第12話 その殺し屋、母性にふれる
(……朝食ってどこで食べるの?)
歩きながら、ふとそんな疑問が頭をよぎる。
そういえば私、前世の記憶が戻ってからほとんど何も食べてないのでは?
昨日は目覚めてすぐにお茶会へ強制連行。
その後はルベルの事件があって、カーネリアンに意味深なことを言われて、馬車で寝落ちして――気がついたら朝だった。
(ってあれ、ほとんど食べてないどころか、丸一日なにも口にしていないじゃない!?)
そんな現実に気づいた瞬間、
――ぐぅぅぅぅぅぅ~
と、お腹が待ってましたとばかりに自己主張をしてくる。
控えめな音なのに、やたら響いた気がして思わず赤面してしまった。
い、今の音、絶対聞かれたよね……?
でもアメリアは相変わらずの微笑みポーカーフェイスで、何事もなかったかのように歩き続けていた。
「……お嬢様は、ここしばらくお部屋でお召し上がりでしたものね」
隣を歩くアメリアが、ふっとやわらかく笑みを深める。
「本日は朝食室にてご用意しております。私がご案内いたしますわ」
どうやら、このお屋敷には朝食専用の部屋があるらしい。流石は貴族。流石は公爵家である。
「えっと……今日は、お母様? も一緒なんだよね?」
そう尋ねると、アメリアは一度立ち止まり、目元を優しく細めて答えた。
「ええ。奥様は、昨夜からずっとお嬢様のご体調を案じておられました。……本日はご一緒に、とご希望されております」
――お母さんが、私を心配してくれていた。
そんな当たり前のようで、私には縁のなかった言葉に、胸がきゅっとなる。
アメリアに導かれながら重厚な扉の前に立つ。
どうやら、ここが朝食室らしい。この向こう側に、私のお母さん……いや、お母様が待っている。
思わず緊張感が込み上がり、すぅ、はぁ、と静かに深呼吸をする。
扉が静かに開かれると、朝の光が差し込む明るい空間が広がった。
窓際の席に座っていたのは、私と同じ濃紺の髪を持つ一人の女性。
背筋がスッと伸びた座り姿は美しく、ドレスの色彩と窓から差す光が見事なコントラストを形成している。
目元はやわらかく、唇に緩やかな弧を描き、優雅にティーカップを持つその姿は、まさに貴婦人そのもの。
彼女の姿を見た瞬間、私は思わず心の中で叫んでいた。
(これが……遺伝子の力……ッ!!)
流石は、私――サフィラの顔面を産み出した女性……!
文句なしの美人いいや、最早これは女神様。私この人に育てられたの?
女性から放たれる、圧倒的な〝美〟に気圧されていると、
「おはよう、私のサフィラ」
やわらかな声が、私の名前を呼ぶ。
その響きは、まるで朝の陽射しのように優しく、私の胸の奥じんわりと届いた。
「ずっと、ずっと心配していたのですよ」
そう言いながら、彼女――お母様は、椅子を離れてゆっくりと歩み寄って来る。
優雅な立ち姿のまま、ドレスの裾を揺らし、そしてそのまま、迷いなく私の身体をしっかりと抱きしめた。ぎゅう、とその柔らかな抱擁に、息が詰まりそうになる。
「あなたが無事で、本当に良かった……」
鼓動が近い。良い香りがする。温もりがある。……ああ、これが〝母親〟という存在なんだ。
私はどう返したらいいのか分からず、されるがままに抱きしめられていたけれど、なぜだか、その腕の中はとても、居心地が良かった。
◇
テーブルの上には、丁寧に並べられた銀食器がきらめき、湯気を立てるカップからは、ほのかに甘い香りが漂っていた。
ふんわりと焼き上げられた白パンに、色とりどりのフルーツ、キッシュ風の卵料理。そして私の皿にだけ、やたら可愛い盛り付けのサラダが添えられていた。
(ウサギの形のりんご……)
サラダにちょこんと添えられているそれを、まじまじと見つめてしまう。
そんな私の様子を見たお母様は、紅茶のカップを静かに置き、やわらかな笑みを浮かべた。
「ふふ、今朝は少しだけ張り切ってしまったの。サフィラが無事に目覚めてくれて、本当に嬉しくて」
「え、お母様が……ですか?」
私が驚いてそう言うと、お母様は「ええ」と優しく頷く。
この可愛いウサギりんごを、私の為にわざわざ作ってくれたの? その事実に、また胸の奥がきゅんと高鳴る。
公爵夫人たる方が、朝早くからそんなことをしてくれていただなんて。
(……サフィラって、母親には愛されてたんだなぁ)
そう思いながら、用意されていた大麦コーヒー――オルゾを一口飲む。牛乳で割られたオルゾの優しい甘さが、口いっぱいにじんわりと広がる。飲みやすく、とても美味しい。
「昨日は朝から所用があって、あなたに会えずに本当に残念でしたの。……お茶会、大変だったみたいね。ルベル殿下が急に姿を消したと聞いて、驚いたわ」
お母様がそう言った瞬間、心臓がドキリと跳ねあがった。
私、あのまま寝ちゃっていたからわからないけど、結局あの事件ってその後どういう扱いになったんだろう。お母様は、私が関与していたことを、知っているのだろうか。
チラリと、対岸に座っているお母様の表情を伺う。
お母様は、ティーカップを持ちながら、少し神妙そうな顔をしていた。
「びっくりしたわよね? 結局、お茶会も中止になったみたいだし。きっと、あなたの体調には、刺激が強かったのよ。……やっぱり、〝神聖〟が戻るまでは、こういったお呼ばれは控えた方がいいのかもしれないわね」
その言い方や声音からして、お母様は私が事件に関与していたことは知らないみたいだ。内心ホッとすると同時に、
(……また、〝神聖〟だ)
あの時、カーネリアンにも言われた言葉。そして、たった今お母様からも同様のワードが出てきた。
彼らの様子を思うに、その神聖がないと言うことは、そこそこな異常事態らしい。みんな、当たり前のようにそれのことを話すのに、私だけが、その正体を知らない。
(神聖って、一体何なんだろう?)
その時だった。
――コンコンッ、と朝食室に静かなノック音が響いた。
入ってきたのは、落ち着いた雰囲気を持つ、温和そうな年配の女性だった。
アメリアが着ているのと同じ、黒いロング丈のメイド服姿から想像するに、お母様付きのメイドのようだ。
「奥様、お時間でございます」
穏やかな声に、お母様は「あら」と小さく目を見開いてから、すぐに微笑みを浮かべる。
「そうだったわ。……ごめんなさいね、サフィラ。続きはまた今度にしましょう。ゆっくり召し上がってね」
そう言って、私の髪をそっと撫で、席を立つ。
ドレスの裾を翻し、静かに部屋を後にする。その後ろを見送りながら、私はふっと視線を落とした。
(結局、神聖のことは何も聞けなかったな……。知ってる人、いるのかな。ちゃんと、教えてくれる人)
そんなことをぼんやり考えながら、私はひとり残された朝食に手を伸ばした。
まだ少し温かいキッシュと、手を付けられずにいたウサギりんごが、私の視界の隅にあった。




