2-35.王の子
「竜かぁ」
どうもこのミノアニアなる国……というよりこの第三層という世界は、相当昔に竜が滅んでしまった世界らしい。いまはその骨がかつての存在を残すばかりで、いまも現存しているとは信じられていなかった。それが実際登場したのだから、国王が竜を繋ぎ止めるべく、その主であるアレッシアを確保しようというものだ。
そしてルドを人前に晒すことになってしまったアレッシアはといえば、自らの軽率さを心から猛省している。それまでは実力を見せたがらない従者をもっと自慢したいという、わずかばかり残っていた気持ちが、こうして不自由を味わわされたことで、もはや軽率以外の何者でもなかった……と、いまも自分を見張っている者達へ、呆れたように視線を送った。
「……次からは気をつけよっと」
ぼそりと呟き、やることもないので再び望遠鏡を覗いていると、彼女を呼びに来たのはニキフォロスからの使いだ。
なんでも重要な話があるとかで呼び出されたのだが、部屋に赴くと、迎えてくれたのは満面の笑みを浮かべる王子だ。
「ああ、アレッシア殿が間に合ってよかった。いま、そろそろ着替えが終わりそうなんだ」
「着替え?」
場所は無数の布地や服が敷き詰められた部屋なのだが、そこにはすでにニキフォロスや、彼の腹心であるザカリアが待機している。他にもオミロスやケルテラの姿があるのだが、何故かテミスの姿だけがない。
アレッシアが状況を見極めようとしていると、仕切り代わりとなったカーテンの奥から声がした。
「ま、待った! ニキフォロス様、まさかアレッシアを呼んだのですか!?」
「うん。せっかくの晴れ姿は見てもらうべきだろう?」
「い、いや、待ってくださいよ!」
「ニキフォロス、晴れ姿ってどういうこと?」
この部屋が高貴な人にしか開放されていないのは、いくらアレッシアでも理解できる。テミスは奴隷のはずで、このように足元が絨毯を敷き詰められた、柔らかい部屋で着替えることなど……たとえニキフォロスが許しても、密かに周りで待機している、恭しく頭を垂れている使用人が認めるはずがない。
おまけにニキフォロスはずっと笑顔で、機嫌も良さげだ。気になるのはザカリアのなんとも言い難い表情だが、そんな従者などものともせず、ニキフォロスはカーテンに向かって話しかける。
「隠したっていつか露見することだ。着替えも終わってるだろうに、いい加減、諦めてきたらどうだい」
「そうはいっても、俺はまだ、納得したわけじゃ……」
「父上の命には逆らえないと事あるごとに私に言っていたのは君じゃないか。それに、せっかくのお披露目を彼女に見てもらえないのはもったいない。そうだろう、ケルテラ」
「……殿下のおっしゃるとおりにございます」
こころなしか、ケルテラの笑みには肩の荷が下りたような柔らかさがある。
ただ一人、状況が掴めずにいるアレッシアが救いを求めてカリトンを見たとき、カーテンの開く音がした。
反射的に首を動かすと、そこにいたのは困り顔のテミスだ。
ただし頭のてっぺんからつま先まで身綺麗にされている。髪は整えられ、分厚くも綺麗な布地を堂々と纏う姿は奴隷には見えない。
きょとんと目を丸くするアレッシアの視線に、少年は困ったように頬を紅潮させながら視線を彷徨わせる。
ニキフォロスが「どうだい」とアレッシアに問いかける。
「素晴らしいだろう。元々気品のある顔立ちだったんだ。こんな風に着飾れば、彼もきっと王族に相応しい風采のある人間に見えると思っていたんだ」
「あ、うん、すごい」
パチパチと拍手するアレッシア。しかしそこで、はたと気付く。
「王族?」
王族とはニキフォロスを指す言葉だったはずだが、どう雰囲気を読みとってもこの空気感は違う。
「テミスって王子様だったの?」
「そうなんだよ、アレッシア殿」
なぜかテミスよりもニキフォロスの方が嬉しそうだ。テミスの腕を引っ張ると、横に並べるように二人で並んでみせる。
「こうしてみると、私たちは似ていると思わないかい?」
「ん? ん、んんー……言われたら、そう、かも?」
似ているかは微妙な線だが、ニキフォロスがあまりに嬉しそうだから余計な事は言えない。しかしそれでもよかったのだろう。これに気付かない王子は興奮した様子で告げた。
「実はね、テミスは私の腹違いの兄なんだよ!」
「へっ」
「母君の身分があって彼は王族を名乗ることが許されなかったのだけれど、この度の遠征で、父上がテミスに王族に還るよう命令なさったんだ」
「違います、ニキフォロス様」
「そんな、様付けはもうよいと言ったのに。君は本来の姿に戻れたんだ」
テミスは奴隷の時と変わらず丁寧な物腰でニキフォロスを諫めようとしている。本来の姿、と聞いたテミスは気まずそうだった。
「本来も何も俺の母は奴隷なのですから。俺が奴隷なのは何も間違ってはいないんです。それに王が俺に……その、王族になれと言ったのは、不在中の戦で、殿下のご兄弟が二人も亡くなったからで」
「そうだよ。だから君は王族になれた。あの二人と違って、その誠実さは確かに信頼に足る気高い心だよ」
「高く買ってくださるのは嬉しいです。ですが俺は、誠実さなんて……」
アレッシアはミノアニアの国政に疎いが、ニキフォロス王子の遠征中に王子が二人亡くなったのは聞いている。すでに葬儀は済んでいるらしいのだが、同じ腹から生まれたらしいニキフォロスがさほど悲しんでいないのが印象的で、実際アレッシアは、ニキフォロスが他に王子達について一言も話したことがなかったなと覚えている。
これだけだと冷たい印象を受けるが、腹違いの兄であるテミスに喜んでいるから、情がないというわけではない。
きっとテミスが王族になることは、アレッシアが思う以上に難しい話のはずだ。その証拠にザカリアや周りの使用人は、主人が元奴隷を慕う姿を見せるほど目元や頬をひくつかせている。
臣下達の心中に気付いていないはずはないだろうに、ニキフォロスは寂しそうに言った。
「君の扱いについては、もとより父上に進言していたんだ」
「あ、じゃあニキフォロスは、テミスがお兄さんだって知ってたんだ」
「ああ、皆の手前、奴隷として扱うしかなかったけれどね」
いつだったかテミスの父は高貴な人だったと聞いたかもしれない。やっと思いだしたアレッシアは、ニキフォロスがやたらとテミスに信を置いていた理由に納得した。
「そっかそっかー。でもさ、だとしたらなんで危険な任務をテミスに任せたの?」
アレッシアは今回しか知らないが、それにしたって命がけの任務を慕う人に任せるのはどうなのだろうか。テミスはただの人。しかも今回だって、絶対に生きて帰ってくる確信はなかったはずだ。
これがミノアニア流の兄弟愛だとしたら絶対に理解できない代物だが、これには王子なりの理由があるようだ。彼自身も自覚があったのか、やや肩を落としてしまった。
「もちろん彼を送り込むのは迷いがあったよ。そもそも彼を私付きにしたのは、他の兄弟に任せては殺されるか……」
「ニキフォロス様、それ以上はなりません」
険しいザカリアの忠告に、はっと顔を上げるニキフォロスは片手を挙げた。
「すまない……いまのは、聞かなかったことにしてほしい」
「あー…………うん、ちょっと察した」
つまりテミスは望まれない王の子で、彼の命を助けるためにニキフォロスは自分付きの奴隷にしたのだろう。それでも無理難題を命じないわけには行かなかったのは、他に託せる人が少ないことと、他の臣下の目があったから……かもしれない。
オミロスなんかは驚いていないから、もとより知っていたのかもしれない。
でも、とこの国の奴隷体制を考えて首を捻った。
「ミノアニアって奴隷には厳しい印象なのに、王様の一声で王族になれるなんてすごいね」
「ああ、それは……」
ニキフォロスが説明しようとした矢先、背後からカリトンの呆れたような声が掛かる。
「原因はお前に決まっているだろう」




