李淘世(リ・タオシィー)暗殺ミッション 6
雨雲が自然な形に広がってゆく。YOUは壊れたふたつの通信機を直すGINの傍らで、キース・ストームという名に相応しい《能力》に感心しながら彼の背中を盗み見た。
「こっちの手の内を全部読まれるのはマズい、とは確かに思ったんだ。でもまさか、意識まで飛ぶとは自分で思わなかったんだよ」
YOUの報告を繋ぐ形でGINがそうぼやき、それがYOUの意識を再び任務へ戻した。
「ま、取り敢えず、あいつはあいつで、向こうの組織に弱味を握られているらしいことだけは視えた」
GINの説明によると、キースはGIN自身やサレンダーのメンバーに関心を抱いたらしい。GINはそのニュアンスを、キースが引き受けた依頼や依頼主とは関係のない、彼個人のものと推測したようだ。
「詳しいことはわかんないけど、とにかくあいつもアメリカから抜け出したい、ってことだけは一番強い思念だったから判ったんだ」
GINはYOUの照らすマグライトを頼りに、絶縁体を剥いては線を繋ぎ直す作業を器用に繰り返しながら、キースとその依頼主の有り様を説明した。
「依頼さえこなせば契約終了、そんなドライなスタンスらしい。あいつにタオちゃんのダミーが用意されていることを知られた感じ。亡命先にもすごい関心を寄せてた。だからあいつが標的ではなくなったと見ていいんじゃないかな、と思う」
それはYOUもキースの口から確認されたことだった。
「ええ。私も彼の口から“アッチと契約した仕事は完了”と確かに聞きました。GINの予測は合っていると思うわ」
「タオちゃんの亡命先での護衛みたいな契約を結べないか、本間に打診してみようと思う」
GINの手許を照らすYOUのマグライトを持つ手がぴくりと揺れた。GINのはっとした横顔が上がったかと思うと、彼は困った笑みを浮かべてYOUを見た。
「キースのこと、信用出来ない?」
YOUはその問い掛けに、すぐ答えることが出来なかった。屈託なく信用してしまうGINの素朴さに嫉妬さえ覚える。綺麗事を信じられるのは幼さからだと切り捨ててしまえばそれまでだが、GINもこれまでに裏切りや絶望を数え切れないほど味わっているはずだ。それでも彼は、そんな自分を疎む意識さえない。
(そうね。それはこうありたいと思うことを諦めてしまうことになっちゃうのよね)
YOUは、それを貫くGINの根拠が本間の姿勢にあることも解っていた。
「そんなことは、ないわ。同じことを私も彼に持ち掛けようとしていたから。彼にもその気があるようだったし」
口にすることさえためらっていたキースとの取引材料を、YOUもようやく肯定した。半分はGINへの対抗心、もう半分は客観的に分析したベターの判断がそう言わせた。
「へえ、意外。YOUって、タオちゃんに関してだけは、本間以外の人間全部を信用していなさそうに見えたから」
意地悪なGINの言い方に眉をひそめて威圧した。途端に黙り込んだGINは、逃げるように手許へ視線を戻した。
「私では、タオを守ることが出来ないから。物理系のGINも期間限定だし、キースを信じるしかないでしょう」
すっかり小雨になっていた空から、一滴の雫も落ちなくなった。満月に近い月が雲間から顔を覗かせ、滑走路を仄かに照らした。
「あとはキースの条件と」
「本間の判断次第、だけどな」
GINの手許でYOUの持っていた通信機の部品と組み合わせて修理していたそれが、ジ、と小さな音を立てて通信再開をふたりに知らせた。
キースを呼び戻し、GINが本間とのコンタクトを試みる。
『連絡が遅い!』
と叫ぶ本間の声は、YOUにとって初めて聴く、感情が乗った意外なものだった。
「悪い、ちょっとヘタこいた。一応、無事」
GINは個人としてそれだけを本間に告げると、キースとの戦闘やこれまでの経緯を簡潔に報告した。
「――ってことで、対アメリカさんの件はコンプ。問題は事故機の処理と《淨》の未完状態。それと、管制塔の司令室にいる人間の記憶をこっちの離陸時にどう操作しておくか。あと、キースとの交渉も俺の独断で決めたらマズいだろ。お前に任せる。話が済んだら指示をよろしく」
誰よりも緊張感なくだらけた態度ばかりを取っていて、ついさっきまでYOUを苛つかせていたはずなのに。GINは的確にポイントを押さえて要領よく手順をまとめ、本間が指示を出しやすい言い方で報告を終えた。YOUはそんな彼の報告に黙らされる恰好になっていた。
『わかった。キース・ストーム、協力の条件は?』
感情を剥き出しにしていた第一声を忘れさせるほどの冷静な声が、小さな通信機のスピーカーから漏れ聞こえた。キースはGINに手渡された通信機に向かい、ごく短い要望を本間に告げた。
「GINが欲しい」
「は?」
『なんだと?』
同時にふたつの男声が、異口同音にキースへ疑問符を投げた。
「まだコイツの《送》を使うコツがゲット出来てない。あんたら、李淘世を潜伏させるために飛ぶんだろう? 護衛の依頼を請ける代わりに、俺が《送》を使いこなせるまでGINの帰国もストップ。You see?」
「おま、こっちにも都合ってもんが」
と言い掛けたGINの口を、キースが片手一本で塞いで言葉を繋げた。
「アッチに李の死亡がガセだとばれたときには、俺にも面倒がかぶるからな。あんたらの“ラスト・ミッション”の口止め料としちゃあ安いもんだろ? これは交渉じゃない」
不敵な笑みがキースに宿る。GINの顔が怒りでゆがみ、彼の全身を深緑のオーラが包み始めた。
「おいキース、貴様は俺のどこまでを視た」
GINの気色ばんだ瞳が再び緑掛かってゆく。彼の右手が素手のままキースの手首を掴んで捻り上げようとした。
「GIN、待っ」
『いいだろう』
あまりにも即決な本間の声に、GINとYOUが同時に通信機を凝視した。
「紀由?!」
「本間さん?」
『ただしこれは、あくまでもお前と俺たちの利害が一致しただけのことだ。《送》をラーニングさせたのは、GINの自己責任、こちらとは別の話だから問題ない。キース、無事に身を隠したいなら自発的に我々に協力することだな。お前の返答次第で、GINが今すぐ《送》でお前にダイブするだろうが、さて、どうする』
本間の打診を聞いた途端、キースの顔色が変わった。彼のこめかみに汗が伝う。YOUは、やっと気がついた。
(GINは今、キースの肌に触れている……もう《送》を仕込まれているの?)
「や、めろ……視、るな」
キースの瞳が濁り、不快の皺が眉間に浮かぶ。口角が忌々しげに引き攣り始めた。GINの手を振り切ろうとキースの右手がGINの右手に伸びる。
「いぎッ!?」
「残念でした。両手利きなんだな、これが」
だが、それもあっさりGINの手刀によって阻まれた。本間が音声だけによるわずかな気配でその状況を察したのか。それともGINが万が一を想定してあらかじめキースの肌に触れておくことを冷静に考えていたのか。
(いずれにしても、すごい……阿吽の呼吸ね)
改めて彼らの信頼関係に感嘆する。YOUの目から見て、キースの不利は明らかだった。
「童顔だからってナメんな、クソガキ」
低い声が這うと同時に、キースの手首がようやく解放された。口惜しげにGINを睨むキースの頬が、わずかに赤く色づいた。
「人ン中に入るときはノックくらいしやがれ、ベビーフェイス」
吐き出されたキースの負け宣言に、GINが少年のような笑みをこぼして通信機を顎で指し示した。キースが渋々本間に無条件で協力の意向を告げる。その傍らでGINがYOUに向かって親指を立てた。
『キースは嵐を呼び戻し、空港内すべての目撃者に《送》を発動しろ。しくじっても構わない。きさまの失敗はGINに尻を拭わせる』
「げ、マジか」
本間の指示にいちいち突っ込みを入れるGINを無視して指令が続く。
『事故機の処理は、RAYとRIOを呼び寄せて対処済だ。YOUはもう一度《清》で目撃者の記憶消去を』
「了解です」
それが出来る程度には《能力》が回復していた。YOUは膝を立てて動けることを確認すると、改めて天を仰いだ。
『残りのふたりは《送》で記憶の上書きだ。GIN、キースの誘導はお前に任せる。常に通信可能な状態にしておけ。YOUに集合箇所は伝えてある。予定通りの場所からフライトする。管制塔にはこちらで根回しを済ませておくので問題ない。残り時間、二十分。その間にすべてを完遂しろ、以上だ』
「りょーかーい」
「ラジャー」
「了解です」
管制塔の切っ先を中心に、辺りが蒼と深い緑色に包まれた。
YOUの体がふわりと宙に浮く。まだ水を操ってもいないのに、足の裏が何か硬い足場のような感触を受け取った。
「嵐の雨全部を操ったんだ。体力の限界も近いんだろ? 足場作りは俺がする。どこへ向かって道を作ればいい?」
YOUにそう尋ねたのはキースだった。風になびく長髪の白銀と、その向こうに再び集まり始めた暗雲のコントラストが、まばゆい。YOUはまぶしそうに、一瞬だけ目を細めた。
「第一ターミナル、先に事故現場を処理します。私の姿を見た人がいますから」
「ラジャー」
キースの言葉を待つ暇もなく、大気の変化を《能力》が感じ取る。
「あ。キース、それ、コツがわかった。あとは俺がそっちをやるから、お前は雨を呼ぶのに専念しな」
GINはそう言ったかと思うと、自らの足場を築いたらしい。クラウチングのポーズから一気に助走、そして空中に向かって高く跳んだ。
「よっ、こうか?」
まるで、宙で逆立ちをしているようだ。足場を作ったらしい彼の掌を、ガラス越しに覗いているような感覚で見上げた。
「うっしゃ、やれば出来るじゃん、俺すげえ」
まるで遊んでいるような軽い言葉が降って来たかと思うと、風がYOUの体を包み、一瞬のうちにYOUをGINの許まで運んだ。
「GIN?!」
「跳んだ方が早い。しっかり掴まってて」
抱きとめられた途端、耳許で囁かれる声。空からは守るように降り注ぐ雨。あんなにも怯えた雷鳴が、今のYOUには最強守護神の来訪を告げるファンファーレにさえ聞こえた。
「はいッ」
YOUはありったけの感謝をこめて、GINにしがみついた。
「フライトはどこから?」
「第二ターミナルです」
「キース、十分以内に第二ターミナルへ行く。これ持って先に行っとけ」
GINの投げた言葉を追うように受信機が宙を舞った。もうひとりの《風》が気を自在に操り、雨で濡らすことなくそれを受け取った。
「ああ。で、雨はいつまで降らせときゃいいんだ?」
「こっちとの合流まで。ただし本間の指示最優先、んじゃ、行く」
深緑の閃光が、嵐を切り裂いた。
淘世を乗せていた事故機が炎上していた第一ターミナルでは、事故の形跡もないのに多量に流れたエンジンオイルや、アスファルトの焼けた跡が生々しいまま残っていた。それに首を傾げる職員たちが、調査のためであろう、足を踏み入れて動き回っている。
GINはターミナルビルの屋上に着地すると、足場にする大気を固めるため、YOUを下ろして意識を掌に集中させた。濃い緑の絨毯が空中に流れる。だがそれはほんの一瞬だけで、すぐに透明な板と化した。硬質化した空気は、物質の構成組織が変わることで、わずかに照明を反射して細長い舞台の位置をYOUに知らせた。光の帯が可視化したのは一瞬だったが、目敏く見つけた数人が空中を見上げて来た。
「YOU、急いで」
「はい」
YOUは天を仰いで玄武に祈った。
(お願い、もう一度だけ力を貸して)
空を抱くように、両の手を思い切り広げる。キースの力で集められた雨雲が、厚い層の渦を巻いてYOUに近づいた。風が次第に強くなる。頭上に深緑のひと筋がきらめいたかと思うと、YOUの十メートルほど先へ着地した。
「GIN」
「足場を広げておくぞ。水の動いた先が《送》のターゲットでいいんだよな?」
YOUはGINの問いにこくりと頷き、一歩ずつ舞いの足を彼の方へ向かって進めていった。
清めの舞を踊りながら、思う。
(やっぱり、浮いた感触が水中とよく似ている。気持ちいい)
人目を忍んで山深い滝から流れる川に飛び込み、生まれたままの姿で水と戯れた気持ちよさを思い出す。そこに息づいている人々が抱える負の感情も、認められない非現実的なこの光景も、すべて水の舞が流し溶かす。とろけて流れたそれらを人々から受け取り、負の源を忘れさせてくれる。
YOUが舞うたびに水の帯が、ターミナルビルの窓辺に張りついていた職員や、滑走路でこちらを見上げていた職員たちの驚愕した顔を、穏やかであって自失したものへと変えていく。手繰るように自分の方へ腕を寄せ返すと、彼らは操り人形の糸が切れたように、ひとり、ふたりと倒れていった。
「うしっ、第一ターミナルはこれで全員だな」
深緑の旋風が横切る刹那、そんな言葉を残していった。一直線に、ターミナルビルのガラス窓をぶち抜いて中へと滑り込むGINに、
「ええ。頭痛と脚の痛みはどう? まだ動ける?」
と彼の容態を尋ねた。
「すっごい快調。完全に痛覚が麻痺して、頭がはっきりしてる。血漿輸血もあながちバカには出来ないもんだな」
床を媒体に、倒れた目撃者たちへ一斉に《送》を送るGINは笑ってそう言った。その余裕がYOUにミッションの成功を確信させる。気づけばYOUの強張っていた表情にも、自然な笑みが宿っていた。
「こっちも完了」
という声とともに、先ほど割って入った窓ガラスから再びGINがYOU目掛けて飛び出して来た。
「このまま第二まで跳ぶけど、乗り物酔いとかするほう?」
彼はYOUの目の前に着地すると、まずはそれをYOUに尋ねた。YOUの瞳が大きく見開き、そしてほんの少しだけ潤みを帯びた。
自分の隠していたことの一部を明かしたYOUは、GINが個人的にはそんな自分を気味悪く感じているだろうと思っていた。だが、それ以前と変わりなく、ちゃんと女性として扱ってくれている。そんなGINの気遣いが、YOUに心地よい胸の痛みを感じさせた。
「大丈夫よ。ありがとう」
たくさんのことがらに対して謝辞を告げながら、GINへ抱きつく腕に、きゅっと力をこめた。ありのままの自分でもよいと思ってくれる人が、ここにもいる。淘世の傍らにいることを赦されない自分は、同じ空間で息をしているということだけを頼りに生きるしかないと思っていた。
(でも、タオだけじゃない……私を受け容れてくれる人が、こんなにもいる)
「ありがとう、GIN。いつか必ず、恩を返すわ」
YOUはたくさんの意味をこめて、彼にもう一度礼の言葉を告げた。
「タオちゃんが無事日本を出るまでは、コンプじゃないんだろ」
彼がそんな意地悪な揚げ足を取りながら引き攣った顔で笑うのは、照れ隠しなのだろうか。
「ミッションが終わってから、そのあとでゆっくりと報酬を考えるから。覚悟しといてくださいな」
GINがそう言う間にも、第二ターミナルが眼前に広がった。所要時間、八分五十八秒五――本間の課したタイムリミットより、十分以上の余裕を残して《清》と《送》のミッションはコンプリートされた。