第8話 その殺し屋、愛する者(推し)のために戦う①
扉を開けた先にあったのは、ゲームの回想シーンで何度も見たあの部屋だった。
薄暗い石造りの空間。窓も灯りもない、ひんやりと湿った空気が支配する、牢獄のような部屋。
本来は備品や書類を保管するための倉庫なのだろう。壁際には埃をかぶった棚が並び、割れた木箱や、蓋の閉まらない樽が雑然と積み上げられていた。
――そして、その中央に、彼が居た。
乱れた銀白の髪。
蹲る様な姿勢の幼い体躯には、動けぬように縄が巻かれ、細い手足には重々しい鋼鉄の枷が嵌められていた。
その肩は小さく震えていて、規則的な〝トン……トン……〟という音の正体は、彼が床に靴を打ちつけていた音だったようだ。
今すぐにも名前を呼び、そばに駆け寄りたい衝動に駆られたが、少しだけ迷った。
私は、彼を何と呼べばいいのだろう。
確かサフィラは彼のことを――
「ルベル殿下…!」
その声に、彼の肩がぴくりと跳ねた。
そして静かに、ゆっくりと、顔がこちらに向く。私の姿を認めた途端、その瞳はわずかに見開かれる。
「……サ、…フィラ………!?」
乱れ、憔悴しているはずなのに、それでも尚、目を奪われるほどに、美しい貌。
乱れた前髪の隙間から覗く紅い瞳は、焦点が合っておらずどこか虚ろで、影を落とす色素の薄い睫毛でさえ、精巧な芸術品のようであった。
ルベル・フォン・カルブンクルス。私の最愛の人。
かつてはモニターの中にいた遠い存在だった彼と、ただのプレイヤーだった私。そんな私たちが、今、こんな至近距離で見つめ合っている。
「ッッッッッ――!!」
それを自覚をした瞬間。胸の奥で何かが弾け――決壊した。
「……うっ、う、うわぁああああん!!」
思わずこみ上げてきた涙が、ぶわっと視界を滲ませる。
こんなはずじゃなかったのに! もっとスマートに助け出して、颯爽と決めるつもりだったのに!!
でも、でも、
目の前に推しが、最愛の人が、弱った姿で居たら、理性を保てる訳がないだろうが!!!!
うううううう無理無理無理、弱ってて可哀想だけど、可愛すぎる美し過ぎる。これは夢? 現実?
私はしゃくり上げながら彼に駆け寄ると、ガバッと抱きついた。
「ご、ご、ご無事でよかったですうううううう!!!!」
抱きつかれて、ルベルはびくりと肩を震わせた。
縄で動けないはずなのに、ぎこちなく首だけを動かして、私の様子を覗き込む。
「サフィラ、君がどうしてここに……っと、言うよりどうして泣いてるの……?」
困ったような、でもどこか心配するような声音。
それは、幽閉され、衰弱しているはずの彼が、それでもなお「目の前の誰か」を思いやろうとする、そんな優しさを孕んでいた。
だから私は、さらに泣いた。
「ううう…優しいいい……尊い……ッ」
涙が止まらず、嗚咽混じりにごにょごにょと言う。
私の戯言を聞き取れなかったルベルは、首を傾げながら困ったように笑い、
「落ち着いて……僕、どこにも行かないから……ね?」
その一言が、また胸を打つ。
なにそれ!? そんな状況で、私の心配? どんだけ優しさでできてるのこの子は!?
でも、いつまでも感動している訳にも行かない。やるべきことは、しっかりやらねば。
私は鼻を啜って、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、彼の身体に巻かれている縄をほどく。
そしてその流れで、先ほど使ったヘアピンを再び手に取り、手枷と足枷の鍵穴に差し込んだ。
――カチャンッ
無事に解錠された金属音を聞いて、安堵する。
「一刻も早くここから出ましょう」
私はそう言って手を差し伸べた。
ルベルは、一瞬戸惑ったように私の顔を見つめ、それからおずおずと手を伸ばしてくる。細く、冷たいその手を、私はしっかりと握った。
「……立てますか?」
問いかけると、彼は小さくうなずき、ゆっくりと体を起こそうとするが、
「……ん、ちょっと無理かも……」
小さな声でそう漏らし、膝をついたまま、ぐらりと身体が傾いた。
「わっ、危ない!」
私は慌てて彼の肩を支えた。
その身体は驚くほど不安定で、酷く冷え込んでいた。弱っているのが伝わってくる。
「無理、しないでください。立つのは私が支えますから」
そう伝えると、ルベルは少し恥ずかしそうに目を伏せ、それでもまっすぐな声でこう言った。
「……ごめん。ありがとう、サフィラ」
その一言が、また胸を打つ。
ルベルの「ありがとう」。
それは、ゲームでも何度も耳にした、彼の口癖だった。
日常パートでも、あの泣けるイベントでも、ラスボス前の決戦前夜でも……沁みる。沁み渡る……。
感極まって、またもや涙腺が緩みかけたけど、我慢だ。今は、彼を無事にここから連れ出す。それが最優先事項だ。
部屋から出るために、ドアノブに手を伸ばそうとした時、
――バタバタバタバタッ!
と、騒々しい靴音が聞こえてきた。
数は、二、三……いや、二つは遠ざかった。残った一つ分の音がコチラに向かってくる。
「サフィラ?」
ルベルが不思議そうな顔で私を見つめてくる。
「……ルベル殿下、下がっていてください」
身体をドアの方に向け、私はルベルを庇うように立った。




