第23話 緑柱の騎士と白王子の語らい
【エメルド視点】
コトン、ガタン、と不規則に揺れる馬車の中。革張りの座席にもたれながらオレ、エメルド・フォン・ベリロスは天井を仰いだ。
この時期の午後にしては日差しが強く、車内にこもった熱気がじわじわと背中に滲んでくる。堪らず、窓を少しだけ開けると、花の香りをほんのりと乗せた凉風が入り込み、頬を優しく撫ぜた。
ようやく一息付ける気分になったが、……オレの耳奥にはモルガンの〝お小言〟が未だにこびり付いて離れないでいる。
『いいですか、坊ちゃん。騎士の仕事は時間管理が命なんです!もっと時間に気を配るように!』
脳内にこだまするダミ声にウンザリし、ため息を吐く。
あの人、いつもは適当な癖に、時間の事になると妙にうるさいんだよなぁ。……それに、彼の言い分はよくわかる。遅刻したオレが十割悪い。勿論、反省もしている。
けれども、今回はスリ事件もあった訳だ。あそこまでうるさく言われる筋合いは無いと思う。
困っている人が居たら助ける。それも騎士の務めだし――それに、結果的には丸く収まったんだ。
スリの坊やは無事保護されただろうし、ブローチを返したご令嬢も凄く喜んでくれた。ついでに、お茶の約束までこぎつけられたしな。
それもこれも、サフィラお嬢さんのお陰だ。
(でもまさか、あのお嬢さんがサフィラ様だとはね。……正直肝が冷えたよ)
〈輝石の聖女候補〉である彼女は、あのパパラチア公爵家の一人娘だ。にもかかわらず、まるで普通のご令嬢……いやそれ以上に自然体で、飾らない雰囲気を持っていた。
聖女候補という特別な立場にあることもあって、「万一にも何かあってはならない」と、公爵が極端なほどに外出を控えさせているという話は、以前から耳にしていた。
内々の特別なお茶会ぐらいでしか姿を表さないらしく、社交界では〝幻のご令嬢〟なんて呼ばれているくらいだ。
年齢もまだ十三歳。お披露目の席にすら出ていない以上、顔を知らないのも無理はないだろう。
むしろ、あんな形での初対面になったことの方が奇跡だ。
噂では気位の高い、いかにも聖女候補らしい少女だと聞いていたが、まさかスリの子を身一つで追いかけるだなんて。
そんな女の子が〝幻のご令嬢〟と同一人物だと、誰が想像するだろうか。
……だか、あの異様なまでの落ち着き。瞬時の判断力と状況の裏を読める聡明さ。そう言った面に関しては、流石は聖女候補とも言える。
(あんな可愛い顔して。よくやるよ、全く)
いや~、にしても可愛かったな~! サフィラお嬢さん。
間違えてオレのことを「お兄ちゃん」と呼んだ時には、流石に胸がときめいた。一応妹のミントの一つ下の年齢みたいだけど、素直でいい子だし、ああいう雰囲気の子はつい甘やかしたくなってしまう。
それに、あと三、四年もすれば、相当な美女になるんじゃないか? ……うん、それはそれで成長した姿が楽しみだな。
――なんて事を考えながら、ちら、と向かいに座るルベルの顔を見る。
彼女との逢瀬の余韻でも噛み締めているだろうか。いい意味で彼らしくない、ぽや~っとした表情を浮かべていた。
「ルベル、よかったな」
周囲に身内しか居ないので、いつもの呼び名で彼を呼ぶ。
すると彼は少しきょとんとしたあと、照れたように笑った。
「うん。……でも、エメルドのアドバイス通り全然出来なかった。やっぱり緊張したよ」
そんなルベルの表情を見て、思わずこちらも笑ってしまう。
「あはは。そりゃ、あんな子相手なら誰だって緊張するさ。でも、贈り物は渡せたんだろ? それが出来れば上出来だって」
奥手なルベルが、初めて女の子に贈り物を贈ったんだ。しかも相手はあのサフィラお嬢さんだと思えば、それだけで充分な成果だと思う。
「頑張ったな」
そう言いながら、そっと身を乗り出して彼の肩を軽く叩き、ウィンクをひとつ飛ばす。
するとルベルは、少しだけ頬を赤らめながら、けれど嬉しそうに頷いた。
「……ありがとう、エメルド」
「にしても、可愛い子だったな~。噂には聞いてはいたけど、相当な美少女だったな。流石は〝幻のご令嬢〟だ。また会えるとしたら緋冠祭の後とか――」
(おっと……)
何気なく投げかけてみたのだが、ふとルベルの瞳が揺れた気がした。柔らかかった笑みが、ほんの少しだけ曇る。これは、気のせいではない。
心配になり、ルベルの顔を覗き込むと、彼はなんとも微妙な表情で、ぽつりと呟いた。
「………エメルドも、そう思うんだ」
本人は、独り言のつもりだったのだろう。
蚊の鳴くようなか細い声だったが、しっかりと耳に入ってしまった。
一瞬、何のことだろうと思ったが、すぐに理解した。
どうやらルベルは、オレがサフィラお嬢さんのことを「可愛い」と言った事に対し、不安になっているらしい。
(……あらら、そんな顔しちゃって)
その可愛らしい嫉妬心に思わず、ふっと口元が緩む。どうやら想像以上に、本気らしい。
「なぁ~んてな。オレ、年下は守備範囲外だし? あくまで一般論だよ。確かに綺麗な子だったけど、ミントくらいの年齢の子に本気になったら、アイツに何言われるかわからないしな」
さらりと笑いながら言い、冗談めかして肩をすくめてみせる。
ルベルはちらとこちらを見上げ、それでもどこか不安そうな顔をしていたが、すぐに少しだけ笑った。
「……そっか。そうなんだね」
「ははっ、安心したか?」
そう言ってから、身をぐっと少し乗り出す。
両膝に肘を置いて前屈みになりながら、声のトーンをぐっと落とした。
「むしろ、応援するよ。……もし何かお悩みがあれば、いつでもご相談を」
すると、ルベルはほんの少しだけ目を見開く。だがすぐに、嬉しそうにはにかみながら、
「ありがとう」
と、小さく頷いてくれた。
◇
王宮の正門前に着くと、既に控えていたルベル付きの使用人が一歩前に出てきた。
白い肌に、蜂蜜を焦がしたようなハニーブラウンの大きな瞳。礼儀は正しそうだが、どこか作り物めいた〝無表情〟が印象に残る。――初めて見る顔だ。
「ルベル様、お帰りなさいませ。こちらへどうぞ」
口調も丁寧だが、どこか形式ばっていて、淡々としたものだった。
ルベルも、それをよく分かっているのだろう。微笑みは浮かべたものの、これ以上言葉を交わす様子はなかった。
「モルガンさん、それにエメルド。今日は僕の我儘に付き合ってくれて、ありがとう」
「いえいえ、お安いご用ですよ。また何かありましたら」
オレの隣に立っているモルガンは、ルベルに向かって深々と頭を下げた。
「オレの方こそ。遅刻の件、本当にすみませんでした。……あ、剣術の稽古だけど、いつでも付き合うから言ってくれよな」
そう言うと、ルベルは「うん、ありがとう」と頷いてくれた。
そして、そっと視線を逸らすようにして――使用人に促されるまま、ゆっくりと歩き出す。その小さな背中は門の奥へと溶けていった
遠のくルベルの後ろ姿を見送った、その時だ。
「……坊ちゃん、少々よろしいですか?」
隣に立って居たモルガンが、いつになく真面目な表情を浮かべていた。その声音には、ほんのりとした緊張が漂っている。
「先程のスリ事件について、少し詳しくお聞きしても? ……先程は、アメリアさんがご一緒でしたのでしたからね。しっかりお話できませんでしたので」
その言葉に、オレも自然と表情を引き締める。頷きながら、視線を正面に戻した。
「……ああ。オレも話したいと思っていたところだよ」
言葉に含みをもたせながら、声のトーンを落とす。これから交わす話題が、軽口では済まされないことを、お互いに理解していた。
「丁度あの時、ゴシェ先輩が現場にやってきたんだ。最近多いんだってな。混血児絡みの事件」
その言葉に、モルガンの眉がわずかに動く。だが、すぐに静かな声で応じた。
「やはり、そちら絡みですか。……ええ、実のところ目に見えて増えておりますな。ご存知かと思いますが、先日の殿下の誘拐事件も、そちら側の人間が関わっていました」
「……緋冠祭が近いってのに、冗談じゃないな」
「ええ、全くです。……こりゃあ、偶発的なものとは考えにくい」
そこまで言って、モルガンはふと周囲を一瞥した。言葉にはしないが、誰に聞かれているか分からない――そんな警戒心が滲んでいる。
「父上は何て言ってるんだ?」
問いかけると、モルガンは少しだけ声を落とした。
「〝あちらさん〟が動いている可能性が高い、とのご見解です。ただ……フレイヤ様の目もあります。下手には動けない。今のところは、警備の強化が精一杯とのことです」
「……クソッ」
思わず舌打ちが漏れた。オレは拳を強く握りしめ、そのまま掌に叩きつける。
「〝ウパラ人〟共め……!」
吐き出したその言葉に、モルガンの目つきが鋭くなる。
「坊ちゃん、口を慎んでください。……誰が聞いているか、わかりませんよ。どうか、冷静に」
モルガンはそのままゆっくりと首を振り、諫めるような声音で静かに告げた。
その低い声が、警告のようにオレの胸の奥に重く響いたのだった。




