第25話 その殺し屋、向き合う時が来た
白熱するガールズトーク――もとい妄想トークの最中、ローズが突然、何かを思い出したように手を打った。
「いっけない! わたくしたち、次のお仕事があるんでしたわ!」
「そうでした! 奥様の明後日のお召し物のお仕立てをしないと!」
「サフィラお嬢様! アメリアさん! 失礼いたしますわ~!」
まるで春の嵐のように去っていくメイドたちを見送りながら、私はアメリアと顔を見合わせて笑った。
「お着替え隊のみんなって、元気いっぱいだよね」
私がそう言うと、アメリアは静かに頷き、やわらかく目元を細めた。
「ごもっともでございます」
そんなやり取りのあと、私はふと思い出したように口を開いた。
「明後日のお母様のお召し物って言ってたけど……何か、特別な予定でもあるの?」
私の問いに、アメリアは少し驚いた表情を浮かべた。だが、すぐにいつもの微笑み顔に戻っては、優しい声音で教えてくれる。
「ええ、旦那様がご帰還なさるのです。……お嬢様は、記憶の混濁の件がございましたものね。改めてお知らせすべきでしたわ。ご確認不足で、申し訳ありませんでした」
「えっ」
彼女が旦那様と呼ぶと言うことは、サフィラの父である〝パパラチア公爵〟のことだ。
アメリアの口ぶりから、帰還の件は周知のことだったのであろう。
私は、以前の記憶が曖昧と言うことになっているので、アメリアはそのことを謝ってくれているようだった。
確か、彼は今……と、私が考えるよりも速く、アメリアが言葉を続ける。
「二月の初めから滞在されておりました、ウパラ公国の視察よりお戻りになります。お嬢様がお会いになるのは、おおよそ……三ヶ月振りになりますわね」
三ヶ月振り、ということは――公爵が最後に見た〝私〟は、まだ神聖が揺らぐ前のサフィラだ。果たして彼は、私の異変を知っているのだろうか。
「そう。……お父様が、帰ってくるのね」
パパラチア公爵――彼は、ゲーム〈アルカナ∽クォーツ〉における黒幕の一人。私がサフィラに転生して以来、最も警戒していた要注意人物だ。
これまで運よく顔を合わせずに済んでいたのは、彼が隣国・ウパラ公国へと出向いていたからである。
(――ついに、この時が来てしまったか)
この世界にやって来て、サフィラに転生して、避けては通れないと覚悟はしていた。だが、いざ目前に迫っているとわかると足がすくんでしまう。
ゆっくりと息を吐き、胸の中に広がる焦燥を落ち着かせる。
「お嬢様? ……大丈夫でございますか?」
私の異変を感じたのか、アメリアの声が静かに響く。
「う、うん、大丈夫。なんでもないわ」
そう答えるのに、ほんの一瞬だけ躊躇ってしまった。なんとか笑顔を作って、いつも通りの声色で続ける。
「あ、そうだ。そろそろ朝食の時間じゃない? 用意、お願いしてもいいかな?」
そう言うと、アメリアは心配した様子だったが、少し遅れて「……かしこまりました」と、ゆっくり頷く。そして一礼をし、音もなく部屋を後にした。
ドアが閉められ、先ほどまでの喧騒が嘘みたいに静まり返った。ようやく一人になれた私は……ふう、と小さく息をつく。
(さて――)
気を抜いている場合ではない。パパラチア公爵の帰還。そして、ウパラ公国。
この二つの要素は、私にとっても、〈アルカナ∽クォーツ〉の物語にとっても大きな〝火種〟となりうる存在だ。
ウパラ公国――それは、クォーツラントの南西に位置する小さな国。
輝石の女神カンティヤ様が、地上に降臨したとされる聖地であり、女神と輝石の力を信奉する〈ガルティヤ教〉発祥の地でもある。
そんなウパラ公国とクォーツラントは、名目上は同盟国の関係にあり、その橋渡し役を担っているのが、他ならぬパパラチア公爵だ。
パパラチア家は、代々〝聖女〟を輩出してきた家系ということもあり、ウパラに本拠地がある〈ガルティヤ教〉の総本山、〈聖輝教会〉とも深い結びつきがある。
パパラチア公爵とウパラ公国。彼らが目論むのは、クォーツラント……いや、カルブンクルス王家そのものの〝転覆〟だ。
〈カナ∽クォ〉は、前半と後半の二部構成になっている。後半パートで表面化する争いの火種は、〝彼ら〟が物語開幕以前より仕込んでいた、陰謀によるものだった。
そしてその戦火の中心に立つのがルベルとカーネリアンだ。主人公がどちらの手を取るかで、ルベルがヒーローとなる〈白ルート〉と、カーネリアンがヒーローとなる〈黒ルート〉に分岐する。
二人はお互いに信念を掲げ、正義の為にぶつかり合う。――それこそが、ゲーム〈アルカナ∽クォーツ〉の物語の本質だ。
……そして物語の終盤、公爵とウパラ大公はある禁忌を犯す。
(今まで、敢えて意識しないようにしてたけど……。遂に、向き合う時が来たか)
私は背筋を伸ばし、己の身に待ち受けているであろう〝現実〟を見つめる。ゲーム内でも、「みんなのトラウマ」と名高い、あのシーンを。
彼らが犯す禁忌とは、〝虚闇の獣〟と呼ばれる、封印されし邪悪の復活の儀式。
そして、その生け贄こそが私。
私が転生をした、サフィラ・フォン・パパラチアと言う少女は、〈白ルート〉でも〈黒ルート〉でも例外なく、その禁忌を成す為めの――〝生け贄〟となり、命を落としてしまうのだ。
サフィラが生け贄に捧げられるシーン。
その場面は、ゲーム内のムービーで描かれていて、あまりにも凄惨な演出は、多くのプレイヤーを驚愕させた。
無数の黒い触手に捕らわれるサフィラ。脚、腰、腕、首……彼女の白い肌にそれが巻き付き、華奢な身体を締め上げる。
そして、〝獣〟に頭から喰らいつかれ――彼女は叫ぶ間もなく、鋭い牙に首を噛み千切られた。
肌が裂け、血が噴き上がり、彼女が纏っていた純白のドレスが真紅に染まる。〝獣〟は彼女を咀嚼するように蠢き、その血肉を糧にゆっくりとカタチを変えていく。
滲むように浮かび上がる、柔らかな輪郭。薄紅の光をまとった、半透明の肌。ひらひらと舞い上がる、毒蛇のような触手。美しく、妖しく、死を孕んだ〝それ〟の名は……。
――ザザザッ
「………ッ、痛!」
突如、耳鳴りのようなノイズが頭の奥で跳ね、鋭い痛みがこめかみに走った。
瞬間、視界が歪む。鼓動が跳ね、呼吸が浅くなる。肺に入り込んだ空気が、針のように突き刺し、頭と胸が焼けつくように熱い。
まるで、〝誰か〟が「思い出すな」と囁いたような――そんな声が、僅かに聞こえた気がした。
(なに、これ……〝アレ〟のことを思い出そうとすると、痛みが走る……)
思い出せるのに、思い出せない。姿も名前も喉元まで迫っているのに、言葉にしようとした途端、喉の内側が軋みだした。
まるで「それだけは言ってはいけない」と、身体のどこかでブレーキが踏まれているみたいだ。
そんなことを考えていると、コンコンッとノック音が響いた。
「――失礼いたします」
朝食を載せたワゴンを押しながら、アメリアがやって来た。
思わずドキりと胸が跳ねる。タイミングが良いんだか悪いんだか……と思うが、彼女に心配はかけたくない。
私は呼吸を整え、額に脂汗が浮かぶ中、なるべく明るい表情を繕う。
「アメリア、ありがとう! ……いい匂い。今日のメニューは何だろう? 楽しみだわ」
そう言うと、アメリアはふと足を止め、静かにこちらを見つめた。
「……お嬢様、やはりご体調が――」
その声には、はっきりとした心配の色が滲んでいた。
一瞬、喉の奥がひりついた気がして、私はぎこちなく笑う。やっぱりアメリアは鋭い。……そして、優しいな。
「ううん、本当に、なんでもないの。ただ、お腹が空いただけだから」
「……左様でございますか」
アメリアは少しだけ納得していなさそうな様子だが、それ以上の詮索はしてこなかった。そして相変わらずの優雅な仕草で、静かに配膳を始める。
(……今は、とにかく食べよう)
さっきのノイズ音や痛みのことも気になるけど、まずは腹ごしらえだ。
まるで、殺し屋時代の任務前みたいな気分だけど、それぐらいの〝大仕事〟が、今まさに迫っている。そんな予感がしたのであった。




