十八話
一時間ほどして戻って来た青宗は、肩に布団を担いでいた。
「蔵は燃えてなかった。ちょうど三枚、若者の分だ」
と、布団を三枚、地面に敷く。
「青慈、持ち上げるぞ」
青宗が青慈を抱える。体が浮くと、青慈は短くうめいて腹を押さえた。
「悪い。ちょっとだけ耐えろ」
枯れ葉の上よりは心地がいいのだろう。青慈の表情は和らぎ、安らかな顔になった。
やちよとキヨノも布団の上に座った。普段使っていたものに比べると、古くてかび臭い。けれど洞穴の中では、そんな布団でも安心感を与えてくれた。
キヨノは立っている青宗を見上げる。
「叔父上、父上たちは?」
青宗は無言で首を振るだけだった。
「そんな……」
キヨノの顔は一瞬で青ざめ、目頭に涙がたまった。鼻をすすり、瞬きをすると、ぽたりと大粒の涙が、彼女の手の甲に落ちた。
キヨノの涙はやちよにも伝染した。
彼女たちに申し訳が立たなかった。村民に殺された青午様たち。彼らは鬼なんかじゃなくて、人間なのに……。私があの日、おっとさんに会わなければ、彼らは今日、命を落とすことはなかった。彼らは自分が殺したも同然。全部、全部、私のせい。
家族を失った青慈たちと、無慈悲に殺された百目鬼家の者のことを考えれば考えるほど、やちよの涙は量を増した。
キヨノは三十分ほど涙を流し続けた。そして、もう涙が出尽くしてしまったのだろう。顔を上げた。表情は暗く、瞼は赤く腫れている。
「顔を洗ってきます」
と、キヨノは洞穴から出ていった。
「私も顔を洗って、水を飲みに行ってきます」
「一人で大丈夫か?」
「はい。青宗さんは、青慈さんの側にいてあげてください」
やちよは洞穴を出た。雪は止んでいた。薄暗い場所に慣れた目には、曇り空でも眩しかった。目を細めながら向かって左に進む。岩壁に沿って、亀のような速度で歩く。
岩壁の角を曲がると、屈んで顔を擦るキヨノの姿があった。やちよがキヨノのところにたどり着く前に、キヨノは立ち上がってこちらを向いた。やちよに気がついたのだろう。顔の影を薄くし、早足で向かってくる。
「この先、狭くて滑りやすいのでお気を付けください」
キヨノはやちよの手を取る。赤く熱を持っていそうなその手から、体温を感じられなかった。
キヨノがいた場所に近づくと、乾いた空気がしっとりした。岩肌の極小の穴から、糸のように細い水がちょろちょろと流れ出ていた。それは一つではなく、数えきれないほど数多あった。流れた水は窪みにたまり、小さな池のようになっていた。
やちよは屈み、手を水につけた。水はキヨノの手と同じくらい冷たい。やちよは水をすくい、顔にかけた。擦りすぎて傷ができた瞼に湧水が染みる。でも、青慈さんの腹の傷と、キヨノさんが負った心の傷はこんなものじゃない。これくらいで痛がっちゃいけない。やちよは何度も湧水で顔を洗った。
さんざん自分を痛めつけ、ようやく水を飲んだ。水が喉を通ると、体の中から冷されるのがよく分かった。
「戻りましょうか」
やちよはキヨノに手を引かれ、その場をあとにした。乾いた道になり、道幅が広くなった。やちよはキヨノの隣に並ぶ。気を遣わせないためだろうか。潮が引くように、キヨノの横顔から影がすっと消えた。
やちよは、キヨノに何と言葉をかけていいか分からなかった。足音だけが、虚しく響いている。
洞穴の入口付近、桶を持った夫婦らしき老人が、こちらに向かって歩いてきていた。面をつけていないキヨノは俯く。
彼らとすれ違う瞬間、
「たき!」
と、老女がキヨノに飛びついた。持っていた桶が転げる。老女の見開かれた瞳は、新月の日の空のように真っ黒だ。
「たきなんだろう?」
老女はキヨノの肩を揺さぶった。
「ち、違います」
キヨノは紺碧の瞳を見られないようにか、さらに顔を下に向ける。
「顔をよく見せておくれ」
「婆さん、よさないか」
老父が、老女をキヨノから引き剥がした。キヨノは洞穴の中に逃げ込む。
「たきなわけがないだろう」
「いや、たきに間違いない」
「婆さん、待て」
老父に耳を貸さず、老女も洞穴の中に入った。
中に入ったらまずいかも……。やちよが思ったときには、もう手遅れだった。
「ぎやぁー」
老女の悲鳴がひっそりとした山中に響く。
「どうした⁉」
老父は桶を捨て、洞穴の中に飛び込んだ。やちよもあとに続く。
悲鳴を上げた老女は地面に尻をつけていた。痙攣しているように全身を震わせている。
「おっ、鬼……」
青宗を見たようだ。尻を地面につけたまま後退る。
「百目鬼……。なんでこんなところに」
青野村の村民なのだろうか。老父は百目鬼の名を知っていた。そして青宗を睨みつけている。
「たっ、たき、そっちは危ないよ。早くこっちにおいで」
老女は、青宗の背に隠れているキヨノに手招きをした。キヨノはきょろきょろと辺りを見回す。地面から面を拾い上げると、それを被った。
「婆さん、あれはたきじゃない。鬼だ」
「彼らは鬼じゃないです!」
やちよの叫びがこだました。とっさに出た叫びは耳が痛くなるほど大きく、自分でも驚いてしまった。
老父はやちよを見た。その顔は、糸で引っ張られているように引きつっている。
「お嬢さん、何を言っているんだ? あれが鬼じゃないというのなら、いったい何なんだ?」
「優しい心を持った人間です」
やちよは奥にいるキヨノに寄った。
「やちよ様、何を」
手を引き、老父の前に連れて行く。そして、キヨノの面を剥ぎ取った。
「はっ」
キヨノは短く息を吸うと、瞼を下ろし、紺碧の瞳を隠した。絶対に見せたくないのだろう。瞼に力が入っていて、鼻の付け根に皺が寄っている。
「やっぱりたきだ」
老女は木に登るように、キヨノの腰にしがみついた。
「洞穴の外で彼女を見たとき、鬼だと思いましたか?」
やちよは老父に問う。老父は目を伏せ、口をもぞもぞと動かした。
「……鬼とは思わなかった。ただ、少し変わった色の目をしている人だな、と」
「彼らの瞳は青いです。だから彼らは面で瞳を隠して、自らを鬼だと称しています。本当にそれだけの理由なんです」
やちよは今度、青慈の側に寄った。屈んで、青慈の頬を撫でる。頬が熱い。熱が出ていた。
「彼も百目鬼の者です」
老父は数歩、洞穴の中に入り、奥で横たわっている青慈を覗き込んだ。
「その怪我……、どうしたんだい?」
「青野村の村民から鎌で切られたんです。村民は、私がもうすぐ鬼を産むと思って、私を殺しに来たんです。彼は私をかばって傷を負いました。村民は屋敷を燃やし、彼の父親たちを殺しました。私は、無害な彼らを悪と決めつけ、襲撃してきた村民のほうが鬼のようだと思いました」
政吉に言えなかったことが、今はすらすらと出てくる。
「私は百目鬼家で暮らして彼らを知りました。悪行を行わず、村民のために真面目に働く優しい人たちです。百目鬼の皆さんのことを、鬼なんて言わないでください! 鬼なんかじゃないんですから!」
老父の顔が歪んだ。けれど、彼が自分で顔を歪めているのではない。また涙が出てしまったのだ。やちよは涙で歪んだ視界のまま老父を見た。老父は青慈を見つめたまま、何かを考えている様子だった。
「皆、うちに来なさい」
老父は息を吐き出し、ゆっくりと言った。
「彼も苦しそうだし、あなたも産婦のようだ。こんな寒いところにいないほうがいい」
「ありがとうございます!」
やちよは目を擦り、視界を鮮明にした。青慈を見つめる老父の目は、哀憐の情を帯びていた。
「私は水を汲んでくる。戻ってきたら、家に案内しよう」
「はい。お願いします」
老父はこちらに背を向けると、キヨノに近づいた。そして、キヨノの腰から老女を引き離し、二人の間に入った。
「婆さん、水を汲みに行くぞ」
「たきも連れて行く」
老女は水から上げられたばかりの魚のように暴れ、老父の肩越しにキヨノに手を伸ばした。
「婆さん、その子はたきにそっくりだが、たきじゃない。たきは生きていたら四十三だろう」
キヨノに向かって伸ばしていた手が、静かに引っ込んだ。直後、すすり泣くような声が聞こえてきた。
「そうだったね……」
「そうだ。やっと我に返ったか」
老父は老女の背に手を回し、半回転させると、背をさすりながら洞穴を出ていった。二人の姿が見えなくなると、キヨノはその場にへたり込んだ。
やちよはキヨノの側に寄る。
「キヨノさん、すみませんでした」
肩に手を置いて顔を覗き込む。キヨノは魂が抜かれたような顔をして、虚空を見つめていた。
「やちよ様には驚かされます……」
奥にいた青宗もこちらにやってきた。
「キヨノ嬢」
青宗は面を外し、キヨノの耳元に顔を近づけた。何か耳打ちをしているようだが、やちよには話の内容は聞こえない。耳元から青宗の顔が離れると、
「そうですか……」
キヨノはささやき、瞼を半分ほど下ろした。わずかに開いていた唇も真一文字に結ぶ。その横顔は、何やら複雑そうだった。




