことを陰でクリリンと呼んでいる桜。
それだけ社長や室長に懐いているのだ。
全てを受け入れて働かせてもらっていることは
桜にとってなりよりもありがたいのだろう。
「やだ。ヤバいくらい可愛く仕上がってるじゃん」
「ホントですか?うれしい」
桜のタブレットを菜々が後ろから目を細めて
見ている。
5歳ぐらいの男の子と女の子が手に泡をつけて
ニコニコとしているイラスト。
[あそんだあとはてをあらおうね!]という
ロゴまで桜の描いたものだ。
「子供たち、これならきっと見てくれるわ。
可愛いもん」
「だといいなあ」
区の児童館の手洗い場に大きな看板を設置する
ことになり、アトリエピーチにイラストの依頼が来たのだった。
任された桜は毎日張り切ってこのイラストを
描いていた。
それからしばらくして菜々と桜は帰って行った。
菜々は用事がない限り桜と帰る。
この後の食事に二人も誘いたいのだが、仕事終わりの桜に無理はさせられない。
蘭と塔太、そして要の三人が部屋に残った。
塔太と目を合わせた蘭が要のデスクに近づいた。
「もう終わる?」
「うん」
相変わらず返事しかしない要は上げた顔をすぐにデスクに向けた。
「メシ行かない?」
「…」
タブレットを充電器に繋いだ要は長い前髪の隙間から蘭を見上げた。
「なんで?」
「なんで、って、ここでの初めての仕事が無事に終わったろ?その話も聞きたいし、
おつかれさまだし」
「あのさ、」
スッと立ち上がった要に蘭は少し見下ろされる。
身長差は5cmほどだろうか。
これは生徒会室の前でぶつかったあの時と
変わらなかった。
「馴れ合いするつもりないから」
「馴れ合いって、」
「おい」
そこまで自分のデスクでおとなしく聞いていた塔太が要のデスクにやって来た。
「今から帰るんだろ?俺たちも帰るから
ついでにメシ食って帰らん?ってだけだよ。
馴れ合いとかじゃないだろ」
「そういうのいらないから」
「山岡。蘭はさ、」
「塔太。いいよいいよ」
仕事上の付き合いだけだ、と要にバッサリ切られたのだ。
これ以上言い合いしてもケンカになる。
自分たちが良いと思うことが万人に共通するわけではない。
ムッとした顔をしている塔太から、要は視線を外して片付けを始めた。
「蘭。行こうぜ」
「あ、うん。山岡、悪いけど鍵頼む」
「うん。おつかれさま」
くるりと背中を向けて自分のバッグの片付けを
し始めた要を蘭はじっと見ていた。
塔太はそんな蘭の腕を掴んで大股歩きで部屋を出た。
「なんなんだよあいつ」
「塔太落ち着け。誘われたら全員が全員喜ぶわけじゃないだろ」
「そりゃそうだけど。言い方あるじゃん。
なんなのあの言い方」
塔太の言うことは一理ある。
同じことを伝えるとしても、言い方一つで相手の心は
傷つかなくてすむ時があるのだ。
「でもさ、ホントはイヤなのに一応先輩だからってうれしい!行きます!とか嘘つかれるのもヤだよな」
「そうかもだけど、あそこまでハッキリ正直に
言わなくてもいいと思うけど?」
まだムカついた顔をしている塔太と無理やり
乾杯した蘭は呆れたような笑みを浮かべた。
もう昔の要と比べるのはやめよう。
今の要を見ればいい。
仕事仲間なだけで深く関わることを拒否している要が今の要だ。
もう、蘭の心を放さない要はいないのだ。
「確かに!てかさ、俺たちも気を使うのやめようぜ。桜ちゃんみたいに見守るだけにしよ」
「見守るのもヤなんだけど」
「そう言うなよ。塔太だって山岡に辞められたら困るだろ?また仕事増えるぞ。
山岡が来てから20時には余裕で帰れるんだから」
塔太が片眉を下げて笑う。
蘭のこういうところは尊敬できる。
普段はおとなしくてあまり意見も言わないが、
蘭はネガティブをポジティブに変えることの
できる人なのだ。
「そうだな。蘭、大丈夫か?」
「ん?俺?」
予約した個室。二人だけなので広々としていた。
ここに今夜、要も来ると信じて疑わなかった蘭は塔太にそう聞き返したが、心は痛んでいたのかもしれない。
「俺には塔太という親友がいるじゃん」
「へ?いつから親友になったんだ?」
「水くさいこと言うなよ。もう6年も一緒に
働いて毎日みたいに一緒にメシ食ってんだぞ?
親友以外の何者でもないだろ」
「ははは」
今度は塔太がグラスを差し出した。
うれしそうに乾杯してきた蘭だったが、
やはり少しだけ塔太には淋しそうに見えた。
ひんやりした夜風が心地良い。
昼間の暑さを忘れるほどだ。
結局二人で晩ごはんを食べただけなので、
いつもと変わらない帰宅時間。
塔太と別れて、蘭は一人駅を目指していた。
「あー。水なかったな」
家の冷蔵庫の中身を思い浮かべる。
少し酒を飲んだので冷たい水があれば助かる。
家の近くのコンビニで買うか。
もうすっかり元通りの温かさになった頬を
ペチペチ、としながら蘭が歩いていると
スーパーの明かりが道路に落ちていた。
「え。まだ開いてんのか?」
あわてて腕時計を見ると21:00前。
スーパーってこんな時間まで開いているのか。
普段はここを通らないので知らなかった。
コンビニで買うよりスーパーで買う方が断然安い。
重いけど何本か買っておこう、と蘭は明かりの中に入って行った。
「ママー!ぶどう食べたい!」
「ちーちゃんも」
5歳ぐらいの姉と3歳ぐらいの妹が手を繋いで
野菜コーナーの前から母親を呼んでいた。
風呂上がりなのだろうか、二人ともパジャマの
ような薄手のスエットを着ていた。
「ママー!ぶどうくん買ってー!」
「ちーちゃんも」
静かにしなさい、と言いながら母親が商品棚の
向こうから出て来た。
「あんたたちアイス買いに来たんじゃないの?」
「アイスも食べたいけど、ぶどうくんがいるもん!ぶどうも買ってー!」
「ちーちゃんも」
姉妹の視線の先には蘭が描いたぶどうくんがいた。
野菜コーナーの壁に飾られているぶどうくん。
少し年季が入ってきたな、と蘭は微笑んだ。
「あら。今年もぶどうくん出てきたんだ」
「かわいいー。おーい!ぶどうくーん!
ね?ちーちゃんもぶどうくん好きだよね?」
「うん」
姉妹に気に入られてぶどうくんは少し照れているように見える。
ぶどうくんのすぐそばの冷蔵庫にはぶどうが
隙間を空けて並んでいた。
「よし。ぶどうくん買おうか」
「やったー!」
「やったー!」
喜ぶ姉妹のそばから手を伸ばして母親がぶどうのパックを一つ取ってカゴに入れた。
蘭がそんな親子を見ていると、その向こうに
人影が見えた。
首を伸ばしてその人影を確認する。
そこにいたのは要だった。




