2-36.女神の従者
「テミスを王子にするのになんで私が?」
「そんなものはこれまでの行動を振り返ればわかるだろう。この子供が王子になった方が都合がいいからだ」
いくら長生きといえど、カリトンも外見だけは少年だからテミスを子供呼ばわりするのはおかしな光景だが、彼の尊大な態度は不思議とそれらを許容してしまいそうな雰囲気がある。人前ではあまり喋らなかったせいか、彼を知らない者は一見傲慢とも受け取れる態度に眉を顰めたが、王子達が黙っているので傍観だけに留めている。
いまだ要領を得ないアレッシアに、カリトンは眉を顰めた。
「まったく勉強不足にも程がある。お前の後見人達は何を教えてたんだ」
「一般常識」
「その割に学習能力がないな。及第点にもなっていない」
「お勉強しにきたわけじゃないです。意地悪を言う前に教えてください」
「意地悪もなにも、お前を取り込むにはどちらかの王子と婚姻を結ばせればよいと……そういう浅はかな考えのもとの決断だろう」
そう言われた瞬間、アレッシアの脳裏を駆け巡ったのは前の自分が経験したテレビドラマや小説の知識だ。膨大な情報が一気に押し寄せたためか目眩を覚えたが、視界はすっきりと晴れ渡っている。
知っているはずなのに、どうして思い至らなかったのか。
自分でも不思議でならなかったが、謎が解けたことにぱっと表情を輝かせた。
「なるほど、これが政略婚ってやつなんですね」
「嬉しそうだな」
「こんな本みたいなお話って本当にあるんですね」
まさか自分が当事者になるとは思わなかったが、貴重な体験を目の当たりにできたのは喜ばしい。まさにこれこそ本で読んだ、彼女だけでは決して知ることのなかった夢物語。
浮き足だって楽しむようなアレッシアをカリトンは怪訝な表情で見つめていたが、すぐに感情を引っ込めて無表情になった。
奇っ怪なやりとりを一歩引いて観察していたニキフォロスが躊躇いがちに申し出る。
「それで、なのだが……このままテミスを、一度父上に会わせておこうと思うんだ。アレッシア殿も一緒にどうだろうか」
「え、何か企みとかある?」
「な、ない。二心などないから安心してほしい!」
少年は慌てながら弁明する。
「アレッシア殿が父上とまともに顔を合わせたのは、ミノアニアに来たときだけだろう? 再度しっかり御前に顔を合わせた方がいいと思うし、それにいまの時間帯なら母上が一緒のはずなんだ」
「……ニキフォロスのお母さんと私になんの関連があるの?」
「従姉妹殿は母上の預かりなんだ。いまなら一緒に居ると思う」
リンヴェは容体が気になるところだ。同行に同意すると、少年先導の元でぞろぞろと移動を始めるが、ニキフォロスの後ろを歩くテミスはいまいち所在がなさげである。
アレッシアはそんな少年を後ろから観察しつつ、それとなくケルテラの隣に並ぶ。王子達には聞こえぬように話しかけた。
「ね、ケルテラのお告げってこのことだったのかな?」
「……かも、しれませぬな。にしても……」
「も?」
「いえ、以前よりオミロス達がテミスを一目置いていましたから、テミスには何かあるとは思っていたのです。まさかミノアニアの王族だったとは……」
「え、レア達は知ってたってこと?」
会話は二人の後ろを歩く奴隷達には聞こえていたはずだ。しかしレアもオミロスも、素知らぬ顔でアレッシアとは視線を合わせようとしない。これは明らかに意図的なものだと察したアレッシアだが、まあ、と廊下の天井に視線を向ける。
「レア達のことだから、王族とは関係なしにテミスに実力があったんだろうね。それを見抜いたケルテラは凄いのかも」
「妾の宣託は神のご意思ゆえ、導きに従ったに過ぎませぬ。それよりも貴女様の方が、ご存知だったのではないのですか」
意外な言葉に目を丸めると、酷く真面目な表情のケルテラが彼女を見下ろしている。ケルテラのみならず他の者が耳を澄ませている気配を感じながら、アレッシアは首を横に振った。
「私のは違うよ。私はそうした方がいいと思ったから、行動に移しただけ。ケルテラみたいに立派なお告げなんてひとつも得たことない」
神のご意思をとやらを感じられたのなら、女神候補になる前、孤児院でももっと優れた人間でいられたはずだ。この敬虔な巫女に比べれば信奉心など髪の毛先ほどもなかったし、主神との出会いを思えば、相変わらずこの世界の神は傲慢でいけ好かない存在だということを再確認したくらいだろう。
しかし実在する神の悪口を言って、自分がトリュファイナの二の舞になるつもりはない。
乾いた笑いで適当に誤魔化して、後は黙ってニキフォロス達の後を追った。
肝心のミノアニア王だが、ちょうど宴を開きはじめた広間に座していた。奴隷達がひっきりなしに行き来しているのは、宴の相伴に預かる貴族達のために酒や料理を運ぶためだろう。楽士達が賑やかな音楽を演奏する中で、肌を露出させた踊り子達が優雅な体裁きで賓客の目を楽しませている。
踊り子達に目を向ける中でも、ひときわ贅沢に慣れているであろう男は金の装飾品を惜しげもなく身につけている。テミス達の父とは思えぬほど厳つい容姿で、見るだけでも震え上がりそうな威圧感に溢れている。
隣には気品の溢れる女性が座しており、彼らに向かってニキフォロスは膝を折ると、タイミングを見計らったかのように音楽が止んだ。
「父上。母上。ニキフォロスとその兄テミス、御前に参じてございます」
アレッシアも周囲の真似をして膝を折るが、王子達のように恭しく頭を垂れることはない。否、本来ならそうした方が良いのはわかっているのだが、彼女がまず探したのは砦から救出したリンヴェであり、探し人の姿は王の斜め向かいにあった。
少女もアレッシアの視線に気付くと小さく微笑んだが、少女達のささやかなやり取りは、ぴしゃりと飛んできた声で邪魔をされた。
「ミノアニア王の御前ですよ。そこの従者は、なぜ頭を垂れないのです」
どうやら怒っているのは王妃のようだ。彼女はカリトンが跪きもせず、ただ立っているのが許せないようである。
まるで仇でも見るような物々しい形相に、ニキフォロスが割り込もうとする。
「母上、そこの従者殿は、アレッシア殿の……」
「お黙りなさい。そこな神託の娘はリンヴェの恩人であり、我が国の勇士ルドの主と言うからある程度は許しますが、従者まで礼儀を知らぬのは許せません」
アレッシアが王への恭順を示さないのであれば、従ってカリトンも頭を垂れることはない。彼女が周囲を見渡せば、彼らは声なき声でアレッシアに頭を下げろと訴えている。
しかしアレッシアは少し考え込んだ様子を見せると、繊細な容姿を持つ両王子をまじまじと見つめた後……家臣達に傅かれている王を見た。
それは岩のように無骨な印象を与える男だ。長年の戦で刻まれた無数の傷跡を隠そうともせず、むしろそれらを勲章のように誇っている。広い肩と屈強な肉体と、一瞥するだけで従者たちを震え上がらせ、濃く険しい眉の下にある鋭い双眸は、すべてを見透かすような冷たい光を放っている。
場の空気を読むのであれば、アレッシアはカリトンに頭を垂れよと命じなければならない。彼も命令であれば従うのは知っていたが、アレッシアはそうしなかった。
彼の主人は、あの女神ただ一人だ。それを自分が揺るがせてはいけない気がしたから、決断はすぐだった。
「私達はいない方がいいみたい。ごめんねニキフォロス。私は部屋に戻るね」
悩むまでもなく、アレッシアはカリトンの意思を優先することにした。
立ち上がると広間を後にしようとするのだが、これに激昂したのは王妃である。
「待ちやれ。ミノアニア王の御前にて、かような振る舞いは許しませぬ。誰ぞ!」
彼女の一声で衛兵が動き出す。突然のことに息子が止めようとするのだが、それより早く、立ち去ろうとするアレッシアを守るようにカリトンが立った。
「まったく、これだから人の世は度しがたい」
カリトンが剣を抜かなかったのは、彼なりにアレッシアへの礼を尽くしたからだろうか。
少年は右腕を顔の前まで持ち上げると指を動かした。
彼はただパチンと音を鳴らしただけだったが、次の瞬間、二人に武器を向けていた者達に向かって轟音がすり抜け、足元を掬っていく。
その場にいた人達の耳をついたのは、暴風が彼らの間をすり抜ける音だ。衛兵達は余すことなく強かに体を打ち付けて転がるが、テミスといったなにもしていない人達は無事だから、それこそ魔法のような出来事に人々は声を失う。
「よ、妖術!?」
ただ一人悲鳴をあげる王妃を、カリトンはつまらないものを見るように一瞥するが、非難めいた眼差しを向けるアレッシアには表情を崩した。
「文句を言うな。本気だったら壁に叩きつけている」
「カリトンなりの恩情だとはわかってるけど、暴力はよくないと思います」
「不可抗力だ」
畏敬と恐怖を織り交ぜたような視線は、どうにも居心地が悪い。逃げるように去って行く主従を止められる人間はおらず、アレッシア達は足早に広場を後にした。




