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十七話

 十二月。鈍色の空から白い雪がぱらぱらと舞い落ちる。先月よりも寒さが厳しくなった。火鉢の前から動くのが億劫だ。

 やちよはキヨノの部屋で火鉢に当たりながら、もうすぐ生まれてくる子のことを考えていた。

『その腹……。もしかして鬼の子か?』

 けれど子のことを考えると、化け物を見たときのような父親の顔を思い出してしまう。

 先月、政吉に会ったときにできた傷はまだ痛みをもっていた。それは、いつまでもできたばかりの傷のようだった。かさぶたが張ってくれない。早く傷を治すために、会ったのは父親によく似た別人、だと思い込もうとしたけれど無理だった。あれは間違いようのない、実の父親なのだから。

 やちよはふーっ、と息を吐いた。

 換気のために開けている障子の隙間から、冷風と聞き慣れない騒ぎ声が入ってきた。

「何やら騒がしいですね」

 外の様子を確認しようとしたキヨノが障子を大きく開けると、血相を変えた青宗が部屋に飛び込んできた。

「青宗叔父上、この騒ぎは何事ですか?」

「村民が襲撃してきたんだ! 狙いはやちよ様だ!」

 私……? 訳が分からなかった。吹雪の中にいるみたいに目の前が真っ白になる。

「早く敷地外に逃げろ」

 青宗は、やちよとキヨノの草履を持ってきてくれていた。

「俺は青慈を連れてくる。二人はとりあえず、蔵の裏に隠れてろ」

 青宗は草履をキヨノに手渡した。部屋を出ると、ドンドンドン、と音を立てながら、縁側を走っていった。

「早く行きましょう」

 やちよとキヨノは庭に出て、周囲を警戒しながら蔵に向かう。蔵と塀の間に身を隠す。

「やちよはどこだ! 鬼に洗脳された人間など、腹の鬼と一緒に殺してやる!」

 どこかから男の声が聞こえる。見つかれば殺される。恐怖で全身が震える。キヨノが背中をさすってくれたが、恐怖は和らがない。

「私がこんな身でおっとさんと会ったのがいけなかったんです。きっとおっとさんが、村民に私のことを話したんです。それで村民が襲撃してきたんです……」

「私も同罪です。やはり会わせるべきではありませんでした……」

「キヨノさんは悪くありません。全部、わがままを言った私のせいです」

 急に涙があふれ出てくる。恐怖。それから、百目鬼の皆に迷惑をかけてしまった罪悪感。私が泣いちゃだめ。涙を止めなければ、と思うほど目頭から涙がこぼれ落ちてしまう。

「おお、無事でよかった」

 息を切らした青慈と青宗がやって来た。青宗は薪割り用の斧を持っていた。青宗は無言のまま、敷地を囲っている木の塀に斧を振るう。

「私のせいで……」

 青慈はやちよの頬に手を添えた。涙と冷風で冷えた頬がじんわりと温まる。

「泣くでない」

 青慈が涙を拭ってくれた。滝のように流れていた涙が自然と止まる。

「もうすぐ開くぞ」

 無言で斧を振っていた青宗が言った。それから三回、塀に向かって斧を振ると、人が通れる大きさの穴が開いた。

「ここを真っ直ぐ上がって竹林を抜ければ岩壁があって、そこに洞穴がある。とりあえずそこに逃げればいい」

 やちよとキヨノは塀に開いた穴をくぐり、百目鬼家の敷地外に出た。

「さあ、姉上と一緒に逃げよ」

「青慈も逃げろ」

「俺はここに残る」

「いや、行け。お前はやちよ様の側にいてやれ」

「……青宗叔父上、かたじけない」

 青慈が穴をくぐろうとしたとき、村民たちが蔵の裏にやって来た。

「いたぞ! あいつがやちよだ!」

 やちよは、そう言った声に聞き覚えがあった。顔を見なくても分かる。野原だ。

「殺してやる!」

 鍬、鎌を振り上げた野原と村民二人が、こちらに向かって走ってくる。

「あっ、青慈さん!」

 青慈は敷地内を向き、そちらに引き返した。

「腹の子と一緒に死ね!」

 青宗が叫ぶ野原の腹に蹴りを入れた。蹴り飛ばされた野原は他の村民にぶつかり、地面に叩きつけられる。

「やちよ様、行きますよ!」

「でも青慈さんが」

 もたもたしていると、野原たちと反対側からまた違う村民が二人やって来た。

「見つけたぞ!」

 二人は鎌を振り上げて、こちらに走ってくる。一人は青慈に体当たりされ、蔵に激突した。

「お前も殺してやる!」

 もう一人の鎌が青慈の横腹を掻き切った。

「青慈さん!」

 青慈はうめきながら、その場に膝をついた。腹を押さえる手が血で赤く染まる。やちよは手を伸ばした。届きそうで届かない。

「鬼のくせに人と同じ赤い血を……」

 青宗が斧の柄肩で青慈の腹を切った村民のうなじを殴った。村民はばたん、と顔面から地面に倒れた。

青宗は振り返る。

「キヨノ嬢、早く連れていけ!」

「やちよ様、今は逃げましょう!」

 やちよはキヨノから手を引かれ、引きずり込まれるように竹林へと連れていかれた。

 序盤はなだらかだった坂も、進めば進むほど角度が増す。枯葉のせいで足元も悪い。キヨノでも歩くのが大変そうなのに、身重のやちよには酷だった。思ったように前に進めない。吸い込む冷気のせいで、胸は締め付けられるように痛い。けれど、足を止めれば村民に追いつかれて殺される。重い体に鞭を打って、竹林を必死に進んだ。

 焦げ臭さが周囲に漂い、何かが爆ぜる音が竹林に響いた。やちよとキヨノは振り返り、足を止めた。火をつけられたのだろうか、屋敷がある付近がめらめらと赤かった。

「進みましょう」

 キヨノは前を向いた。握ってくれている手に力が入ったのが、やちよには分かった。

 どれくらい歩いただろうか。ようやく竹林を抜けた。開けた視界に、空に向かってそびえ立つ巨大な岩壁が現れた。

「青宗叔父上が言っていた洞穴とはあそこでしょうか?」

 キヨノは岩壁を指し示した。やちよはキヨノの指先を見る。そこには、岩壁に入口のようなものがあった。見える範囲に、入口らしきものは他にない。

「おそらく……」

「とりあえず行ってみましょう」

 二人は入口らしき場所に行ってみる。そこには、六畳ほどの丸い空洞があった。青宗が言っていた洞穴で間違いなさそうだった。洞穴の奥の方まで行き、身を寄せて座る。

 日の光が当たらない岩肌は、外の空気よりも冷たく、冷水に触れているようだった。布を挟んでいても、岩肌と接している下半身の体温が奪われる。

 やちよがぶるぶると震えながら寒さに耐えていると、キヨノがおもむろに立ち上がった。

「ちょっと外に」

 と、キヨノは洞穴から出て行った。身が触れ合っていてぬくもりがあった腕周りが、寒くなる。

 薄暗い洞穴の中、やちよは腹を切られた青慈や、家に残っている皆のことを考える。私が招いてしまったことなのに。皆は無事なのだろうか。青慈から拭ってもらった涙が、また出てくる。

 俯いて泣いていると洞穴に足音が響いた。涙を拭ってくれる人は誰もいない。自分で拭い、顔を上げる。

 戻ってきたキヨノは面を外していた。外した面の内側に、枯れ葉を山のように盛っていた。キヨノは、自分が座っていたところに枯れ葉を落とした。

「枯れ葉でも敷けば、寒さも少しはましでしょう。どうぞこちらに」

 やちよはキヨノの手を借りて立ち上がった。枯れ葉をかき集めたからだろう。キヨノの手は岩肌のように冷たかった。

 やちよは枯れ葉の上に腰を下ろした。キヨノの手の熱が枯れ葉に移ったのだろうか、暖かいような気がした。

 キヨノはまた外に出て行ったが、ほどなくして、山盛りの枯れ葉を手に戻ってきた。さっきまでやちよが座っていたところに枯れ葉を敷き、腰を下ろす。

 キヨノが腰を下ろしたのとほぼ同時に、洞穴内に石ころが転がってきた。キヨノがやちよに覆い被さる。背中に当たるでこぼこの岩壁が冷たくて痛い。

「俺だ」

「青宗叔父上!」

 来たのが青宗と分かると、キヨノはやちよからどいた。キヨノは立ち上がり、青宗に寄る。

 青宗は青慈を背負っていた。肩から青慈の腕がだらりと垂れ下がっている。青宗の腰には帯がなく、着物が乱れていた。

 青宗は洞穴の奥まで入ってくると、枯れ葉を足で広げた。その上に青慈を寝かせる。青宗の帯は、青慈の腹を締め上げていた。

「青慈さん……」

 青慈は肩で浅く息をしている。やちよは青慈の面を外し、手を握った。やちよの手にもべったりと血がつく。

 青慈は薄目を開けてやちよを見た。

「ああっ……。無事だったか……」

 青慈の声は、微風でも聞こえなくなりそうなほど弱々しかった。喋ると傷口が痛むのだろう。低い声でうめくと顔を歪め、瞼を閉じた。

「叔父上も青慈もよくご無事で」

「姉上たちが、なぎなたを振り回して助けてくれた。あの二人がこなかったら、俺たちも危なかった」

 青宗は言いながら面を外し、額の汗を手の甲で拭った。

「俺は家の様子を見てくる。絶対に戻ってくるから、ここを動くなよ」

 青宗は面を装着すると、洞穴を飛び出していった。彼の背中は青慈の血で汚れていた。

 キヨノは青慈の傍らに屈んだ。

「青慈、しっかりしろ」

 青慈はまた薄目を開けた。だがさっきよりも開いていない。閉じているのと変わらなかった。

「あっ、姉上……」

 キヨノは青慈の口に耳を近づけた。

「ああ、分かった」

 キヨノは地面に置いていた自分の面を手に取った。

「私は水がないか探しに行ってきます。やちよ様、青慈をお願いします」

「はい」

 やちよはキヨノの背を見届けて、青慈に視線を落とす。出血量が多いのだろう。腹を縛っている青宗の帯に、赤黒いシミができていた。

「青慈さん、ごめんなさい……。私のせいでこんな目に……」

「そなたが無傷なら……、それでよい」

「よくないです! 私がこっそりおっとさんに会わなければ、青慈さんはこんな目に遭わないで済んだんです」

「……、お父上と会いたかったのだろう? 仕方がない……」

「仕方ないなんて……」

 青慈はやちよを責めなかった。「そなたが悪い」と言われ、咎められるほうがよかった。キヨノだって、『私も同罪』と言って一緒に、罪の意識に苛まれていた。彼らの優しさに触れ、やちよはまた泣いてしまう。

「今日のそなたは泣き虫であるな……」

 青慈は震える手をやちよの頬に伸ばした。まだ乾いていない血がやちよの頬につく。

「どうか笑っておくれ」

「笑えませんよ……」

「いいから、笑っておくれ」

 やちよは笑おうと試みたが、笑い方を忘れてしまったように笑えなかった。表情筋をどうにか動かしてできた作り笑顔は、不自然なものだった。

「今日、ようやく笑ってくれたな……」

 作り笑顔でも安心したのだろう。青慈の手はやちよの頬を撫でながら、下へと落ちていった。

 やちよは下に落ちた青慈の手をぎゅっと握る。青慈も弱い力だったが、握り返してきた。

「青慈、水を持ってきたぞ」

 と、キヨノが戻ってきた。掌を押しつけて目の部分の穴をふさいだ面の内側に、濁りのない透き通った水がたっぷりと入っていた。向かって左側に進んだところに、湧水が出ている岩壁があったという。

「おお……、すまぬ」

「やちよ様、私は手が離せませんので、青慈の体を起こしてやってくれませんか?」

「はい」

 やちよは力強く頷いた。

「起こしますよ」

 青慈の背と枯れ葉の間に手を入れて、慎重に体を起こす。わずかな刺激でも、青慈にとっては激痛のようだ。ぐうっ、と声にならない声を漏らす。

「さあ、飲め」

 キヨノは青慈の口に面をもっていった。上手く飲めず、口から水がこぼれ、顎先から水がしたたる。やちよは着物の袖口で、びしょびしょに濡れた青慈の口元を拭った。

「もう、いい」

 青慈が言ったので、また慎重に寝かせる。

「やちよ様も頬と手の血を落としたほうがよいかと」

 キヨノが面をこちらに差し出してきた。やちよが頬と手を洗うと、透き通っていた水は赤に染まった。 キヨノは血が溶けた水を地面に撒いた。

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