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その聖女、前世は魔女と呼ばれた殺し屋でした  作者: 蟹三昧
第二章

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Ex.2 その聖女、闇夜に想いを馳せる



 月のない夜だった。


 神殿の窓からは、かすかな灯りも差し込まない。

 部屋の中はしんと静まり返っており、侍女や女神官たちが粛々(しゅくしゅく)と準備を進めている。


 この厳かな雰囲気の中、遠くから微かに聞こえる祝祭の音楽と、打ち上がる花火の音。それを見上げる民たちの歓声。

 今日という一夜が、どれほど幸福なものであるかを、容赦なく伝えてくる。


 ふと、鏡に映る自分を見つめた。


 純白のドレスに、白いベール。丁寧に整えられた鴇羽色(ときはいろ)の髪には、白い釣鐘草(カンパニュラ)を思わせる花が添えられている。


 その姿は、まるで結婚式を迎える花嫁のようだった。


(……皮肉ね)


 声には出さず、心の中でだけ呟く。


 これは祝福の衣ではない。――〝生贄〟として着せられた装束だ。

 本来であれば私は今夜、女神様に国の繁栄と平和を祈り、悪しきものを祓う儀式を執り行う筈だった。


 けれど、私が儀式で祈るのは混沌と破滅。〝悪しきもの〟への奉献(ほうけん)。そして、その祈りに添えて捧げるのは、贄としての己が身。


 私はこの十九年間、今日という日の為だけに生きてきた。

 女神様の腕に抱かれるはずだったこの身は、今夜、〈虚闇(きょあん)の獣〉を蘇らせる血肉となる。


 それを皮肉と言わずに何と言うのか。


 ため息を吐きそうになった時、私の髪を梳かしていた年若いメイドが、ふと小さな声で呟いた。


「まあ、なんてお美しいのかしら。……女神様もきっとお喜びになる筈ですわ」


 本人は独り言のつもりだったのだろう。瞳を輝かせ、頬を染めながら、心からそう言っているようだった。


 いつもならそんな言葉、耳に入っても気にも留めないのに。今日の私は、少しだけ感傷的になっているのかもしれない。

 鏡越しに、そのメイドの少女を見つめながら、静かに口を開いた。


「……そう。ありがとう」


 私が言葉を返したことに、彼女は一瞬、目を見開いた。

 頬をさらに紅潮させて、きゅっと唇を結び、深々と礼をする。


(……可愛らしいこと)


 その仕草があまりに素直で、まっすぐで、思わず笑いそうになった。


「ねえ、窓を開けてくださらない? ……外の空気が、吸いたいの」


 目があったついでに、そのメイド少女へ声を掛けた。


 彼女は戸惑った様子で、しどろもどろと後ろを振り返る。

 すると、その背後に控えていた年配の女神官が、ゆっくりと頷いた。


「ええ、少しの間でしたら……構いませんわ」


 そう言って、微笑みを深める女神官。


 この女は、私の〝役目〟を知っている。その微笑が、憐れみからくるものなのか、それとも嘲りによるものなのか。

 そんな表情に苛立ちを覚えるが、そんな他人ことなど、どうでもいい。どうせ私の命は、もうすぐ終わるのだから。



 窓を開けて貰うと、春の兆しを纏った夜風が頬を撫ぜた。やわらかくも少し冷たいその風は、季節の狭間を彷徨う精霊たちの吐息のようだった。


 祭り特有の匂いが、風に乗って流れ込んでくる。――焼き菓子と香酒、民衆の熱気と笑い声。

 普段なら眉をひそめてしまうような喧騒(けんそう)なのに、不思議と心地よさを感じた。


 たまたま視界に入った王宮は、煌びやかな光に照らされ、城壁が赤、白、桃、翠……と移ろいながら、まるで角度によって色彩を変える巨大な宝石のように輝いていた。


 あの煌めきの中では、仮面舞踏会が開かれている筈だ。同世代の貴族たちが、夜明けまで恋の駆け引きを楽しんでいるのだろう。


「……呑気なものね」


 そんなことを思ってしまう自分に、嫌気が差した。


 私は、恋を禁じられてきた身。〝輝石の聖女〟に任命されたその日から、そんなものとは無縁の生活だった。


(でも、あの婚約が破談になったのは……僥倖(ぎょうこう)だったわ)


 脳裏によぎるのは、気に入らなかったあの男の顔。

 人のことを見透かすような、どこか澄ました目つき。癪に障るほど、堂々とした立ち姿。……本当に、目障りだった。


 祭りの喧騒も、城の輝きも、誰かの笑顔も。今夜の私は、そのどれにも属していない。ただ祈り、捧げられ、終わるだけの命。


 ……くだらない。そんなこと、分かっているのに。どうしてか心がざわついて仕方がない。


 思わず、視線を足元へ落とした。

 そして――ふと、椅子の上にひっそりと置かれていた、白いぬいぐるみと目が合った。


(ああ、そう言えば、連れてきたんだったわ)


 神殿へ向かう支度をしている時、お母様から「何か必要なものはあるかしら?」と訊かれ、この子をお願いした。


 十九歳にもなる娘が、そんな子どもじみたことを言ったのに、お母様は否定するどころか、「本当にこの子が大好きなのね」と優しく微笑んでくれた。


 ――お母様は、私の〝本当の役目〟を知らない。愛する夫との間に授かった娘が、聖女として大義を果たすことを信じてくれている。


(まさか、愛する夫が愛娘を生贄にしようだなんて……思ってもいないのでしょうね)


 ぬいぐるみは、赤いガラス玉の瞳で、私をじっと見つめていた。初めて出会った頃はピンと張っていた長い耳も、すっかりくたびれ、肩まで垂れ下がっている。


 ……なぜこのぬいぐるみが、こんなにも大切なのか。その理由を、私はもう、思い出すことができない。


 思い出そうとすればするほど、何もかもが歪んで、霞んで、消えていく。


 私はそっとそのぬいぐるみを抱き上げ、胸元に引き寄せる。


 柔らかな白い毛並みに頬を寄せると、不安や焦燥が、少しずつ、溶けていくような気がした。


 確かに、誰かがいた。このぬいぐるみが、こんなにも大切な存在になったきっかけの人物が。


 一瞬だけ、顔が浮かびかけた。けれどそれも、蜃気楼のようにすぐに掻き消えてしまった。


「……しょうがないわ。私は〝彼〟に、それだけのことをしたのだから」


 ――〝彼〟?


 その言葉が口からこぼれた瞬間、自分でも驚いて、思わず眉をひそめた。


 蜃気楼の中から、紅い瞳の誰かが現れる。けれど、その表情は優しかった思い出と違い、ひどく冷たい。


「ああ、そう。そうだったわね……」


 この期に及んで思い出すだなんて、なんて罪深いのだろう。


「サフィラ様、お時間でございます」


 そう思った瞬間、女神官の声が背後から響いた。

 私はぬいぐるみを、そっと元の場所に戻す。


 名残惜しさはあった。――でも、最後に〝()()()〟の顔が思い出せて良かった。


(それが、救いになる筈もないのだけど……)


 窓が閉められ、現実へと戻る。


 そして、鏡の中の私が、いつもの人形の顔になる。


 そう――これが、私の運命だ。ずっと、ずっと前から決まっていたこと。


 だから、もう、怖くなんてない。怖いという感情は、とうの昔に捨てたのだから。














これにて2章完結です!

お付き合いありがとうございました。


鴇羽色の髪に白いドレス。そしてサフィラと呼ばれたこの人物は一体…?


もしかして、これがサフィラの〝救われない未来〟の片鱗なのでしょうか。


次回より3章スタートとなりますが、3章から1日1話更新となります。よろしくお願いいたします!


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