マナリムは牙を剥かん①
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【ダルアークの迷宮】内部から地上に向かう途中……泣き疲れてほとんど気絶のように眠ったレザ。
クロートは危険がないことを確認し、レリルに告げてから隠れて宝箱を設置した。
「創造」
これは、次に来る者たちへの警告だ。
彼が想像した中身は、手紙である。
ここで命を落とした者たちのこと。黒龍の強大さ。
だから命を粗末にするなという、警告。
そして……身を引く代わりにこれを持てと言わんばかりの宝石。
けれど……レザは言っていた。必ず、狩ると。
――恐いし、足がすくんだし、二度と対峙したくないけど――レザが望むなら、きっと力を貸そう。そのときまでに俺も強くなっていよう。
クロートはそう思い、胸が締め付けられるような息苦しさとともにアルの落ち着いた声を思い返していた。
『――レザを、頼む』
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なにをどうやって【ダルアークの迷宮】から逃げ果せたのか……クロートはほとんど覚えていない。
とにかく必死だった。
実際はレザを休ませるためにクロートがかなり無理をしたのだが、肉体よりもむしろ精神が疲弊していて、彼らにはほとんど会話がなかった。
それでも、ようやくここまで来たのだ。
クロートたちは山岳地帯の大きな岩の下、口を開けた【ダルアークの迷宮】から外を見る。
……いまは、昼頃か。
薄い雲がかかる空はどこまでも広がっているのに……頭上で輝く太陽も、青いはずの空も、すべてが色褪せているように感じた。
クロートがレザへと視線を向けると、彼は泣き腫らした瞼をごしごしと擦っている。
歩いている間も時々発作のように涙をあふれさせるレザのことは、クロートもレリルも気に掛けていた。
知られないよう、気付かれないよう、懸命に声を押し殺す姿に、ふたりはずっと気付かないふりをしていたのだ。
「……レザ」
「……ん。行こう」
クロートに向けて、レザは懸命に笑みを浮かべようとする。
行きは大人数だったのに――いまはたった三人。
その現実は、三日ぶりの外の空気をひどく味気ないものにしてしまった。
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「――レリル、クロートッ」
迷宮大国、ルディア王国の王都。
『ノーティティア』本部にふらふらと帰り着いた彼らを、どうやったのかすぐに見つけた者がいる。
出発してから一カ月はとうに過ぎ、いまはエイトゥラス――八の月の半ばだ。
クロートがぼうっと目を向けると、受付のカウンターをひらりと飛び越し、情報を手に入れようと並んだ異様な数の人々を掻き分けながら派手なピンク色の髪をしたエルフが駆け寄ってくる。
「ああっ……よかった、無事だったのね⁉ 本当に……本当に……」
――クランベル。
クロートは口を開こうとして、でも、できなかった。
飛び付いてきたエルフは、クロートとレリル、そしてレザを、これでもかというくらいに抱き締める。
――は、無事なもんか。
クロートはぼうっとする頭のなか、吐き捨てた。
――そう。無事なんかじゃない。
それでも、ここまでレザを連れ帰ったことだけは、クロートに妙な安堵をもたらしていた。
食べず、眠れず――眠ったとしても悪夢ですぐに跳ね起き、苦しむレザを少しでも休ませたいと、自分がなんとかしないとと思ってきたからだ。
「……く、くらん……べる、さん……」
震える声が、クロートの隣……レリルの口からこぼれたのはそのときだった。
彼女は声だけでなく、泥と埃まみれの体を震わせていた。
気丈に振る舞う彼女の感情を繋ぎ止めていた、危ういほど脆い糸がプツンと切れたのだろう。
「う、う……うえぇ――」
泣き出したレリルに、クランベルが腕を緩め慌てたような顔をする。
クランベルはぼうっとしたクロートとレザの様子も確認すると、すぐに声を上げた。
「誰か! 受付を頼むわ! 個室に移動するから治療士を寄越して!」
彼らが疲弊した精神でここまで帰って来られたのは、ともすれば奇跡に近いのかもしれない。
ろくに食事も摂れず、眠ることもできず、彼らはすっかり弱っていたのだ。
個室に通されたクロートは――そのまま崩れ落ちた。
『――クロートッ!』
レリルの声が、ぼんやりと聞こえた気がした。
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目が覚めると、見覚えのある天井が見えた。
『ノーティティア』本部でクロートがよく使わせてもらう部屋のようだ。
――俺……。
クロートはそこで、はっと息を呑む。
――そうだ【ダルアークの迷宮】……『アルテミ』たちと……アルの、死……。レザを連れてレリルと三人で――。
「……」
胸が潰れそうで、クロートはぎゅっと目を閉じる。
呼吸を整えてからそっと首を捻ると、クロートのすぐ右側……彼のベッドに突っ伏すようにして、蜂蜜色の髪の女の子が眠っていた。
「……レリル」
レリルの横髪は頬から口元に掛かり、寝息で揺れている。
彼女は首にかかった白薔薇のペンダントをしっかりと握っていた。
その傍らに古めかしい本が置かれていて、クロートはそっと手に取る。
書いていたんだろう。こんなにつらくて苦しいのに、その物語を。
――レリルはどんな気持ちでいたんだろう。
クロートはゆっくりと体を起こすと、表紙を開いた。
本日分です。
一歩、また一歩。




