第13話 その殺し屋、教えてもらう①
朝食を食べ終えた頃には、私のお腹も心も、すっかり満たされていた。
ふわふわの白パン、お母様が用意してくれたウサギりんご付きの可愛いサラダ、甘いオルゾの余韻を引きずりながら、私は自室へと戻る。
お腹もいっぱいだし、そのままベッドに横になりたい衝動に駆られたけど、今はそれどころではない。
さっきのお母様の言葉――神聖がどうこうって話、あれがずっと頭に引っかかっていた。
(神聖って、一体何なの? 私は今まで何を持っていて、今は何を失ってるの?)
疑問ばかりが増えていく。
誰か、教えてくれる人はいないだろうか。そう思った時だった。
「では、お嬢様。アメリアはこれにてお暇いたします。何かありましたら、いつでもお呼びくださいませ」
静かに頭を下げたアメリアが、扉へと向かって歩き出す。メイド服のスカートがふわりと翻った、その瞬間だ。
「……あの、アメリアっ!」
私は思わず声をかけていた。……自分でも驚くくらい、はっきりとした声が出てしまい、ちょっとだけ気まずい。
突然呼び止められたアメリアは、こちらへ向き直り、不思議そうに首を傾げる。
「はい。いかがなさいましたか?」
「えっと、あのね。ちょっと――ううん、すごく変なことを聞くんだけど……」
言い出したはいいけど、続きが出てこない。
喉がきゅっとなって、次の言葉がどこかに引っかかってる気がする。
――正直、これは賭けだ。もしかしたら、アメリアは神聖のことを知らないかもしれない。
けど、彼女ほどの規格外のメイドならもしかしたら……!
淡い希望を胸に、私は意を決する。
「あのね、実は私、昨日ぐらいから最近の記憶が曖昧なの」
私がそういうと、アメリアの紫色の瞳が揺らぐのがわかった。私は、呼吸を整えながら言葉を続ける。
「もしかしたら、みんなが言う神聖が関係してるのかなって。でも、神聖のことすらよく分からなくて。……アナタがわかる範囲でいいから、教えてくれない? 私のことや……その、神聖のことを」
神聖のことは本当に何も知らないけど、記憶が曖昧と言うより、これまでのサフィラの記憶は全くと言っていい程持ち合わせていない。
なるべく違和感を持たれないように、本音と建前を入り交ぜて話したつもりだけど。彼女は勘が良さそうだから、不審がられないか少しだけ心配だ。
恐る恐る、アメリアの反応を伺うが、彼女は黙ったまま微動だにしない。
――少しの間だけ、沈黙が続いた。
そしてアメリアは何度か瞬きをした後、口元に優美な弧を描く。
そう。いつものあの、微笑み顔だ。
「……承知いたしました。少しだけ、お時間を頂戴いたしますわね」
その一言と共に、アメリアは扉へ向かっていた足を、再びこちらへと向き直す。
立ち位置は変わらずとも、どこか空気が変わった気がした。
「お嬢様が覚えていらっしゃらないのは、最近の出来事だけでございますか? ……それよりもっと以前のことは?」
問いかけは穏やかだったけれど、その奥にあるものは〝探る〟というよりも、〝確認〟に近い印象だった。
やっぱり、アメリアは気づいていたんだ。私の中の何かが変わったことに。
私は小さく頷く。
「正直、全然。でも、私って〝輝石の聖女〟……だっけ? そんなことをぼんやり覚えてるぐらいかな」
「そうですわね。――正しくは、輝石の聖女様、候補でいらっしゃいます」
言い直すように、けれど優しく訂正してくれたその言葉に、私は思わず姿勢を正した。
「では、お嬢様。〝神聖〟と〝輝石〟……そして、これまでの貴女様について。私の知る範囲で、順を追ってご説明いたしますわね」
そして、アメリアはおもむろに両手をポンと叩いた。その瞬間、眼鏡のレンズがひらりと光を弾く。
「ですがその前に……お紅茶の用意をしてまいりますわ。込み入ったお話になりそうですので、ね」
眼鏡の反射光のせいで、彼女がどんな顔をしていたのか。私はそれを、見ることはできなかった。
けれども、口の片端だけがほんの少しだけ吊り上がっていたような――そんな気がした。
◇
「では、どこから話し始めましょう」
テーブルを挟み、私の斜め向かいに立ったアメリアは、顎に手を当て、天井の一点を見つめた。
「――まず、そうですわね。改めて、私の自己紹介でも。私、アメリア・テュストスと申します。二ヶ月ほど前より、サフィラお嬢様付きのメイドをやらせていただいております。以後、お見知りおきを」
そう言ってスカートの裾を軽く持ち上げ、淀みなく一礼をした。
それにつられて私も頭を下げると、アメリアはふふ、と優しく笑みを浮かべる。
「え、二ヶ月ほど前……?」
「ええ、そうです。実は私たち、まだそんなに深い間柄ではありませんのよ」
頷いて肯定をするアメリア。
「ですので、私が知っているお嬢様は、この二ヶ月間のお嬢様のことです。ご承知のほど、よろしくお願いいたしますわ」
これまでのアメリアの言動からして、てっきり長い付き合いなのだと思っていた。――つまり、彼女が知ってるサフィラはここ最近のサフィラということになる。
私はそう思いながら、彼女が入れてくれた紅茶を一口啜る。ミルクと蜂蜜がたっぷりと入ったそれは、優しい味がして、不安な胸の内にじんわりと沁み渡った。
「以前のお嬢様は、今のようにゆっくりお話するのも憚れるような、とても気高く、風格のあるお方でした。ですが、一ヶ月ほど前から様子が変わられて。……そう、あの日からお嬢様の神聖が少しずつ、薄れ始めたのです」
「あの、神聖って薄れるものなの?」
私がおずおずと聞くと、アメリアは深く頷く。
「はい。薄れる、と言うよりかは……正しくはゆらいでいらっしゃるのです。実は、〝神聖のゆらぎ〟自体は珍しいことではありません。思春期――お嬢様くらいのご年齢の聖女様候補には、よくある現象、だそうですわ」
神聖が、ゆらぐ。
どうも、ピンと来ない表現だ。私がそう思ったのを察したのか、アメリアはそのまま捕捉的に続ける。
「例えるなら、治りの遅い風邪をずっと引いているようなものと言えば、わかりやすいでしょうか? ですので、身体も心も不安定になります。実際にお嬢様も高熱が出て、数日間寝込まれていたのですよ」
「……え!? 私が、寝込んでた?」




