番外編 ヒトラーはランスキーをどう思っていたか?
禁酒法時代から大不況時代にかけて、ギャングたちはかなり栄えた。
禁酒法時代には密造酒を売り、禁酒法が終われば、労働組合をメシの種にして、さらにヘロインにも手を出した。
この時代、突出したのはイタリア系のマフィアとユダヤ系のギャングだった。
殺人会社の代表取締役レプケ・バカルターやデトロイトのパープル・ギャング。
そして、ユダヤ系暗黒街最大の大物マイヤー・ランスキー。
こうしたギャングたちはヒトラーからすれば、いかにユダヤ人が危険かのモデルケースになる。
さらにユダヤ人=金融を操る裏切り者というナチスのユダヤ人観にマイヤー・ランスキーは恐ろしく符号する。
犯罪世界の金融を支配しているなんて、ナチスからしたら、嬉ションものだ。
では、ヒトラーはこれらユダヤ人ギャングについて、何か言っていたか?
実は一次資料ではヒトラーがランスキーをはじめとするユダヤ系ギャングについて言及したという記録がない。
意外である。
ナチの機関紙はユダヤ系ギャングのことを取り上げていたが、具体的な名前はレプケ・バカルターとその右腕のジェイコブ・〈グラー〉・シャピロである。
つまり、殺人会社関係だ。
そして、ここにもランスキーの名前はない。
理由はふたつある。
一つ目は、ランスキーが大々的に取り上げられるのは実は1945年以降なのだ。
マフィアの財務担当、国際的な資金洗浄、資産三億ドル。
しかも、このうちのいくつかには誇張もある。
逆に言えば、ランスキーはそれだけ表に出ずに活動をしていたということだ。
裏で姑息に立ち回る、というのはまたナチスが好きなユダヤ人観だが、たぶん調査が足りないのか、ランスキーについては言及がなかった。
二つ目の理由はレプケとグラーは世界的に有名だったことだ。
彼らは殺人を専門に請け負う殺人会社の最高幹部である。
アメリカという先進国トップにこんな殺人鬼集団がいたというのは結構、海外でもニュースになった。
おそらくドイツでも取り上げられたのだろう。
――†――†――†――
では、逆にランスキーはヒトラーをどう思っていたかというと、間違いなく憎悪の対象だった。
戦時中には軍と結託して、ドイツのスパイがアメリカの港で悪さしないよう見張ることまでしている。
そして、これはブラックユーモアの域なのだが、ランスキーたちユダヤ系ギャングはよくアメリカ国内のナチ組織をボコボコにしに行った。
国内のナチ組織は参加者二万五千人を超え、あちこちの地方自治体は手を焼いていて、それで彼らをしめるためにユダヤ系ギャングを頼ったのだ。
注文はただひとつ。『殺すな』だった。
さあ、大変である。
アメリカのナチ組織は本家を真似して、きびきびした行進をしたり、ぴしっと直立不動で広場に集まって演説をしたり、市民を威圧したりする。
ユダヤ人の政治活動家がやってきて、文句を言ってくるくらいのことは予測していただろうが、やってきたのは小学校をドロップアウトして以来、暴力で飯を食ってきた専門家たちだ。
ギャングたちは野球のバットと自転車のチェーンでナチをボコボコにしたが、それはまさに本家ドイツのナチがやってきたのと同じこと。
しかも、こうした集会潰しは一度や二度ではなかったらしい。
ギャングたちからすれば、むかつく反ユダヤ主義者を市長公認でボコボコにし、お駄賃までもらえるのだから、気分は遠足である。
――†――†――†――
とはいえ、彼らは共産主義系のストライキや労働組合の運動家も同じようにボコボコにしているし、ピート・パントのように何なら殺してさえいる。
しかも、殺した下手人が殺人会社のエース社員であるメンディ・ワイスというユダヤ系の殺し屋だ。
決して、彼らは正義の味方ではなく、ナチをボコボコにしたのは利害関係が一致したからに過ぎない。




