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チーズ屋さん ~レオン・マリア・ロサノ~

 前回、コロンビアを流血の巷にした〈暴力(ラ・ビオレンシア)〉について述べた。


 そこで、疑問はこの時期に、ラケッティア紳士録に載れるものがいなかったのか。


 サングレネグラのようなゲリラはたくさんいるが、もうちょっと都市に寄せたい。


 それに前は自由党だから、今回は保守党を。


 実はひとりいる。


 レオン・マリア・ロサノ。


 彼は四十九歳まで犯罪と無縁の人生を送り、五十歳にして犯罪組織のボスになった男である。


     ――†――†――†――


 レオン・マリア・ロサノは1899年、バジェ・デル・カウカ県トゥルアに生まれた。


 コロンビアは自由党と保守党の二大政党が非常に激しく対立する国だが、トゥルアは自由党がかなり強い町だった。


 それに対し、ロサノは保守党支持者である。


 ロサノは鉄道職員の家に生まれ、若いころはメッセンジャーなどの仕事をし、チーズ屋さんを営むようになった。


 よくある地主で暴力で農民を支配し、市長も警察も思い通りに操ったタイプの保守党ではない。


 ただ、ロサノは保守党と、そして、教会への帰属意識が高く、自宅の近くでサレジオ会の学校が作られるときは積極的に支援していたといわれる。

 同時代人もロサノは必ず朝の六時のミサに出ていたことを記録しているし、毎月第一金曜日に告解に行き、娘には「自分のことよりも他人をまず大切にしなさい」「神への奉仕を忘れてはならない」とよく言っていたとか。

 司祭や修道女とも親しく交流していた。


 ロサノにとって、教会は永遠だった。

 彼はのちに生まれ故郷から離れた場所で追放同然の身で射殺されるが、「告解と聖体拝領を済ませたから、いつ死んでも大丈夫だ」と娘に話していたらしい。


 Leon Maria Lozano でグーグル画像を検索すると、ロサノの顔が出てくるが、見た感じ、ずんぐりした、ちょっとこわもての田舎のおっさんである。


 そのおっさんが、バジェ・デル・カウカ県のあちこちに殺し屋を送って、自由党支持派を殺しまくる暴力ネットワークの中心人物になり、その土地や財産を没収して再配分し、さらには教師、警察、市役所の人事に介入し、最後には大統領からの特別釈放命令まで出させる存在になる。


     ――†――†――†――


 おっさん年表。

 49歳まではチーズ屋さん。


 49歳から50歳は暴徒から教会を救った英雄。


 51歳から56歳が殺し屋集団ロス・パハロスの首謀者。


 57歳で、かつて殺した人物の息子に射殺される。


     ――†――†――†――


 信じられないだろうが、五十年間、カタギのチーズ屋さんだった男が人殺しの司令官となり、一説では四千人余りの殺害を命令したと言われている。


     ――†――†――†――


 きっかけを見てみよう。


 1948年4月。

 コロンビアの首都ボゴタで自由党議員ホルヘ・エリエセル・ガイタンが銃撃され命を落とす。


 ロサノからすれば、反対政党の議員であり、教会の権限を削ろうとする罰当たりだが、支持者からすれば、カリスマ的人気のある政治家だった。


 すぐに自由党系ラジオが放送した。


「『ウルティマス・ノティシアス』から速報をお伝えします! 保守党とオスピナ・ペレス政府が、たった今、ガイタン博士を暗殺しました! 博士は事務所の入口前で、警察官に銃撃されて倒れました! 民衆よ、武器を取れ! 突撃せよ! 棍棒、石、散弾銃、手に入るものなら何でも持って街へ出ろ! 金物店を襲撃し、ダイナマイト、火薬、工具、鉈(マチェーテ)を奪え!」


 本当に警察が殺したかどうかはわからないし、たぶん違うというのが現在の主流だ。

 ただ、自由党の支持者たちはそうあってもおかしくないと思っていた。

 それほど、当時のコロンビアは空気がピリついていた。


 そして、トゥルアの町では本当に自由党支持者たちが武器を取った。

 目指すのはサレジオ会の学校。


 近所に住んでいたロサノは何とか銃を手に入れて、同じく保守党支持者数名とともに学校のまわりを警備して、威嚇して、暴徒たちを追い払った。


 これがチーズ屋さんレオン・マリア・ロサノの人生を変える。


 彼は自由党のアンチキリストから教会を守ったヒーローとして、保守党の政治家たちから持ち上げられたのだ。


 ガイタンの暗殺後、コロンビアは〈暴力(ラ・ビオレンシア)〉という内戦状態に陥った。

 自由党と保守党の殺し合いはコロンビア全土に広がっていて、ロサノが住んでいる町も例外ではなかった。


 しかも、トゥルアは自由党が優勢な町であり、近郊の地主や牧場主は自由党が襲撃に来るのではないかと恐れた。


 当時の知事は保守党の人間だったので、地主たちに金を出し合って、自警団的な組織をつくるべきだとアドバイスした。


 そうして出来上がった武装団体にトゥルアのヒーロー、ロサノが参加する。

 ロサノは自分と同じ保守党員を集め、この聖戦に加わろうと誘った。


 この組織の目的は自衛、脅迫、自由党員の投票妨害であり、あからさまな殺人は姿を見せない。


 ロサノはまだ、教会を守り秩序を守るための自警団に参加したチーズ屋さんである。


 いきなり、殺戮集団のトップになったわけではない。


 ただ、このころ、保守党の地方組織がロサノたちに銃と資金を持ち込んだ。

 そして、誰それを脅してくれとか、追い出してくれとか、そんな依頼を受けるようになる。


 つまり、政治家、地主、ロサノの暴力ネットワークが出来上がり始めた。


 チーズ屋で自警団のおっさんロサノは少しずつ、保守党の中央部にも知られ、厄介な自由党員がいたら、シメてくれる便利な暴力団として認識されていく。


 そして、コロンビアの情勢はどんどん悪化した。

 暴力に次ぐ暴力。


 この戦いのキモは選挙だった。

 地方議会で与党になれば、その地区の自治体と警察組織を握れる。

 何が何でも勝たなければいけない。


 なに? そこは敵対政党が有力な地域だ?

 そんなもん暴力で切り崩せ!


 ロサノが暮らすとトゥルアでも、選挙がらみの暴力沙汰が始まった。

 最初は投票箱に自由党員を近づかせないようにするくらいだった。

 ところが、そのうち、投票権を持つものそのものが的になり、そして、ついにとうとう殺人が起きた。


 実はロサノがいつから殺人を始めたのか、よくわかっていない。

 ただ、1950年には確実に殺っていた。


 このころになると、ロサノは殺し屋集団ロス・パハロスのリーダー、〈エル・コンドル〉になる。

 パハロスとは鳥という意味で、誰それを殺してくれと頼めば、どこにでも飛んでってぶっ殺してくれる。

 そんな鳥たちの王、それが〈エル・コンドル〉だった。


 どこそこで自由党員が暴れているから、鎮圧してくれないか? 必要ならぶち殺してもいい。


 チーズ屋さんがいつから殺人を肯定したのかはわからない。

 ただ、なんとなく考えていることはわかる。

 敬虔なカトリック教徒にとって、自由党はアンチキリストの集まりであり、殺しても罪にならない。

 これは聖戦だ。


 そして、国全体が暴力へと転がり込んでいた特殊な時代。


 おそらく時代と信仰でロサノは殺人を克服したのではないか?


     ――†――†――†――


 ひとり殺せば、ふたりも三人も同じになる。


 五十年から五十一年にかけて、ロサノによる殺人事件が飛躍的に増えていく。


 そして、ロサノが殺せば殺すほど、それを頼んだ政治家、警察、行政官、地主との関係が生まれていき、気づけば、ロサノはバジェ・デル・カウカ県の殺人ネットワークの中心人物になっていた。


 バジェ県の保守党はロサノの暴力なしで権力を維持できないところまで来てしまったのだ。


 そして、この時期、重要なコネがひとつ生まれる。


 第三旅団長、グスタボ・ロハス・ピニージャ。

 1953年にクーデターを起こして大統領になる人物だが、このときはバジェやカリ地方での暴動や反乱を鎮圧するひとりの司令官だった。


 そして、ロハスは鎮圧にロサノを利用し始めたらしい。

 この関係は相当深いらしく、のちにロサノが逮捕されたとき、大統領だったロハスはロサノの釈放に動かないといけなくなるくらいだった。


     ――†――†――†――


 かつてのチーズ屋さんレオン・マリア・ロサノはいまやトゥルア他、バジェ・デル・カウカ県の市長、警察署長、教師の人事に口を出せるくらいまで大きくなった。


 政治を握り、殺し屋を多数従えているというのは禁酒法時代のアル・カポネなのだが、奇妙な話、ロサノは私腹を肥やさなかった。


 ロス・パハロスのメンバーたちは殺したり脅したりして持ち主がなくなった自由党員の土地をタダ同然の値段で買い叩いて、大いに儲けていた。


 メンバーのなかには依頼があろうがなかろうが、欲しいものがあったら殺して取るようになるし、メンバー同士で戦利品をめぐる争いをして死者が出たりしている。


 ところが、ロサノにはその手の話がきかれない。


 相変わらず、毎朝六時のミサに出て、司祭と親交を深め、家族には神と教会に奉仕することを言い、そして、本拠地の酒場ハッピー・バーで「今日お前はどこそこの誰それを殺してこい。お前はこっちのこいつを殺してこい」と指図をする。


 ハッピー・バーには始末してほしい政敵のいる人物が足繫く通い、殺してくれ、追い出してくれと頼むのだが、ロサノ自身は金銭を要求しない。

 ただ、自分に借りがあること、そして、保守党のために協力してくれとネットワークを強くするだけ。


 チーズ屋さんは続けてはいなかったらしいが、市場の税金の徴収役をしていたらしい。

 そして、これは自由党支持派も証言していることだが、一切、不正はしない真面目な徴税官だった。


 ロサノにとって、これは聖戦だったのだ。


     ――†――†――†――


 1953年、ロハスがクーデターを起こして、大統領に就任する。


 いろいろ仕事を頼まれ、親しく付き合っていたロハスが大統領になることでロサノの力もまた強固なものになっていく。


 このころのロサノは司法をも超える力を持っていた。


 1953年ごろ、ある町で殺人事件が起きた。

 それがロス・パハロスがらみの事件で、ロサノの部下が逮捕されていた。


 そして、判事が立ち会って、実況見分をしているとき、ロサノが部下をふたり連れてあらわれて、実況見分を妨害した。

 ロサノは証人に「間違った証言をしたら殺す」と脅迫し、判事は命の危険を感じて、川に飛び込んで逃げた。


 すぐに地元の検事局がロサノを起訴しようとしたが、ロサノの手下が検事局を包囲して、あからさまな脅迫を繰り返した。


 ロサノには司法を脅迫し妨害した罪で逮捕状が出されて、実際、逮捕されたのだが、このとき、大統領のロハスがロサノをただちに釈放せよと命じて、釈放されてしまった。


 一見、ロサノとロハスの蜜月を示すエピソードだが、実際は複雑である。


 ロハスはクーデターで大統領になった。

 その背景には内戦に疲れた複数の勢力がロハスに内戦終結を期待したという事情がある。


 ロハスももちろん解決したいが、その一方で軍事独裁体制を敷くことにも興味がある。

 実際、少しずつだが、知事や裁判官が〈保守党員〉から〈軍に従う保守党員〉に入れ替わっている。


 そんななか、ロサノが判事と検事を脅迫したのはロハスの権威に対する重大な侵害だった。


 しかし、〈暴力(ラ・ビオレンシア)〉を終わらせるはずのロハスは第三旅団長時代、鎮圧のためにロサノにかなりの汚れ仕事を頼んでいる。


 ロサノが逮捕されて、裁かれて、過去にロサノがやったことが罪となれば、それは大統領ロハスに跳ね返ってくる。


 このチーズ屋さん、いまやかなり厄介な存在になり始めた。


     ――†――†――†――


 コロンビアにはコーヒーより苦い思い出がある。

 19世紀から20世紀への変わり目の千日間、内戦をしていたのだ。


 自由党対保守党である。

 こいつら本当にどうしようもない。


 この戦争の結果、コロンビアは大量の死者を出し、社会と経済が崩壊し、当時コロンビアの領土だったパナマに独立された。


 1955年、〈暴力(ラ・ビオレンシア)〉も八年目に来ると、自由党と保守党は悟り始めた。

 もう、やめないといかん。


 だが、もはや中央から統制が取れないほど、国内は荒れ果てている。

 おまけにかつて担いだ神輿のロハスは最近、露骨に軍事独裁を狙っていて、どうも憲法を改正して、終身大統領になろうとしている。


 何が何でも終わらせなければいけない。

 そして、決意した。

 自由党と保守党は協定を結んで和解する。

 大統領は自由党と保守党で四年ずつ交代し、議席も分け合う。


 ところが、和解に邪魔なものがある。


 ロサノである。


 いまだにトゥルアを中心とする殺人ネットワークの中枢にいて、政治、警察、地主と結びついている。

 だが、もう、政治家も地主も疲れ果てていた。

 かつては「邪魔者は皆殺しにしてでも全てを独占したい」が主流だったが、このころになると「殺される心配をしない平和なコロンビアが欲しい!」に切り替わっている。


 ますますロサノが不都合だった。


 そして、保守党より先に大統領ロサスがトカゲのしっぽ切りをした。


 まず、県知事にロサノを追放するよう命令が飛び、保守党の地方組織にはロサノとの協力関係を閉ざすよう指針が入った。


 これは若干の賭けがあり、ロス・パハロスの暴発もあり得たが、ロサノは従った。


 保守党への忠誠は教会への奉仕と同じくらい大切なものだったロサノにとって、保守党からのお払い箱を精神的にきいた。


 保守党は体よく、ロサノを地縁も何もない、だがコーヒーはスゲーおいしいリサラルダ県ペレイラの町に居住させた。


「もう告解も聖体拝領も済ませた。だから、いつ死んでも平気だ」


 1956年10月10日、レオン・マリア・ロサノは朝のミサに出て、カフェでコーヒーを飲んでいるところを撃たれて死んだ。


 犯人はロサノに父親を殺された男だった。


     ――†――†――†――


「彼の犯した罪は党に尽くしたことだ。彼は最後には党のために命をささげたのだ」


 とは、保守党政治家から寄せられた弔辞である。


「彼は党のために命をささげた誠実な人物だった」


 これはロハスの弔辞である。


 ロサノはその勢力の全盛期、市長などのいかなる公職も求めなかった。


「これは党と教会にささげる戦いなんだ」


 ロサノが動乱の時代から政治家へとシフトできなかったのは殺人のせいではない。

 彼には政治に欠かせないもの――思ってもいないものを口にする資質が欠けていた。


     ――†――†――†――


 ロサノは間違いなく大量殺人鬼だ。


 だが、フランスかイタリアに生まれていれば、教会に熱心に通い、地元のワインに合うチーズを選んでくれるチーズ屋さんとして生涯を終えられたはずだった。


 彼にはカタギとしての五十年のキャリアがあったのだ。

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