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1・居続けた君なのに




10年経って出会ったあいつは何ひとつ変わって

いなかった…


と、思いたかった。







「おはよう。なあ、蘭聞いた?」



出社してくるなり真っ直ぐ佐伯蘭《さえきらん》の

ところへ行ったのは蘭の同期の志水塔太《しみずとうた》。


勢いよく歩いてきた塔太に目を丸くした蘭は

ん?と言って首を傾げた。


「聞いたって広くない?何のことだよ」


「中途採用で描くやつが一人入るらしいぜ。

助かるよな」



蘭と塔太が勤めているこの会社、アトリエピーチはイラストを描くことを仕事としている。


最近はAIを使えばなんでもできそうなのだが、

社長は人の温かみを大切にするのが売りだ、と言っていわゆるデザイナーたちにデザインさせるのだ。


アトリエピーチの社員は20人ほどいるのだが、デザイナーは4人しかいない。

塔太の言っていた“描くやつ”とはデザイナーの

ことなので、毎日残業当たり前の蘭たちには

朗報だった。



「マジか。うれし」


「しかも中途採用ってことは、どっかで描いてたってことだから即戦力になるんじゃね?」



うんうん、と蘭がうれしそうに頷く。

まだ始業時間の30分前だが、蘭はすでに仕事を

始めていた。


雑居ビルの3階、4階、5階フロアがアトリエピーチだ。


蘭たちデザイナーは4階フロアの一室

デザイン室と呼ばれている部屋で仕事を

している。


点々と置かれたデスクの上にはイラストを描くのに必要なパソコンやタブレット、

そして手書き用の物品や筆立てが所狭しと並んでいる。



「あ、ヤバ。俺も取り掛からないと」


「塔太、締日いつ?」


「明後日」



サッと手を上げて自分のデスクに向かう塔太を

見送って、蘭もまたタブレットに目を落とした。



「もっとハゲてる方がいいかな」



オープンを控えた有料老人施設のイラスト。

蘭が持つペンの先でおじいちゃんとおばあちゃんがニコニコと微笑んでいる。


昔からイラストを描くのが好きだったが

高齢者のイラストは描いたことがない。

柔らかく優しい雰囲気で、という注文なので

色も淡いものにしたがこれではあまり目立たない。


ぶつぶつとひとりごちながら蘭は描いては消しを繰り返していた。



「おはようー」



始業5分前。もうデザイナーたちは出社して

仕事をしている。

そこへ珍しく社長の桃田《ももた》がパンパン、と手を叩きながら入ってきた。



「社長?」


「なんかあったの?」



一つ一つのデスクが離れているので各々が

ひとりごとのように呟いている。

社長の桃田の後ろからデザイン室室長の

栗谷《くりたに》も入って来た。



「おはようございます」



デザイナーたちが挨拶すると桃田はうんうん、と微笑んで部屋の真ん中に立った。



「本日付けで入社する仲間を紹介する。

デザイナーとして先月まで他社に勤めていた…

山岡くん、入って」



どうやら中途採用で入ってくる人を

社長自ら紹介するようだ。


桃田が入り口を振り返ると、その後ろにいた

栗谷も同じようにする。

全員の視線が部屋の入り口に集まった。



「失礼します」



入って来たのは背の高い男。

大きなバッグを肩から掛けて桃田のところまで

歩いてきた。



「初めまして。山岡要《やまおかかなめ》です。

よろしくお願いします」


「…」



カラン、と蘭が落としたペンが床に跳ねた。

しかし蘭はそれに気づいていないのか、山岡をじっと見ていた、



「自己紹介はそれだけ?」


「はあ」


「まあいいか。ではみんなよろしく頼むよ」



張り切って連れてきたわりに要がおとなしいので桃田はすぐに部屋を出て行った。


残された栗谷は、ふう、と息をひとつ吐いて

窓際の空いているデスクへ要を連れて行った。



「ここが山岡くんのデスク。周りにある棚や

引き出しは使ってもらっていいから」


「はい」



大きなバッグをデスクに乗せた要はさっそく

中身を出し始めた。



「午後からは仕事してもらうね。

それまで準備しておいて。わからないことは

この部屋にいる人に、あ、そうだみんなの

ことも紹介しないと」



室長ではあるが栗谷は物静かな男だ。

だからこそ意見や要望をいいやすいのだが。


キョロキョロ、と部屋を見回した栗谷が

塔太と目を合わせた。



「志水くんから時計回りに」


「はい」



塔太がスッと席を立ち、山岡要に軽く頭を下げる。

要も体を塔太の方に向けて頭を下げた。



「志水塔太です。新卒で入って6年目です。

答えられるかわかりませんがなんでも聞いてください」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」



塔太から順に自己紹介をしていく。

みんな同じようなことを言い、要も同じように

返した。


最後に回ってきたのは蘭だった。


椅子から立った時に床に落ちていたペンが

足に当たり、ようやくその存在に気付いた。



「あ、」



蘭がペンを拾っている間も要はおとなしく

待っていた。



「佐伯蘭です。僕も塔太、あ、志水くんと

同じ6年目です。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


「…」



デスクの上に置いた手をぎゅっと握ってから

蘭は椅子に座った。



覚えていないか。当たり前だ。



蘭は激しく鳴っている心臓を掴むように

胸に手を当てた。










高校2年の時、生徒会長に立候補した隣のクラスの委員長。


背が高くてスタイルも良く勉強もスポーツも

できる。

しかもイケメンで陽キャ。校内一モテていた。


それだけではない、

誰にでも優しくて面倒見が良いときていた。


そんな彼が立候補したのだ。

結果はもちろん当選。蘭の高校は2期制ではなく1年間通して生徒会は同じだった。



「やっぱ要くんしかいないよねー」


「生徒会長になるために生まれてきたのよ」



女子生徒たちははしゃぎながら新生徒会長の

山岡要の話題で盛り上がっていた。


男の蘭から見ても確かに女子生徒たちの言う通りだった。

天が何物も与えた結果のような男。

単にうらやましいな、とは思っていた。



そして忘れもしない2年生の6月。

蘭は親友の武市《たけち》を迎えに生徒会室を

目指していた。


新作のマンガが発売されるので帰りに買いに行く約束をしていたのだが、蘭が運悪く担任に

呼び出された。

出さなければならない提出物をうっかり出すのを忘れていたのだ。



「説教かよ。長くなりそうだな。

終わったら生徒会室まで迎えに来て」



武市は生徒会に入っている。

待たせることになってしまった蘭はそれを

承諾して職員室に向かった。



「佐伯ー。お前は真面目なのになんでこういうとこ抜けてんのかなあ」


「すみません。うっかり」


「まだここで書いて出せるもんだからいいけど

これから社会に出てうっかり、とかでは

すまされんぞ」



担任は隣の教師がいないのを良いことにその椅子を自分の方へ引っ張って蘭を座らせた。


書類に記入している間も、担任の説教は続く。

昔からうっかり屋の蘭はこの類の説教も

聞き慣れていた。



「これでいいですか?」


「んー。よし。次は気をつけろよ」


「はい。では失礼しま、」


「だいたいお前はなあ」



まだ終わってはいなかった。

浮かせた腰をまた沈めて、蘭は膝の上に置いた

自分の手を見ていた。


その10分後。隣の教師が職員室に入って来るのを見つけた担任が蘭を立たせた。



「来週も絶対出さないと成績がつけられない

提出物があるからな。気をつけろよ」


「はい」



壁掛け時計を見ると1時間も経っている。

やっと解放された蘭は手に掴んでいたカバンを

肩にかけながら廊下を小走りで急いだ。



教室棟の2階の突き当たり。

[生徒会室]と印字されたプレートが引き戸の上の方でなんだか見下ろしているみたいだ。


ここまで小走りでやってきた蘭は少し乱れた息を整える。

生徒会室に入るのは初めてだった蘭はノックをするものなのかどうか迷った。


引き戸の前で中の様子を伺うと、楽しそうな

笑い声や話し声が聞こえる。

会議などをしている風ではない。



「職員室じゃないしな」



と、自分に言い聞かせて引き戸に手を掛けた。



蘭が手に力を入れようとしたその瞬間、

中からバッ!と引き戸が開けられた。



「うわっ!」



引き戸に連れられた蘭は斜め後ろに倒れ、

床に尻もちをついた、はずだった。



「ごめん。大丈夫?」



目の前で驚いた顔をしていたのは生徒会長の

山岡要。


そして尻もちをついているはずだった蘭の体は

要の腕一本で支えられていた。



「…」


「ケガない?ごめん。人がいるとは思わなくて」



要は両手で後ろに倒れそうな蘭の体を起こす。

思わずぺちゃり、と座ってしまった蘭の前に

要もしゃがんだ。



「あ、こっちこそ。ごめん」


「急に開けた俺が悪いから」


「いや、大丈夫だから」



蘭が立とうとすると要はまた蘭の背中に手を回して支えた。


至近距離で見る要は遠くで見る時よりも整った

顔をしていた。


意味もなくなぜか顔が赤くなってしまった蘭は

瞬きを繰り返すことしかできなかった。



「美人さんだね」


「は?」


「君。言われない?」



蘭は小さい時はよく女の子と間違えられていた。

別に嫌とかではなかったが可愛いと言われるのには少し抵抗があったのだ。


自分は男なのに。

かっこいいと言われた方が合うはずなのに。


そう思ってきた蘭に[美人]という言葉は

刺さった。


美人とは美しい人。女の子に間違えられるのが

嫌ではないのに可愛いと言われるのが苦手だった蘭の願いに適っていたのだ。


「あの、」


「おい。蘭。なにしてんだよ」



要の後ろから親友の武市がひょこっと顔を出して笑っている。

相変わらずどんくせえな、という言葉まで足された。



「悪い。待たせた」


「説教終わったのかよ」


「なんとか」


「要。俺帰るわ。今日はもうなんもないよな?」



武市に要が頷くと、武市は部屋の中へカバンを

取りに行った。



「あの、ありがとう」


「ホントごめんね。ケガなくて良かった」


「こう見えて頑丈」


「蘭、めっちゃ華奢に見えるけどな」



蘭、と要に呼び捨てにされてまた顔が赤くなる。

要はそれに気づいていないのか蘭を追い越して

廊下を歩いて行った。



接触があったのはそれだけだった。


要は友人も多く、生徒会長をしているだけあって知り合いも多い。


毎日の出来事も蘭の何倍もある。

蘭が忘れられなかったことも要にしたら

日常のほんの一コマなのだ。



しかし蘭の胸の中に要はずっと居続けた。


10年経った今もまだ、ずっと。








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