第2話:最初のお客様は、プルプルとピピッ
「ピピッ? ピピピッ!」
看板を掲げたばかりの俺たちの目の前に、愛らしい鳴き声が響く。
そこにいたのは、若い男女の冒険者二人組だった。
彼らの足元では、二匹の不思議な生き物がせわしなく動いている。
一匹は、白くてフワフワの長毛が生えたスライムだ。水まんじゅうのようにプルプルと震えながら、イチゴのような甘い香りをかすかに漂わせている。
もう一匹は、鷲の翼とライオンの身体を持つ、生後数ヶ月ほどの小さなチビ・グリフォン。本人は一人前の猛獣のつもりらしく、俺たちに向かって「ガルル!」と小さな羽を広げて威嚇しているが、その声は高くてただただ可愛い。
「あの……すみません。ここ、魔獣を預かってくれるペットホテルって本当ですか?」
新米らしき男の冒険者が、恐る恐る看板と俺たちの顔を見比べた。
「ええ、本当ですよ! 今日オープンしたばかりの『アルカディア』へようこそ!」
フィオがすかさず一歩前に出て、営業用の完璧なビジネススマイルを浮かべた。
その隣で、メリンも「可愛いお客様ですねぇ」と目を細めている。
「助かったあ……! 急に明日からのダンジョン調査の応援に呼ばれちゃって、宿屋じゃ預かれないって言われて困ってたんだよ」
女の冒険者がホッとしたように胸をなでおろす。
聞けば、このスライム・ウールとチビ・グリフォンは、彼らがテイムした大切なお留守番ペットなのだという。
「お任せください。俺がオーナーのレントです。大切なご家族、明日まで責任を持ってお預かりしますね」
俺が優しく微笑みながら一歩近づくと、チビ・グリフォンが警戒したように「ピィーッ!」と鋭く鳴き、男の冒険者の足元へ隠れようとした。
「あ、ごめんね。この子、まだ人見知りが激しくて、俺たち以外が触ろうとすると暴れちゃうんだ」
「なるほど。旅の疲れと、急な環境の変化でナーバスになっているみたいですね」
俺の目は、すでに職人のそれへと切り替わっていた。
チビ・グリフォンの小さな翼の付け根。そこが、長旅の緊張のせいで不自然に強張っているのが見える。ウール・スライムの方も、表面のフワフワな毛並みが少し乾燥して、プルプルとした弾力が失われつつあった。
「よしよし、怖くないよ。頑張って歩いて、ここが凝っちゃったんだね」
俺はそっと目線を合わせ、刺激を与えないように極上のフェザータッチでチビ・グリフォンの羽の裏側に触れた。
そして、ピンポイントで緊張をほぐすように、親指の腹で優しく円を描くようにマッサージを施す。
「ピ、ピィ……? キュ、キュ〜ウ……❤」
次の瞬間、チビ・グリフォンの瞳から完全に敵意が消え去った。
それどころか、気持ちよさそうに目を細め、喉を鳴らしながら、俺の掌に自分から頭をぐいぐいと押し付けてきたのだ。
「ええっ!? あんなに人見知りだった子が、一瞬で懐いた……!?」
冒険者たちが唖然とする中、俺はもう片方の手でウール・スライムをすくい上げた。
手のひらの体温で、スライムの体内の水分バランスを調整しつつ、表面の長い毛を毛流れに沿って優しく指先で梳かしていく。
「プルルン……っ、ふにゃぁぁ……」
スライムは気持ちよすぎて限界まで平べったく広がり、まるで上質なイチゴ大福のようになって俺の手のひらに蕩け落ちた。周囲に、さっきの数倍はあろうかという濃厚な甘い香りが広がる。
「す、すごい……。王都の高級スパでもあんなに嫌がってたのに、このお兄さん、一体何者なの!?」
「フフン、うちのマスターのゴッドハンドにかかれば、どんな生き物だってこうなっちゃうんです!」
フィオがまるで自分のことのように、得意げに胸を張った。
◇
冒険者たちが何度も頭を下げながら、安心した様子で仕事へ向かった後。
俺たちはさっそく、ホテルの居間でお留守番の二匹の本格的なケアを始めていた。
「カルラ、この子たちに合わせた特製のご飯をお願いできるかい? グリフォンには細かく刻んだ新鮮な大麦肉、スライムにはハーブ水を少し混ぜた糖蜜がいい」
「ええ、お任せおきなさい。すぐに極上のメニューを作ってくるわね」
カルラが笑顔で厨房へと向かう。
「メリンは、このチビちゃんたちが夜寂しくないように、羊毛で作ったふかふかの特製クッションを用意してくれないか?」
「はいですぅ! 私の最高級ウールをたっぷり使って、雲の上のようなどこまでもとろけるベッドを作っちゃいますねぇ!」
メリンが嬉しそうに作業部屋へ走っていく。
「フィオは、今回の預かり賃の記録と、二匹の健康状態のチェックシートの作成を頼むよ」
「了解です、マスター! 完璧に管理してみせます!」
三人がそれぞれの役割を完璧にこなしていく。
俺はというと、すっかり俺のポケットをお気に入りの寝床にしてしまったチビ・グリフォンをそっと撫でながら、改めてクシを握り直していた。
「よし、ご飯が届くまで、もう一回念入りにブラッシングしてあげよう。……ん?」
その時、ふと、フィオが真剣な顔で帳簿にペンを走らせている姿が目に入った。
彼女が集中するたびに、金の狐耳がピコピコと細かく動く。
(……あ。やっぱり、さっき朝食の時に見つけた耳の裏の毛玉、まだ残ってるな)
プロのトリマーとしての俺の血が、再び激しく騒ぎ始めた。
一度気になってしまえば、職人として放っておくことなど絶対にできない。
「フィオ。ちょっと、そのままで動かないでくれ」
「え? ひゃっ、マスター!? な、なんですかその目は……!」
俺はギラギラとした純粋すぎる職人の目を輝かせ、手袋をはめた右手をじりじりとフィオの狐耳へと伸ばしていく。
あと少し。あと数センチで、あの絡まった毛玉を完璧に解きほぐし、彼女の毛並みを国宝級のシルク肌に戻せる――!
「マスター、ストーーーーップですぅ!!」
ズサアアアアッ! と、ものすごい勢いで滑り込んできたメリンが、フワフワの羊毛ベッドを俺との間に力任せに割り込ませて物理的な壁を作った。
「あぶないところでしたぁ! マスター、お仕事中ですよ! フィオちゃんの耳を撫でたら、責任を取って結婚しなきゃいけなくなっちゃいますぅ!」
「ええっ!? 待ってくれメリン、俺はただ職人として、あの美しい金の毛並みを完璧に整えたいだけなんだ! 職人のこだわりを止めないでくれー!」
「ダメなものはダメですぅー!」
結局、俺の手がフィオの耳に届く前に、メリンと、厨房から戻ってきたカルラの笑顔の圧力によって、俺の職人魂は再び強制終了させられるのだった。
だが、俺たちのホテルがこうして賑やかに、そして最高の形で最初の一歩を踏み出したのは間違いなかった。
この時の俺たちはまだ知る由もなかったが、この最初のお客様の口コミが、王都の勢力図を大きく揺るがすきっかけになるのだった――。
第2話をお読みいただき、ありがとうございました!
無事に最初のお客様であるウール・スライムとチビ・グリフォンをお迎えし、『アルカディア』は最高のスタートを切りました。
レントのゴッドハンドの噂は、さっそく街の冒険者たちの間で広がり始めることに……。
そして次回、あの高級魔導スパのツンデレなライバルたちが、ついにボロ宿へと動き出します!
「続きが読みたい!」「モフモフたちに癒やされた!」という方は、ぜひブックマークや評価での応援をお願いいたします!




