第8話 その殺し屋、愛する者(推し)のために戦う②
「……ルベル殿下、下がっていてください」
私は身体をドアの方に向け、ルベルを庇うように立った。さっきまでの涙は嘘のように消えて、全神経が耳と足元に集中していく。
(……近い。あと十秒もない)
ドアの向こうで足音が止まる。ノックも合図もなく――ギィィ……とゆっくり鉄扉が軋む音だけが響いた。
(開けてきた…!?)
私は咄嗟に息を潜める。心臓が、ひときわ強く打った。
相手は手にランプを持っているのか、隙間から差し込む薄明かりが、ゆっくりと広がっていく。
その輪郭が床をなぞり、私のつま先をかすめた時、
「開いてる、だと? ……チッ、誰か先に――」
言葉を切り、視線が私に向いた瞬間、勢いよく鉄扉が壁とぶつかる音と共に怒声が飛ぶ。
「……って、誰だテメェ!?!?」
怒声と共に現れたのは、浅黒い肌で髭面の大柄な男だった。
男は、私の姿を胡乱な目で見たが、すぐにフッと気を緩め、口元を賤しく歪める。
「何だ女のガキ、か。どっから入ってきた?」
男の腰には得物……短刀が携わっており、それを一瞥し、私は一層警戒を強める。
男はニヤニヤと笑いながら、こちらへと歩を進めようとする。
「――それ以上、近づかないでください」
静かに、けれど明確な威圧を込めて言い放つ。
男は少しだけ足を止めたが、怯んだ様子はない。ただ面白がるように口角をさらに吊り上げた。
「おいおい、聞かれたらことにはちゃんと答えるって教わらなかったのかよ? ……嬢ちゃん。貴族の子か? 服も顔も綺麗だ。こりゃあ、なかなかの上玉だなぁ」
舐め回すような視線が、頭の先からつま先までを往復する。触れられてもいないのに、皮膚の上を這うような不快感がぞわりと背筋をなぞった。
「こりゃあ、高く売れそうだなぁ。さて、お嬢ちゃん。もう一度聞くぜ。こんなところで、何してたんだ?」
その声音は、まるで品定めでもするかのようだった。ぞっとする。けれど、ペースは乱さない。
「………道に迷っただけです。できれば、見逃していただけませんか?」
「へぇ、道にねぇ。こんな埃臭い地下倉庫にか?……アンタみたいな貴族のお嬢ちゃんが、ね。そりゃあ、無理があるだろう」
男は鼻で笑いながら、じり、とこちらに一歩踏み出す。
その視線は、私ではなくルベルの方に向いている。
「どうでしょうか。ほら、招待されたお茶会のテラスでたまたま偶然、地下へ続く階段を見つけた……とか?」
皮肉めいた笑みを浮かべたまま、私は淡々と言葉を続ける。
視線を動かさぬまま、ルベルの様子を視界の端で伺った。顔色は悪く、息も浅い。
あの状態では、走らせるのはまず無理だ。やむを得ないけど、――ここはもう、やるしかない。
「……んな訳ねぇだろうが!! なめてんのかクソガキャァ!!」
男の咆哮が地下に響き、殺気がぶわっと膨れ上がる。
この距離、この気配。交渉は、破綻。
私は一瞬でドレスの裾をたくし上げ、重心を低く落とす。視線は逸らさず、呼吸は静かに、しかし確かに整えた。
「ルベル殿下、動けそうなら部屋の奥へ!! 私がヤツを食い止めます!」
その言葉と同時に、私は一歩、前へ踏み出す。
唐突な指示に、ルベルは一瞬ぽかんと目を見開く。
「え、サフィラ……まさか戦うつもりなの……?」
困惑と不安が入り混じった声。それでも、私の目を見た瞬間、彼は何かを悟ったように、そっと息を呑んだ。
――逃げ道は、私が作る。それまで絶対に、あなたを傷つけさせない。
彼は何も言わずに頷くと、ぐっと床に手をつき、震える膝でゆっくりと立ち上がった。そして、おぼつかない足取りで、部屋の奥へと駆け出す。
男は踏み出した私を見て、一瞬たじろいだ。
けれど、すぐに顔をしかめて、腰に携えていた短刀を抜き、逆手に構える。
「チッ……なんか知らねぇが、気味の悪ィガキだなッ!」
――来る。
想定より速く、刃が唸りを上げて振るわれる。
私は半歩、身体を捻ってそれを紙一重でかわした。
鈍い音がして、男の短刀が背後の棚に突き刺さる。木片が散り、埃が舞った。
私はすぐに間合いを詰め、男の腕を払おうとする。
だが、男も咄嗟に態勢を整え、すぐさま斬り返してきた。
短刀とは言え、刃先は大振りで勢いがある。男のパワーに任せた一撃。でも、それは重い分だけ、軌道が読みやすい。
(鈍いな……この程度なら、見切れる)
私はわずかに身を引き、足元の樽を蹴り飛ばす。
「うおっ!?」
男の足元が乱れた。即座に踏み込む。
狙うは右腕、短刀を握る手首――そこに一撃を加え、武器を落とさせる算段。
狙いは正確だった。だが男も、肘を引いて反応する。身体を捻り、逆に短刀の柄で脇腹を狙ってくる。
(読めているッ!)
私は先に動いた。身体を回転させ、男の攻撃の内側へ潜り込む。刃の間合いを外し、わずかな死角に入り込むと、男の視界から私の姿が消えた。
「――っ、どこに……!?」
男は、私を探しながら刃を振り回す。
私は身を低くして滑り込むように、その背後へ回り込もうとする。
……だがその時、男の反応が一瞬早かった。
刃がぎり、とドレスのエプロンをかすめる。布が裂け、白いフリルがひらりと舞った。
「チッ………」
思わぬ一閃に、冷や汗が背筋を伝う。
まだ、この身体の間合いを完璧に掴みきれていないようだ。ルベルの体調もあるし、悠長に構えている場合じゃないのに…!
(………だったら!)
私は丁度足元に落ちていた、割れた木片を掴み取り、そのまま男の視界をめがけて投げつける。
「チッ、目くらましか!」
視界を奪われた男が、腕で顔を覆い、態勢を崩す。――その瞬間を私は見逃さない。
大地を蹴り、小柄な身体だからこそできる、低い重心からの一気の踏み込み。
「っ、な――――!?」
男の懐へ滑り込むように飛び込むと、男はバランスを崩し、そのまま後ろ向きに倒れる。
私はすかさず男の腹部を踏みつけ、そのまま全体重を掛ける。
――グキュ、ギュゥゥゥッッ!!!!
踏みつけたヒールの先が、男の鳩尾にめり込む。
華奢な足、けれど容赦ない一撃。
男は呻き声を上げる間もなく、苦しげにのたうつ。ピクリと身体が跳ねた後、動きが止まったその隙に、私は視線を手元へ移す。
そこにあるのは、奴の手に握られた短刀。
私は男の手から短刀をひったくるように奪い取り、即座に構えを変えた。
刃先はまっすぐに、喉元――頸動脈を捉えている。
(これで、仕留める……ッ!!)
だがその瞬間。脳裏に、彼の顔が浮かぶ。
――『……ごめん。ありがとう、サフィラ』
あの、柔らかい声。
少し恥ずかしげに微笑みかけた、弱ってもなお優しい瞳。
この男を、今、この手で殺したら。その時、ルベルは……。
刃先は、わずかに震えた。
次の瞬間、私は柄を握り直し――鈍い音を立てて、男のこめかみを思いっきり殴りつけた。




