第7話 その殺し屋、地下へ行く
「少し前に、どなたかと一緒に王宮の方へ向かわれましたわ。何かあったのかしら?」
先ほどの令嬢の言葉を反芻しながら、私は王宮へ向かって駆け出していた。
ドレスが重くて走りにくいが、不思議と足取りは軽い。思っていたよりも速く、しかも長く走れている気がする。
私の知っているサフィラは、こんなに機敏なタイプではなかったと思うけど――子どもの身体だからか、身軽に感じているだけかもしれない。
(そんなことより……)
嫌な予感というものは、得てして当たってしまう。
私は昔からそういうタイプだ。最悪の可能性が頭をかすめるたびに、胸の奥がザワザワと音を立てて騒ぎ出す。
私が、この世界に転生した事実に動揺していたばかりに、ルベルを地下倉庫に誘導しなかった。
だから痺れを切らした〝公爵サイド〟の誰かが、代わりに動いたのかもしれない。
王宮へと続く道。初めて通る筈なのに、妙に懐かしい。私は、かつて何度もゲームで見たあの景色を、今まさに走っている。
記憶の通りこのまま真っ直ぐ走れば、目的の場所に辿り着ける筈だ。
そして、ふと先程誰かに呼び止められたことを思い出す。
それどころじゃなかったから、あんまり覚えて居ないけど、ひたすら黒い人物だった気がする。
ぼんやりと朱赤みたいな色も見えていたような?
まぁ、そんなことはどうでもいい。それよりもルベルだ。ルベル。
私の嫌な予感が当たっているとしたら、ルベルは私が誘導するはずだった王宮の地下倉庫にいる。
ゲーム内の描写では、彼はそこに一週間近く幽閉され、飲まず食わずのまま放置される。
ただ閉じ込められるだけではない。誰にも声をかけられず、存在を無視されたまま、冷たい床に横たわるだけの日々。
暗闇の中で聞こえるのは、自分の鼓動と、誰かが遠くを歩く足音だけ。
叫んでも騒いでも、この分厚い壁の前には意味がなく、まるで、世界から忘れられていくような感覚だったそうだ。
ルベルは、確かに両親からの愛情には恵まれていた。
だが一方で、貴族社会からは〝愛妾の子〟だと疎まれ、彼らがルベルに向ける視線は、あまりにも冷たかった。
そんな冷笑や敵意に晒されて育った彼は、知らず知らずのうちに、自分を責める癖を身につけていった。
周囲に認められたい一心で、勉学に励み、武芸を磨き、礼儀や立ち居振る舞いも常に完璧を目指してきた。
『……どんなに頑張っても、僕は認められないんだ』
『努力をしたって無駄なんだ』
ルベルは心の中で、己の無力さを噛みしめる。そして、信じていた〝女の子〟に裏切られた事実も。
この牢獄は、そんな彼の心を蝕むには、あまりにも最適すぎる場所であった。
目を閉じれば、何も聞こえない。ただ、自分の鼓動だけが、トクリトクリと孤独を刻む。
やがて彼は、静かに思考を止め、ただ、待った。このまま、誰にも知られずに終わる時を。
その後、ルベルは極限状態の中で発見され、王の側近である騎士団長ヘリオドール卿に保護された。
そして目を覚ましたとき、彼は静かに誓った。
『僕は、もっと強くならなくちゃいけない。誰にも負けないように。――もう、誰にも騙されないように』
誰かに認められる為じゃない。そう、他でもない、自分自身の為に。
ルベルの「完璧な王子様」という在り方は、そのような過程を経て形作られていったのだ。
(くうううっ、ルベルのこのエピソード、今思い出しても泣けてくるッ!)
このエピソードがあるから、ルベルが強くて気高く、そして儚くも逞しい王子様になったんだと思うと、もう尊すぎて語彙が溶けてなくなる。
――そんなことを考えながら走っていると、視界の端に目的の場所が見えてきた。
王宮の外れ、ひっそりと佇む倉庫の裏手。蔦が絡まる石造りの壁に、錆と苔にまみれた鉄扉が隠されていた。
ここだ。ゲームでも見た、あの場所だ。
王宮の地下へ続く道は、主にふたつある。
ひとつは、王宮内部にある正規の通路。
もうひとつは、今私が立っている、この隠された階段だ。
正面から行けば、確かに最短でたどり着ける。
でも〝わかりやすいルート〟と言うのは、同時に〝罠を張りやすいルート〟でもある。
つまり、誰かがいる可能性が高いということだ。…たとえば、公爵サイドの見張りとか。
実際、ゲームでのルベルの発見が遅れたのも、公爵の息が掛かった見張りの兵士が「誰も来ていない」と報告したせいだったらしい。
誰がどこまで動いてるかは分からない。でも、経験上こういう時は〝誰にも注目されていない道〟を選ぶのが、正解だ。
こういうのは理屈じゃない。身体が覚えている――殺し屋の勘ってやつだ。
扉の奥には、石の階段が地下へと続いている筈。
だが入口は長年の土や苔に覆われ、鉄扉は重く閉ざされている。簡単に入れるような雰囲気ではない。
――それでも、この奥にルベルがいる。
私は立ち止まり、走って乱れたドレスの裾を整え、深く息を吸い込んだ。
「よし……行こう。ルベル、無事で居てね」
蔦と苔を払いのけ、冷たく湿った鉄扉に手をかける。ひやりとした感触が肌を刺す。どうやら鍵は、かかっていないようだった。
子どもの身体で押し開けるには少し重いが、全身を使って押し込むと鉄と石が擦れ合い、ギィィィ……と低く長い軋みが静寂を引き裂いた。
扉の先は、湿った空気と、冷え切った薄い暗闇が支配する無人の通路だった。
かすかに土と石の匂いが鼻を突く。目がすぐに慣れたのは、殺し屋時代の名残だろうか。
――ゲームの外伝で、敵勢力が王宮の地下に侵入したエピソードがあった。
別名「挟み撃ち作戦」と呼ばれており、その際に使われた通路がこの場所なのだ。
私にとっては、ゲームで何度も遊んだ戦闘マップ。図面は頭の中にしっかりインプットしてある。
私は足を踏み入れ、音を立てないように歩き出す。…こういう場面で音を立てないのは、私の十八番だ。
とは言え、武器も持たずに、幼い少女の身体で、こんな場所に来ていることに、全く不安がないと言ったら嘘になる。
けれど、その先にルベルが居る。そう確信しているから怖くはなかった。
◇
少し進んだところで、足を止める。
耳を澄ますと、遠くの方で微かに音がした。
――トン……トン……。
一定間隔で、乾いた何かが床を打つような、そんな音だ。
足音と言うには、いささか軽い気がするし、妙に規則的だ。人の歩調にしては揃いすぎている。
それに、私が立ち止まっても音は止まず、更に遠のきもしなければ近付いてこない。まるで、誰かに自分の存在を知らしめるような音だ。
(……もしかして)
と思い、私は息を潜め音のする方角を探る。
地下室特有の、湿った冷気が頬を撫でるたび肌が粟立つ。だが、足は止まらない。いや、むしろ止めてはいけない。
そんな予感が胸の中でざわめく。
(間違いない、この先だ)
このまま真っ直ぐ進んだ先の突き当たりに、扉があるようだった。私は立ち止まり、息をひそめる。耳を澄ませば再び、
――トン……トン……。
そして、すぐに確信に変わる。
(あの音……ルベルだ)
誰にも気づかれないように、薄闇の中で、じっと何かにすがるように音を立てている。その姿が、脳裏にありありと浮かんだ。
私は駆け寄り、ドアノブに手をかけるが、案の定、鍵がかかっている。予想していたとはいえ、舌打ちしそうになるのを耐えた。
(大丈夫、落ち着け。……こんな鍵、私にとって飾りみたいなもの)
心の中でそう呟き、私はツインテールの左右から、それぞれ細い針金状のものを抜き取る。
まさか、異世界にこんなものがあるだなんて……と驚愕したが、今となっては好都合。
そう。これは、U字型のヘアピン。まとめ髪には欠かせない、ありふれた日用品。だが、簡単な鍵を開けるには十分すぎる工具だ。
私は引き抜いたピンの片方を鍵穴に差し込み、軽くひねってテンションをかける。
もう片方のピンをそっと差し入れ、鍵内部の小さな突起をひとつずつ、丁寧に押し上げていく。
指先に伝わるわずかな手応え。カチ、カチ、と順に正解の位置にはまっていく感覚。
すべてが揃った瞬間、私はテンションをかけていた手首をくるりとひねった。
――ガチャリ。
鈍い解錠音が、静寂を切り裂いた。
鍵開けは、前世からの得意技。この程度の簡単な作りの鍵なら、造作もない。
私は抜いたピンをツインテールに戻すと、ゆっくりとドアノブに手をかける。
いよいよ、推し……いや〝最愛の人物〟とのご対面だ。
胸が高鳴るのは、期待か緊張か。それとも、不安によるものか。
深呼吸をひとつ。そして静かに扉を、開いた。




