2-34.王の特別な食客
山稜に位置する三十万の都市は、壮大な自然の中でも、ひときわ立派で目を見張るような景観を誇っている。四季にはやや乏しいが、代わりに寒暖差があまりないおかげで、作物が枯れることはないし、家畜も育てやすい。少し農村部に足を伸ばせば、群れを追い回す牛飼い達の姿の牧歌的な姿が望めるはずだ。
都市の中心には賑やかな広場があり、地元の人々で賑わっている。歌人は神に愛を捧げる詩歌を唄い、またある者は心ゆくままにペンを手に取る。活気に満ちた市場では絶えず呼び込みが行われ、山海の恵みを受けた新鮮な食材が並んでいるから、それだけでも食の豊かさが際立つだろう。
民が敬愛を捧げる王が住まう宮は、どこからでも美しい山々の景色を楽しむことができる。
「……でもなぁ」
ぽつ、とアレッシアは呟く。
この宮の一番高い建物には、天文学者達にとって垂涎ものの、ミノアニアで数台しか存在しない巨大望遠鏡が備わっている。その望遠鏡から民の生活を覗くアレッシアは、入り口を守る衛兵達に聞かれぬよう呟いた。
「どこにも奴隷がいるのを前提にされると、なんか複雑なんだよなぁ」
床や壁の隅々を磨き上げた建物は、このミノアニアの人々にとって誰もが羨むような住まいだ。傍らに立つのは十代前半頃の少年で、不満そうなアレッシアに、彼こそ文句を言いたげだった。
「それがこの国の成り立ちであり、生活だ。決して宮の人間達の前で言うなよ」
彼女の背中を守るのはカリトンである。見た目こそそこらのあどけない少年だが、真実歴戦の猛者であれば、彼が歴戦の戦士以上に優れた勇士であることを見抜けるはずだ。一見ただ佇んでいるように見えて、彼は常に周囲に気を配り、アレッシアに害が加えられないかを見張っている。
カリトンの忠告に、アレッシアは頬を膨らませる。
「言わないもん」
「せめて王族の客人らしい喋り方をしたらどうだ」
「私は街でいいって言ったのに、ニキフォロスのお父さんが許してくれないだけだし」
「ルドのあれは多くの人間に見られすぎた。そう思われるのも当然だろうが」
「だってリンヴェを早くお医者さんに診せないといけなかったじゃないですか。カリトンは反対だったんですか」
「そうは言っていない」
それが竜形態のルドを、ニキフォロス達の前に晒すことになってしまった原因だ。
いまでは大変浅はかだったと反省しているが、事実、リンヴェは無理をしていただけで、身体の状態は悪かったから、この判断が間違いだったとは言えない。
アレッシアは、自分たちに背を向けている少女に向かって声をかける。
「ねーレア、リンヴェはもう大丈夫かな」
それは侍女の服装に身を包んだ奴隷の少女で、彼女は振り向きもせずに言った。
「目を覚ましたって聞いたんだから、会いに行けばいいじゃないの」
「だってリンヴェがいる宮って王族の人達がいるところだし、奥に行くほどみんなの目が怖くて行きたくない」
「そりゃおとぎ話の竜を従える娘が現れたんだから、みんな興味津々でしょうよ」
「違うって言ってるのに。ところで誰も見てないんだから、振り向いてもいいよ?」
「やだ。見つかったら怖い」
望遠鏡は高価な品だから、奴隷は見るのも許されないらしい。
つまらない、と呟くと、凝ってもいない肩をほぐすように右肩を回して動かす。少女と言うより中年臭い仕草に、カリトンが露骨に嫌な顔をした。
「なにをしてるんだ、お前は」
「四六時中見られてるのが窮屈すぎて」
アレッシアはいま、ニキフォロスの父であるミノアニア王の賓客として宮廷に滞在している。その原因はすでに推測できているだろうが、竜形態を多くの人間に見られたのが原因だ。あの脱出後、すぐ意識を失ったリンヴェを医者に診せるため、ルドには空を駆けて夜が明ける頃まで飛んでもらった。アレッシア自身、初めて見る生き物に興奮していたのと、他には実は結構緊張していたのも半分はあったか。なにも考えずにミノアニア軍と合流したら、逆に彼らを混乱に陥れて大騒ぎ。こうして首都に到着すると、あらゆる証言から竜の存在を知ったミノアニア王が歓喜し、見知らぬ一行を下にも置かぬ扱いで迎え入れた。
要は政治に使われるか、動物園の客寄せパンダか何かの役割だ。そのくらいではアレッシアでも理解できたから遠慮しようと思ったが、まだミノアニアは去れないと、結局王の招待を受け留まり続けている。
その際、数多の世話役の侍女を付けられそうになったので、流石にそれは御免だと思い、世話役として指名したのがレアだ。
ねえ、とレアが声を潜めて尋ねてくる。
「ルド様っていまどこにいるの? テミスがずっと行方を気にしてるんだけど、ちゃんとミノアニアにいるのよね」
「いると思うよー」
「思うよ、ってねぇ」
「私を見捨てることはないから、どこかにはいるって。それに、ルドはレアが私のところに預けられた理由も察してるから、きっと怖いことにはならないよ」
「ちが……」
反論しようとしたが、やはりその通りだと言わざるをえなかったらしい。
表情は見えないが、悔しそうに手の平を強く握りしめたのをアレッシアは見た。
「……ごめん。でも、もし何かあったらあたしのことはどうでもいいと思ってるんだよ。あたしよりテミスを……」
「やだ」
肝心のルドだが、竜形態を解いた後はアレッシアの指示によって姿を隠した。
ニキフォロスや彼の側近といった人達は少し困りながらも、だがルドにはただ労いをくれただけだったが、竜に対する皆の反応が想像以上だった。具体的には竜形態の彼を利用したいという流れが、アレッシアの目を通してですら見え見えだったので、彼を利用されたくないアレッシアが存在を隠したのだ。
故にいま現在、アレッシアはそれとなく宮廷の人々に聞かれるルドの居場所を誰にも教えていないし、自身でも彼の行動を把握しようと思っていない。本当に危険なときは彼は助けに来てくれるだろうし、代わりにカリトンが彼女の身の回りを守ってくれるから、とにかくルドの心の平穏を優先した。
レアがアレッシアの傍に置くことを許されたのも理由があり、申し訳なさそうな少女に、俯かないでほしいと言外に伝える。
「そんなことのために、レア達を一緒に連れて帰ってってルドにお願いしたんじゃないんだよ。テミスはもちろん、レアの命だって、私は見捨てる気はないからね」
王の賓客となればかなりの待遇を与えられるものだが、その身の回りの世話を、アレッシアはテミス一行の仲間にしか許可しなかった。このミノアニアという国では奴隷の役割が厳しく定められており、本来レアが侍女の真似事をするなどは許されない。しかし今回においてはミノアニア王が特例で許可し、アレッシアの自由にさせるどころか、どこに行っても遠巻きで人を派遣するという、片時も目を離さない執着ぶりだ。
はじめこそただ大仰だと笑うばかりであったが、実はアレッシアのお気に入り達を、いつでも首を撥ねることができるぞという脅しの一種なのだと……。
そんな話をカリトンに聞いた時は、彼らの考えが一ミリも理解することができず、開いた口が塞がらなかったのだった。




