廃屋の絵画
私は東京から電車で旅に出た。
東北にある小さな町。
たまたまその町のそばにある、美しい自然の映像をネットで見たことが旅に出た理由だった。
山と森と海。
その映像を見たとき、憧れに似たものを感じたのだ。
「時間が取れたら行ってみたいな」
そんな考えを持っていると、上司から暇を出された。
上司とは永田町の○○議員。
私は彼の政策秘書の1人だった。
暇を出されたのは私の能力が低かったせいではない。そうではなく、議員の不倫報道が流れることになったというので、先回り的に解雇されることになったのだ。
「迂闊なことをマスコミに言うなよ」
そんな言葉を吐くだけで、いままで働いてきた秘書に対する感謝の言葉もない。
しょせんこんなものなのだろう。
政治に憧れがあって秘書になったわけじゃない。たまたま選考採用審査を通ったため、議員の下で働くことになったのだ。
やってみるとまあ、やりがいを感じることもあったが、ほとんどが法律上の問題がないか、他の議員の政策とかぶらないか、そんなことをいちいち気にしながら、地味な書類作りに時間を費やしていた。
そこから解放されると、かねてより行きたいと思っていた、東北にあるK市N村へと旅立つことにしたのだ。
R駅に着いた私は、その場所から歩いて海へ向かったり、気ままに田舎の空気を満喫していた。
「東京とぜんぜん空気が違う」
そんな当たり前の感想しか出ないが、東京の空気は──ここの空気を吸った後で思い返すと、あれは毒だったのかもしれない、そんな風にすら思えてくる。
気を良くした私は、海へ行き、小川で冷たい水に足を入れてのんびりと川遊びをしたりしながら、思うままに旅行先での発見に心踊らせる。
決まりきった観光向けのアート作品などには目もくれず、ただただ童心に返って自然を堪能した。
村にある住宅地を外れ、小さな山の中を散策していたとき──雨が降り出した。旅の二日目のことだ。
私は雨足が弱いうちに山を下りようかと思ったが、木陰に入った途端に「ザ──ッ」と木の葉を打ち付ける大雨が降り出し、私はどこかで雨宿りできる洞穴などないかと辺りを見回す。
すると崖の間に道があり、その先に建物らしい灰色の壁が見えた。
私はそこで雨宿りさせてもらうか、傘を借りれないかと思い、雨音が小さくなった頃合いを見計らって、雨に濡れた地面を慎重に、早歩きでその建物に向かう。
灰色の建物は2階建ての立派な洋風建築の建物で、小さなホテルか別荘を思わせる物だった。
いまはどうやら空き家か、シーズンオフのために誰も訪れていない様子だ。
私は敷地を囲む壁の正面にある金属製の格子門を開けて中に入り、建物の玄関にある立派な扉を叩いた。
「すいませ──ん、雨宿りさせてもらえませんか。いえ、傘があるなら貸していただけませんか──?」
声をかけたが返事がない。やはり人は住んでいないらしい。
ドアのノブを掴んで回すと、驚いたことに鍵がかかっていなかった。
「ギィイィィ──」と鈍い音を立てて開く扉を開けて、建物の中に入る。
そこの空気は淀んでいた。
赤い絨毯や白い壁紙、靴箱や傘立てなどがあるが、靴も傘も置かれていない。
「空き家か……」
私は「お邪魔します」と声をかけて屋敷の中へ靴を脱いで上がった。スリッパが壁際のスリッパ置きにかけてあったので、それを履いて屋敷の中に入って行く。
「荒らしちゃまずいから、あまり動き回らないようにしよう」
そう言って、居間のある場所を見て回る。
掃除が行き届いている──やはり人が住んでいるんじゃないか? そんな考えもよぎったが、だとしたら靴が1足も無いのはおかしいだろう。
それに──人の気配らしいものがまるでない。
空気も少しほこりっぽく、数年間放置されていたのではないだろうか、そんな気がする。
悪いとは思いつつ居間をうろついていると、大きな窓ガラスから雷光が射し込み、続いて大きな落雷の音が周囲に響き渡った。
稲光や雷鳴に驚かされながらも、居間の壁に架けられた絵画などを鑑賞する。
細かな装飾が彫られた額縁に入った絵はいくつかあった。N村の昔の情景を描いた物らしい風景画や、外国の風景。人物画。──そして、私の目を引いたのは、1枚の奇妙な絵だった。
それは、大きな部屋の中に数10人の人々が集まっている絵だったが、どうにも奇妙な感じがする。
「なんだ、この絵……テーマもわからないし、何を描きたかったんだ?」
別に絵画に詳しいわけでもない。
しかしその絵は明らかに変な絵で、椅子に座った偉そうな初老の男の人。そばに立つその人の家族らしい数人の人に2人の侍女。
それは西洋の貴族らしい人たちだったが、あまりにも小さく描かれており、絵の中央にその一団が描かれ──その周辺、それが混沌としたものになっている。
驚いた表情でこちらに手を伸ばす男性。
悲壮感のある表情でこちらを見つめる女性。
泣いている子供。
横になったままの人物。
諦めきった様子の年老いた夫婦らしい人の姿など。
それらが気味の悪い色彩とタッチで描かれ、異様な感じに見えたので、私はその絵に注目して顔を近づけてみた。
「……す、け──て……」
どこからか声が聞こえた気がして、びっくりし周囲を見回すが、やはり誰もいない。
「気のせい……か」
絵をもう1度見ようと、振り向いたときに、異変に気づいた。
絵が……動いている。
2人の年老いた夫婦たちがこちらに手を伸ばしているのだ。さっき見たときは、確かに両腕を下げていた。
悲壮感のある女性の表情は、今や狂気といっていい表情に変わり、こちらに手を伸ばして何かを訴えている。
次の瞬間、絵から黒い影が伸びてきて、私を捕まえようとする。それは数本の黒い腕だった。
私は床を転がってその影をかわすことができた。日頃から行っている柔道のせいだろうか。反射的に危険を察知し、私は壁に架けられた絵画から離れ、距離を取る。
黒い影は、正面に伸ばした手をずるずると絵の中に戻し、それ以降は何もしてこなかった。
私はすぐにその建物を飛び出し、雨の中を走ってホテルに逃げ戻る。
そのとき行った建物が何なのか、あの絵は何だったのか、私にはわからない。ただ、あの黒い手に捕まっていれば、私もあの絵画の中に取り込まれ、外に出ることはできなかったのかもしれない……最近、そんなことを考えたりしている……




