第29話 その殺し屋、父と娘と②
「元々は……〝別の用途〟に使用されていたものだったのではないかな?」
その一言が、胸の奥に冷たい針のように突き刺さった。
ジリジリと、獲物を追い詰めるように言葉を重ねてくる公爵。全てを見透かしているような視線に射抜かれ、喉の奥がきゅっと縮まる。
公爵は〈サートゥルヌス〉から〝何か〟を感じ取っている。――やはり、この輝石のことを知っているのかもしれない。
「どうなんでしょう? ……私には、美しい輝石だという位しかわかりません」
首を横に振るしか選択肢がなかった。
俯いた瞬間、先ほどまで賑やかだった馬車内に、しんと沈黙が落ちる。
胸の奥の鼓動だけが妙にうるさい。私の思い過ごしであってほしい。そう願った、その時――
「はははっ! そうだね、サフィラは昔からそういう子だった」
突然の朗らかな声が静寂を破った。
公爵は肩を竦め、俯く私の髪を撫でる。不意の接触に、肌が粟立つ。
「でも――もう少しだけ、輝石に興味を持ったらどうだい? 何せキミは、未来の〝輝石の聖女〟なんだからね」
胸の緊張が、ほんのわずかに緩む。……よかった、本当に思い過ごしだった? そう思いそうになった瞬間、胸の奥に微かなざわつきが走った。
顔を上げると、口元だけで笑う公爵の顔。蓮華色の瞳と視線が合い、体の内側が一気に冷える。
「――あぁ、そうだ。サフィラ、実は一つ確認しておきたいことがあるんだ」
髪を撫でる手の動きは止まらない。
「お茶会の日、キミは本当に……道に迷って、あの地下倉庫に居たのかい?」
「………え」
昨夜から胸の内で燻っていた違和感が、鋭い刃となって振り下ろされた。
全身から血の気が引く。――この人は、最初からわかっていたんだ。
(やっぱり……あの時の〝お使い〟のくだりは、フェイントだった。お母様へのカモフラージュ。そして、私を試すための――揺さぶりだったんだ)
思わず、公爵を見つめる目に力が入ってしまう。その様子を見た公爵は、わざとらしく狼狽えた素振りをする。
「ああ……怖がらないで。別に、地下倉庫に誘導しなかったことを怒っている訳じゃあないんだよ」
〝地下倉庫に誘導〟その一言に、肩が小さく跳ねた。
撫でていた手が頬へ滑り、節張った大きな掌が私の顔を包み込む。大人の手、小さな少女の顔。そしてこの密室。逃げ場など、どこにもない。
「実はね、王宮勤めの知人がそう言っていたんだ。サフィラが、地下階段から上がって来るのを見たって。そして――ある騎士から得た情報によると、キミは誤って地下に迷い込んだ挙句、あろうことか……」
一瞬、公爵の言葉が途切れ、口元から笑みが消える。
「あの〝異端の子〟と共に賊に襲われた、と」
異端の子――ルベルのことだ。
彼の姿を思い浮かべた瞬間、公爵の手に力がこもり、顔を引き寄せられる。首の筋がきしみ、逃れようとすると顎が痛み、気管が圧迫される。
「聞いた話と違うじゃないかッ!?」
突然の荒い声に、鼓膜の裏がじんと痺れた。その振動が心臓の奥まで届き、身体が強張る。
「その話を聞いた瞬間……気が、狂いそうになったよ」
公爵はそこで言葉を切った。肩で息をしながら、それでも口元だけは笑っている。
「……でも、キミは無事だった。そう! 無事だったんだ! 怪我がなくて、本当によかった! 流石は女神様に愛された存在だ! けれどね、サフィラ。私は、キミがあの異端の子の傍に居たという事実が、不安で仕方がないんだよッ! サフィラは、聡明で慈愛に満ちた優しい子だ。……間違いなど犯す筈がない。けれども、あの悪魔が、またキミを誑かしたのでは? と思うと……私は、それが心配で心配で――どうにかなってしまいそうなんだよ」
捲し立てるような早口。
間違い? 誑かす? 一体何のこと? 言っていることの意味が、わからない。
何かに取り憑かれているような、得体の知れない狂気。その理解し難い恐ろしさに、全身の毛がよだつ。
けれど、ここで声を上げなければ彼の暴走は止まらないだろう。私は混乱する気持ちを抑え、呼吸を整える。
何とか冷静を装い、必死の思いで口を開いた。
「……あ、あの日のことは、実はあまり覚えていません。気が付いたら、誰も居なくなっていて……道を歩いていたら階段があって……進んでいたら、ルベル殿下がいらっしゃって……」
言いながら、自分でも声が震えているのがわかる。けれど、誤魔化さなきゃ。落ち着け、呼吸を整えろ。
「そしたら、怖い人が入ってきて……そこからは、あまりよく……」
途中で言葉が途切れた。
公爵は黙って、息苦しさに喘ぐ私を眺めている。その光の入らない瞳の奥は、焦点が合っておらず〝私ではない〟――遠くにいる〝誰か〟を見ているようであった。
王宮内に彼の〝目〟があることなど、よく考えずとも想定できたことだ。賊を捕らえた騎士たちの中に、〝そちら側〟がいても不思議ではない。
(つまり、私がこれからしようとしていることも、漏れる可能性が? 一体、どうすれば……)
そんなことを考えながら、ふと窓の外へ目を向ける。白い尖塔が霞んで見えた。――王宮だ。
その光景を見た瞬間、ほんの僅かだけ息が戻った。
「……そうなんだね。そっか……うん」
公爵はそう言いながら、スルリと私の頬から手を離す。
そしてゆっくり頷き、上げられた顔にはにこやかな笑顔が戻っていた。
先程までの、無機質な表情が嘘のような、慈愛に満ちた表情であった。
「あぁ、それはとても怖かったね! 異端の子とも何も無かったようだし……本当に君が無事で良かったよ。あぁ可愛い、可愛い私の宝石」
漸く解放されたと思った刹那、今度はむぎゅっと全身を抱きしめられる。大きな胸に身体が圧迫され、胸の骨が軋む。
く、苦しい……!けれど今、これを拒めば終わる。その確信だけが頭を過った。
「……もしまた、怖いことや不安なことがあったらお父様に言うんだよ? 私はいつだって、サフィラが一番大切なんだからね」
甘く、子守唄のような声。けれどその響きには、愛とは違う歪な熱を孕んでいるように感じた。
寒気が背を這い上がる。それでも私は、無理やり笑顔を作った。
笑うことだけが、今の私にできる小さな抵抗だった。
「はい……お父様」
その一言で、彼の瞳がとろりと光を帯びる。公爵は心底嬉しそうに目を細めるのであった。




