麻薬を知らない麻薬王 ~チェーザレ・マンツェラ~
1950年代、シチリア島、チニージのマフィアのボス、チェーザレ・マンツェラは典型的な農村地主型のボスだった。
大きなレモン園を持っていて、田舎に屋敷を持っている。
チニージの住人から尊敬され、恐れられ、また尊敬された。
仕事がなくなったとドン・チェーザレに相談すれば、どこそこの農場で明日から朝八時に働きにいけ、話を通しておく、と、職業紹介をしてくれる。
この手のボスは政府の福利が届かない場所で、その代わりをする。
つまり、社会インフラの一部を担っているのだ。
チニージは風光明媚で内陸はレモン園やワイン農園、海沿いは少年時代に鮮やかな思い出を残してくれる、素晴らしい青の広がり。
マンツェラはそんな自分の縄張りをゆっくりまわって、ときどきカフェで地元産の粗野っぽいコクのあるワインを楽しんだりする。
そんなマンツェラだが、実は彼は麻薬王だった。
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おそらくマンツェラはジャンキーというものを見たことがない。
ゴッドファーザーでドン・コルレオーネは麻薬は恥ずべきものだと言っているが、マンツェラは自分がコルシカ島で買いつけて、アメリカに密輸しているヘロインそのものを一度も見ていないかもしれない。
シチリア島でも麻薬中毒が問題になるのは七十年代の話で、おそらくこの時代のチニージではジャンキーはいない。
マンツェラは伝統的な農村型のボスだ。
60年代シチリアで第一次マフィア戦争と呼ばれる抗争が起き、農村型の伝統的なボス対ヘロインや建築ブームを扱う新興ボスの戦争みたいな見方をするが、マンツェラを見る限り、そんな安易なカテゴライズはできない。
ドン・コルレオーネが麻薬を嫌うのはおそらくジャンキーを見たことがあるからだろう。
マンツェラはおそらくジャンキーを見たことがない。
ヘロインを扱うのも、「よくわからんが、これがアメリカでいい値段で売れるらしい。じゃあ、やってみるか」くらいの考えしか持っていない。
だから、ヘロインが何をもたらすかを知ったら、――まあ、密輸はやめないだろう。そこはマフィアである。
ただし、絶対に自分の縄張りに売り物が入らないようにするのではないだろうか。
マンツェラはチニージの名士であり、尊敬を集めるボスだ。
それが、ヘロインを売って、地元の若者を廃人にするなんてことは都合が悪い。
彼が築いたコミュニティとその尊敬のシステムが崩れてしまう。
それに警察や政治家との関係も難しいものになる。
だが、一番許せないのは晴れた午後に自分の縄張りをゆっくりまわって、カフェで地元産の粗野っぽいコクのあるワインを楽しんでいるとき、がりがりに痩せて、不潔で、腕の注射針の跡をぼりぼり掻きながら、そこいらじゅうの人間に小銭をくれとねだるジャンキーなんて、見たくないのだ。
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ともあれ、マンツェラは麻薬業者である。
もともと持っていた密輸ルートに、ヘロインをのっけて、地縁のあるアメリカのマフィアたちに卸している。
しかし、ヘロインがチニージを汚すことはない。
だが、ヘロインがマンツェラの命取りになる。
1962年、カルチェドニオ・ディ・ピーサというボスがコルシカ島にヘロインを買って、アメリカへ売りに行くが、カネを出したいやつはいるかとたずねた。
マンツェラとラバーベラ兄弟が応じた。
ラバーベラ兄弟は州都パレルモに縄張りをもつマフィアのボスで、建築ラッシュに食い込んで荒稼ぎをして頭角をあらわした若手のボスだった。
ディ・ピーサは彼らから金を受け取って、コルシカ島でヘロインを買い、アメリカに卸した。
ところが、ラバーベラ兄弟は自分たちのヘロインが足りない、ディ・ピーサがかすめとった、と非難した。
ディ・ピーサは知らない、アメリカ側が盗んだんだろ、と取り合わなかった。
ラバーベラ兄弟は頭にきて、ボスたちでつくる評議会にこのことを持ち込んだが、評議会はディ・ピーサに無罪判決を出した。
ラバーベラ兄弟は頭に来て、ディ・ピーサを射殺した。
すると、評議会トップのサルヴァトーレ・グレコ率いるグレコ陣営がラバーベラ兄弟の片割れ、サルヴァトーレを行方不明にしてやった。
残った兄弟のアンジェロはすぐに報復した。
1963年4月26日、チニージのレモン農園でマンツェラは部下の農園監視人と一緒に自動車を走らせていた。
すると、自分の農園に車が一台止まっているのを見つけた。
それが、彼の右腕ガエターノ・バダラメンティの車に似ていた。
ちょうどマンツェラとその従兄弟のグレコとで、ラバーベラ兄弟のサルヴァトーレを空っぽの車を残して行方不明にしてやったばかりだったから、
「まさか、あいつ、殺られたんじゃないだろうな?」
と、思って、放置された車に近づいた。
そこで自動車に仕掛けられた爆弾が爆発し、マンツェラはバラバラに吹き飛んだ。
数百メートル先のレモンの枝にまで、マンツェラの一部が引っかかっていたと言われている。
享年65歳。
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マンツェラのような高齢で伝統的な農村型のボスはヘロインを扱わないという神話があるが、実際はそうではない。
ただ、ヘロインのような大きな金を生む商売ともなると、軋轢は生まれやすい。
ジャンキーを締めだしても、そうした対立からは逃れられない。
その後、ヘロインビジネスは好調に売り上げと伸ばした。
マンツェラのころ、ヘロインは数キロ単位での密輸で、数十キロくらい扱えば、かなり大きな取引だった。
だが、精製所をシチリアにも作り、アメリカのマフィアたちとの連携をより強くすると、ヘロインの密輸は最低でも数百キロ単位に膨らんだ。
1980年代にはヨーロッパでヘロイン汚染が重要な問題となり、それはシチリアも例外ではなかった。
マンツェラは麻薬を見ずに麻薬の元締めになれた最後の世代だった。




