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2・蘭だけの記憶





「え!マジか!」


「しーっ!塔太《とうた》、声デカい」



今日ももちろん残業だった。


21:00を過ぎた居酒屋は平日だからこその賑わい

なのだろう。

あちこちで仕事終わりのサラリーマンたちが

笑いながら酒を飲んでいた。



「いくらうるさい店だからって」


「ごめんごめん。てかマジ?山岡《やまおか》くんと

高校の友達って」


「友達じゃないよ。

同クラでもないし、単に同じ学校の同じ学年

だったってだけ」



そう言って蘭《らん》はレモンサワーをぐっと飲む。

その前で塔太が片手にジョッキを持ったまま頬杖をついた。



「山岡くん、気づいてないよな。蘭のこと」


「気づくわけないじゃん。俺がたまたま覚えてたってだけだよ。ほら、塔太だって学年全員覚えてないだろ」


「そう言われたら確かに。この前も駅前で声かけられたけどわかんなかったもんな」


好物のイカの姿焼きが運ばれてきた。

蘭は輪の端っこを箸で摘んで熱々のイカを頬張る。


自分だって学年全員覚えていない。

要《かなめ》と自分はその程度なのだ。


わかってはいたけど塔太に説明しながら

虚しくなってしまった。



「言わないの?高校一緒だよ、とか」


「言わない言わない。てかお前、絶対言うなよ」


「蘭が言わないのに言うわけないだろ。

でも…すごい偶然だよな」



要の入社初日の今日は室長の栗谷《くりたに》がつきっきりで仕事を教えていたが、明日からはどうなるのか。


デザイナーは室長の栗谷と塔太、蘭、要、

女性二人を含めての6人。


その中で歳が近いのは蘭と塔太だ。

要も歳が近い方がいろいろと聞きやすいだろう。



「まあ、気づかれなくても仕事仲間だし」


「そうだな。俺らは山岡くんが続いてくれることを願うだけだ」



何度目かの乾杯で二人は要が続いてくれることを切に願う。


蘭はジョッキの側面に落ちていく露にあの頃の

要を姿を浮かべた。



「山岡くんって、昔からあんな感じ?」



塔太は残り少なくなってきた料理を器用に二等分してそれぞれの取り皿に分ける。

店内はいつのまにか入ってきた時の半分ぐらいの客しかいなくなっていた。



「うーん。俺もあんま覚えてないんだけど

あんな感じだったかなあ」



塔太の言った“あんな感じ”とは要が醸し出しているドライ、クール、そう言ったイメージのことだ。


正反対だったんだよ、と言えば良かったが

要を見る塔太の目があまり探るのは良くない。


蘭は取り皿の料理を全て食べてごちそうさま、と手を合わせた。



「そか。緊張してるだけかもな。いうて初日だし」


「だよな」


「明日から気にかけてやろうぜ。

蘭、食ったよな?出るか」



二人で店を出ると外はまだ賑やかだった。


こんな時間に晩ごはんを食べているのは自分たちだけではないと思うと気も楽になる。



塔太と別れて電車に乗り、自分のマンションに

戻ってきた蘭は足がはみ出る小さなソファに寝転んだ。


額に腕を乗せて目を閉じる。


酒を飲んだからなのだろうか少しほてった肌に

要と初めて接触した時の自分の頬の熱さを思い出した。



「ずるいなあ。俺」



塔太の見る目が変わるのがダメだからじゃない。


あの太陽のように明るかった要は自分だけが

知っていたいと思ったからだ。


塔太の言うように緊張しているだけかもしれない。

すぐに以前のようになるのかも。


しかしあの時の要は蘭だけのものだった。



「太陽…ね。今は月?いや、それも違うな」



今日出会った要からは、静かだが月のような

優しさは感じられない。


真逆以上だった。

名前と顔は同じなのに全くの別人みたいだ。


もし今日の要が緊張していないのであれば

ここへ辿り着くまでにいったい何があったのだろう。


蘭が考えたところでわかるはずもないが。



再会できてうれしいことはうれしい。


しかし10年という時はあっという間のように感じるが

長くて遠いのだ。



「さて。風呂入るか。明日も仕事だ」



開けっぱなしのカーテンを閉めようとして

月と目が合ったが、そこには要の顔は浮かんではこなかった。








ぽん、と室長の栗谷に肩を叩かれた。


蘭が振り向いて見上げると栗谷の隣に要が立っていた。



「佐伯《さえき》。資料室の説明頼む」


「はい」


「ひと段落ついてからでいいぞ」


「今、色付け終わったんで。行けますよ」



蘭が椅子から立ち上がると要は軽く頭を下げた。


蘭と要は階段を降りて階下の資料室へ向かう。

隣に並んで歩くことを想定して緊張していた蘭

だったが、要は蘭の後ろを歩いていた。



「ここが資料室。勤務時間内は、っていうか

常に鍵は開いてるんだ」


「はい」



ドアを開けて中に入ると要も入ってきて後ろ手にドアを閉めた。


壁のスイッチで電気をつける。

図書館のような並びにしてある棚の間を蘭は

進んで行った。



「この①って書いてる棚から⑤までがイラスト関係。

今の時代検索したらなんでも見られるんだけど

社長がここにある昔ながらの資料も参考にしろってうるさいから」


「はい」


「これなんてほら昭和だぜ?ヤバいよな」



一冊取ったイラスト集というタイトルの本を

要に見えるようにパラパラとめくる。

見ているのか見ていないのか要は何も言わなかった。



「携帯で写真撮るのもいいし、部屋に持って帰るのもOK。ただし持ち出したら忘れずに必ず返却すること」


「はい」


「…あの、山岡くん」



適当な資料を見ていた要が長い前髪の隙間から

蘭を見た。



「ここでは俺の方が先輩になるかもだけど

同じ歳なんだし、敬語なしでいこうよ」


「…」



刺さるような視線だった。


余計なことを言ってしまったのか。

蘭が次の言葉を探していると要はまた資料に

視線を落とした。



「同じ歳…」


「あ」



そういえば自己紹介の時、要は自分の歳を言っていなかった。

とっさにそれを思い出した蘭は手を顔の前で

ぶんぶん、と振った。



「室長。室長から聞いた」


「…」


「あ、あの、塔太、志水《しみず》も同じ歳。

だからあいつにも敬語いらないから」



要は手に持った資料をパラパラとめくっている。

まるで蘭の声が聞こえていないみたいに

気になったページを目を近づけて見たりしていた。



「俺たちもさ、山岡…って呼び捨てするし」


「わかった」


「うん。えーと、あ、そうそう⑥〜⑩までの棚は今までの仕事をプリントアウトしてまとめてるんだ。

依頼者とか仕事に関するものも全て置いてるから結構な量だけど。

こっちも持ち出したら必ず返却してくれな」



うん、と頷いた要が⑥の棚の方に歩いて行く。

蘭の背中に汗が流れた。


覚えていないということはわかっているが

こうして二人きりで話していたら思い出すかも

しれないという淡い期待が蘭を緊張させていた。


しかしどうもそれは取り越し苦労だったようだ。



「佐伯」


「ん?なに?」



いきなり名前を呼ばれてまた背中に汗が流れる。

大きく息を吸ってから、蘭は要の元へ行った。



「これ、」


「あー。懐かしい。これ俺が初めて描いたんだ」



要が開けているページには楽しそうに笑っているぶどうが2つ。

人間のように手足をつけて動作も楽しそうだ。



「今でも夏になったら出してくれるんだ。

近所のスーパーなんだけど毎年買い物がてら

見に行くんだよ」


「へえ」


「このぶとうくんたちを見て小ちゃい子たちが

かわいいー、とか、ぶどうくーん、とか言って

喜んでくれんの。

そういうの見てたら俺もめっちゃうれしくて、」



ぶどうのイラストからふと顔を上げると

要が蘭の顔をじっと見ていた。


一気に顔が赤くなる。

さっきと意図は違うが、蘭はまた自分の顔の前で手をぶんぶん、と振った。



「しゃべりすぎた。てかそんな見んなよ。

照れるだろ」



顔を見るなと言ったつもりだったのに、要は

パタン、とファイルを閉じた。


要の細く長い指がファイルを棚に戻す。

その背表紙には[佐伯蘭]と書かれていた。


今まで辞めていったのも含めて何人ものデザイナーがこのアトリエピーチから作品を世に送り出している。


一緒に来たとはいえ、その中で自分のファイルを要が選んでくれたことが蘭にはうれしかった。



「なんかここ暑いよな。そうだ。質問とかある?」


「特に」


「そか。じゃあそろそろ戻るか。仕事も山盛り

残ってるし」



うん、と頷いた要を連れて資料室を出る。

4階の部屋に着くまでも要は一言も話さなかった。




自分のデスクに戻った蘭はイラストの最終チェックを

しようとタブレットを置き直した。



10年経ったのだ。蘭もあの頃とは変わっている。

気づいてほしいという思いは強いが、それよりも楽しく仕事をしてほしい。


できる限り一緒に。


卒業の時はもう二度と姿を見ることもないと思っていた要に再会できたのだ。



「いかんいかん。集中集中」



と、タブレットの中の男女の高齢者に微笑みかける。

このイラストで心が温かくなってくれる人がいたらうれしい。


さっき要と懐かしいぶどうのイラストを見たからなのだろうか。

イラストに心を込めることをあらためて大切だと実感した。






要が入社してから一ヶ月が経とうとしていた。



「ほお。いいんじゃない?」



室長の栗谷の声にそこにいた全員がデスクから

顔を上げた。


要が受けた仕事の期日が明日に迫っていた。

完成したイラストのチェックをしていた栗谷が

満足そうに頷いていた。



「ありがとうございます」


「よし。これでいこう。あとは細かいところの

修正だな。こことかもう少し丁寧に」


「わかりました」


タブレットを受け取った要は、特に微笑むこともなく

自分のデスクに戻る。


敬語はなし、と蘭が言ったのを守っている以外

要にはなんの変化もなかった。


朝出社して黙々と仕事をする。

昼休みは何をしているのかわからないが、

蘭と塔太が食事を終えて戻ってくると要はもう

仕事をしていた。



「山岡くん、どう?」



蘭が要を目で追っていると後ろからそう囁かれ、ビックリして椅子から落ちそうになった。



「どう?って、な、なにがよ」


「神秘的じゃない?プライベート謎」


「菜々《なな》さんにはそう見えるんだ」



菜々が持っていたコーヒーを一口飲んで大きく頷く。


壁際に置いてあるサーバーにコーヒーを取りに

行った帰りに話しかけてきたのだった。



「イケメンだしね。見てよあの、目ぇ見えてんの?って聞きたくなるぐらい長い前髪。

前髪の長い人って自分の心を見せたくない人なんだって」


「そう…なんだ」



自分の心を見せたくない。

そう言われれば確かに要からはそんな雰囲気を感じる。


何があったのだろう。

そんなことはどうでもいいと思っている蘭だったがこんな時はやはり気になってしまう。



「知らんけど」


「菜々さん〜」


「でもそうだと思う。佐伯くんもさ、イケメンだけど全然違うんだよね。

二人とも陰なんだけど陰の種類っていうか

陰の質っていうか」


「陰陰言わないでくださいよ」



昔は完全なる陽だった要。

今は誰が見ても陰なのだ。



菜々がコーヒー片手に自分のデスクに戻る。

蘭はまだ要をじっと見ていた。







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