第1話:「ふかふかウールとボロ小屋の朝」
「はふぅ……んぅ、そこ、すごく気持ちいいですぅ……❤」
朝の柔らかな木漏れ日が入る食堂で、羊族の少女、メリンはとろけた声を漏らしていた。
彼女は俺――レントの膝の間にすっぽりと収まり、背中のウールを俺の手に委ねている。
俺の手にあるのは、異世界の職人が一本ずつ削り出した特製の木彫りクシ。
それをメリンの白くフワフワなくせ毛に当て、毛流れに沿って滑らせる。
ただそれだけのことなのだが、俺の指先は、彼女のウールの下にある皮膚のコリや、毛玉の絡まりを一瞬で見抜いていた。
「よし、ここの絡まりが取れたよ。メリン、少しだけ右に傾いてくれるかい?」
「はいぃ……マスターの言う通りにぃ……。あぅ、うぅん、そこぉ……!」
完璧な力加減と角度で施されるブラッシングに、メリンは完全に骨抜きになっていた。
普段はピンと立っている羊耳がふにゃりと垂れ下がり、短い尻尾がパタパタと激しく揺れている。
俺はバトルの才能もないし、チートな攻撃魔法が使えるわけでもない、しがない元中堅冒険者だ。
だけど、昔から生き物の毛並みや体調を整えることに関しては、ちょっとした自信があった。職人魂、とでも言うのだろうか。目の前でゴロゴロと蕩けていくメリンのウールを見ていると、それだけで職人冥利に尽きるというものだ。
「メリン、ずるいです! 毎朝一番乗りなんて不公平です!」
バシャアン、と勢いよく食堂の扉が開いた。
仁王立ちで怒っているのは、狐族の少女、フィオだ。金の髪に、立派な狐耳とフサフサの尻尾。まだ十五歳ということもあって小柄だが、その尻尾は今、嫉妬で激しく逆立っている。
「あらあら、今日はお寝坊さんが多いのかしら? 私も出遅れちゃったわね」
フィオの後ろから、クスクスと上品に笑いながら現れたのは牛族のカルラ。
黒髪を緩い三つ編みにした、包容力あふれるお姉さんだ。手には湯気が立つスープの鍋を持っている。
「あ、フィオちゃん、カルラさん。おはようございますぅ」
メリンがレントの膝から離れ、名残惜しそうに頭を押さえながら極上の笑顔を浮かべた。
「マスターのブラッシング、今日も最高でしたよぉ。身体がポカポカして、毛並みが空気みたいに軽いです!」
「くっ、自慢ですか! マスター、次は私です! ほら、この尻尾の先が昨日から少しゴワゴワして……!」
フィオがタタタッと駆け寄ってきて、俺の膝に自分の尻尾をぐいぐいと押し付けてくる。
「ハハ、おはようフィオ。分かったから、まずは落ち着いて順番に並ぼうか」
「並びます! 一番前です!」
そんな賑やかなやり取りを見ながら、カルラがテーブルに朝食を並べていく。
「はいはい、フィオちゃん。ブラッシングもいいけれど、まずはご飯にしましょう? 冷めちゃうわよ」
カルラが作ったのは、自家製ミルクをたっぷり使った特製のミルク粥と、香ばしく焼けた丸パン。
俺たちはテーブルを囲み、「いただきます」と手を合わせた。
この王都の郊外にあるボロ小屋。元は捨てられていた馬小屋だった場所を、俺たち四人で少しずつDIYして、今の綺麗な我が家に作り替えたんだ。
「うん、カルラのミルク粥はいつも最高に美味いな」
「ふふ、レントさんにそう言ってもらえるのが一番嬉しいわ」
カルラは嬉しそうに微笑む。
実は、ここにいる三人は、みんな過去に辛い経験をしている。
メリンは毛並みがボロボロだからとウール農家から捨てられ、フィオはスラムで飢え、カルラは奴隷馬車の事故で行き倒れていた。
そんな彼女たちを、俺が旅の途中で一人ずつ保護し、ブラッシングで毛並みと体調を整え、美味しいご飯を食べさせていくうちに、いつの間にか家族のようになっていたんだ。
「でも、今日からはいよいよ、この家が『ホテル』になるんですね」
フィオがスプーンを動かしながら、キラキラした目で帳簿をトントンと叩いた。
「ああ。俺たちの家がそうだったように、傷ついたり、飼い主の都合でお留守番をしなきゃいけなかったりする異世界のペットたちを、世界一リラックスさせる場所にしたいんだ」
俺が熱く語ると、メリンが「素敵ですぅ」と目を輝かせる。
しかし、語っているうちに、俺の目はフィオの頭に釘付けになっていた。
「……ん? フィオ、ちょっとじっとして」
「え? 何ですか、マスター」
俺の目は、完全にプロのトリマーのそれに切り替わっていた。
「フィオの左の耳の裏……小さな毛玉ができかけてる。それに、最近の乾燥のせいで、毛流れが少し右に寄っているな。これは職人として見過ごせない。あと数回逆方向にブラッシングして、特製の保湿オイルを塗り込めば、本来の国宝級のシルク肌に戻るはずだ……!」
俺はキラキラと目を輝かせ、クシを構えてじりじりとフィオに近づく。
「ひゃんっ!? マ、マスター、急にそんな熱い目で見つめないでください! 恥ずかしいです!」
フィオが顔を真っ赤にして後ずさる。
「マスター、ストップですぅ!」
すかさずメリンが自身のフワフワなウールを俺との間に割り込ませて壁になる。
「朝のご褒美は一人一回までです! フィオちゃんへのそれ以上のサービスは私が許しません!」
「あらあら、レントさんったらお仕事熱心ね。でも、フィオちゃんが可哀想だからそこまでにしておきなさい?」
カルラが笑顔のまま、背後に無言のプレッシャーを漂わせる。
「待ってくれ! 職人のこだわりを止めないでくれ! あそこを整えればフィオはもっと輝くんだ!」
「ダメなものはダメですぅー!」
結局、俺の職人暴走は三人の鉄壁のガードによって阻止されてしまった。実に惜しい。
◇
ドタバタの朝食を終え、俺はエプロンの紐をきゅっと結び直した。
玄関の扉を開け、昨日みんなで作った木製の看板を掲げる。そこには『ペットホテル・アルカディア』と手書きで温かみのある文字が躍っていた。
「よし、みんな。今日からオープンだ。お留守番のモフモフたちを、全力で幸せにしよう!」
「「「おー!」」」
三人の頼もしい獣人娘たちが、元気よく拳を掲げる。
その時だった。
ホテルの敷地に向かって、トタトタと奇妙な足音が近づいてくるのが見えた。
「ピピッ? ピピピッ!」
それは、何やら必死な鳴き声を上げる、最初のお客様の影だった――。
本作をお読みいただき、ありがとうございます!
無自覚なゴッドハンドを持つレントと、彼を大好きな保護猫気質な3人の獣人娘たちによる、まったりペットホテル経営スローライフがスタートしました。
次回、記念すべき「最初のお客様」がご来店!
一体どんな可愛い異世界ペットがやってくるのか、お楽しみに!
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