李淘世(リ・タオシィー)暗殺ミッション 5
――闘うだけがすべてではないよ。キミらしい形で。
淘世の言葉を反すうする。争いが嫌いな彼の言わんとしていることは、ただひとつ。
「敵と決めつける前に、ちゃんと相手を見極めなくちゃ」
幼いころ、YOUは自分に中傷を吐いた相手へ報復出来ない自分の気弱さを嫌っていた。彼らの言う“男女”は、自分でもそう思って気味悪く思っていたからだ。そんなとき、淘世が幾度となく肯定的な表現で言い換えてくれた。本間や零がRIOを懐柔する様子を見守っていたとき、彼らもやはり、RIOを敵と決めつけはせず、その背景にあるものを考慮しながら、さまざまな角度からRIOをよく見つめることに努めていた。その価値観が、YOUの中で次第に大きく意識されていく。
(最初から説得する、なんて焦った行動に出ないこと)
(何も考えずにタオの暗殺を遂行するだけの人なら、きっと今ごろとっくにタオと本間さんを見つけ出しているはず)
だが、現実には管制塔に留まったままでいるアサシン。
(まずは話を聞かせてもらわなくちゃ。そうしたら、きっとこっちの話にも耳を傾けてくれるはず)
それは、多くの人に「甘い」と言われ、哂われて来たことではあるけれど。
「でも、すべての人に哂われたわけじゃないわ。信じてくれる人だって、いたもの」
今回の相手がYOUと同じ価値観を持つ相手であることを祈った。
白銀の長い髪をたなびかせる人影を眼下にみとめると、YOUは水龍に願い、ゆっくりと管制塔の切っ先へ下降した。
「(あなたも《能力》者なのね。攻撃するつもりはないわ。だからもう少し近づいてもいい?)」
最も通じそうな英語でターゲットに語り掛けると、彼がゆっくりと管制塔の切っ先へ近づくYOUを目で追った。
「よう」
意外にも銀髪の青年は日本語でYOUに答えた。
「ウンディーヌのお姉さんは、GINの仲間? それとも組織の犬?」
管制塔のアンテナで点滅を繰り返すランプがそう見せるのだろうか。YOUを見据える碧緑の瞳が、強気な口調と裏腹に不安げな色で揺れていた。まだ二十歳前後と見られる青年の日本語は、明らかに日本人ではない褐色の肌なのに、とても流暢に紡がれた。
「綺麗な日本語ね。精霊に例えてくれるなんて、嬉しいわ」
問いには即答せず、管制塔司令室の天井上に当たるフラットな狭い一角へ着地した。彼の長身と長い髪が隠していたので気づかなかった。脇腹とその周辺を真っ赤に染めた作業服姿のGINが、彼の足許に倒れている。そして右大腿から膝に掛けて、脇腹の次にひどい傷を負っていた。服が破れてむき出しになった太腿はえぐれている。重症だと素人でも判る損傷具合だった。
「GIN!」
血の気が引く寒さを覚え、悲鳴に近い声で彼を呼んだ。だが、彼からの返事はない。意識を失っているのか、最悪の状態にあるのかまでは、遠目からだと解らなかった。
「おっと」
思わず駆け寄ったYOUの前に大きな体が立ちふさがり、そのままYOUの進路を塞いだ青年の真正面にぶつかった。
(しまった)
意図せず彼の懐に飛び込んでしまった挙句、思い切りホールドされてしまった。黒人とのハーフらしい彼の体躯は、YOUよりも頭ふたつ分近く背が高かった。それに加え、かなり鍛えていると思わせる厚い胸筋は、いくら体術を心得ているYOUでも敵わないと認めざるを得なかった。
「風使いさん、お願い。GINは大切な仲間なの。彼の無事を確認したいだけ。応急処置だけ、させて?」
懇願しながら、青年の背後でそっと指先を動かす。残りわずかな《能力》を、闘いではなく保護に回す。YOUの従えていた水龍が形を崩し、ただの水柱へと変化した。
「!」
目を見開いてYOUの背後で崩れていく水柱に食い入った青年を見上げ、YOUは警戒を外さないままゆっくりと自由の利く肘から下を持ち上げた。
「てめェ」
彼がそう言うや否や、右手を翳した。途端、YOUの頬に、かまいたちが裂いたようなぱっくりとした楕円の傷が浮かび上がった。
「――ッ!!」
痛みで顔が醜くゆがむ。YOUを拘束する手が片手だけになったのに、腰を中心に全身が更にきつくしめ上げられる。それでも、水を操り続けた。闘うためではないと彼に信じてもらうために。
「な、にやってんだ、あんた」
彼の視線が糸と化した水の先、彼の背後にいるGINの方へと移った途端、危機感というよりも単純な驚きを表す緊張感のない声が彼の口から零れ出た。
「私の水は絶対防御なの。水を少し硬い組織編成に変えてGINの傷口を塞ごうと思って」
いぶかる表情をYOUに向け直した彼が、「このベビーフェイスは、あんたの一番大事なヤツ?」と尋ねて来た。
「彼は私の一番大切な人を守ってくれた人。だから、絶対に死なせてはいけないの」
淘世が自分のために犠牲が出ることを悲しむから。本間の大切な人だから、恩人の彼を悲しませてしまうことにもなる。何よりも、YOU自身が淘世以外に初めて得た仲間たちを失いたくないと思っている、と思うままを素直に告げた。碧眼の青年は、任務とはまるで関係のない理由を並べ立てるYOUに、呆れた顔で小首を傾げた。
「大切な人? 李淘世が? ひょっとしてあんた、実はサレンダーじゃなくて、ただの飛び入り? 部外者ってこと?」
青年の表情から、完全に敵意が消えた。YOUを敵か味方かを見定めようとする混乱の瞳に、ありったけの思いをこめて身の上を明かした。
「やむを得ずサレンダーに属しているけど、心まで組織に売り渡したわけじゃないわ。私は李淘世の義理の兄弟なの」
「兄弟? そんな情報は聞いてない」
「私は淘世を育てた李に拾われて、淘世と一緒に育ったの。あのね、彼は胡主席の後継者候補である前に、李淘世個人なのよ」
不信の色を崩さない瞳に、尚も精一杯訴える。
「彼には、野心もなければ、アメリカに刃向かうつもりもないの。あの人は争うことがすごく嫌い。結局何も残らないから、って。だから私にも、あなたとも闘うんじゃなく話し合いなさい、って」
「話し合い? バカか、あの妾腹」
男はそう小ばかにして鼻で笑った。だが、YOUに話し続けることを許している。瞳に宿った困惑の色は、決して不快を抱いている類のものではない。それを支えに、YOUは中国の内情を彼に告げた。
「中国は内輪揉めをしているだけ。アメリカは情報操作に翻弄されているだけなのよ。私はあなたと闘うつもりはないし、あなただって私たちと闘う理由なんて、本当はないのよ」
「どうしてそう言い切れる? 俺が金になればなんでもやるヤツだとすれば、そんな事情なんて関係なくやる、って可能性は考えないのか?」
冷ややかに見下ろす瞳が、YOUの本心を探っていた。意図したわけでもなかったのに、YOUの面に彼へ応えるような微笑が浮かんだ。
「考える必要がないって見て解るもの。組織の犬だなんて言い方そのものが、あなたも組織の犬じゃないと証明しているようなものだから」
彼の力量は、今の一撃で痛感した。瞬殺もたやすい高レベルだ。だが彼は自分を一発で仕留めなかった。自分を推し量る行為は、彼が何か別の目的を持って動いていることを証明している。
「GINの応急処置をさせて。あなたはきっと、彼を殺してはいない」
それは確信に近かった。GINの右大腿にあるもの、それは自分の右足にも埋め込まれている。その存在を思い出したからだ。
「GINの右足に埋め込まれていたマイクロチップ、あれが組織の鎖だったの。外してくれてありがとう。どうしてそれが判ったの?」
捕らえられていたのは自分だったはずなのに、気づけばYOUの方が彼を逃すまいとコートの襟を掴んでいた。なんとも言えない苦々しい表情を浮かべ始めた彼を見上げれば、つい釣られて苦笑してしまう。YOUの目の前には、あどけない少年のような瞳がYOUに戸惑いをさらしていた。
「GINとバトってみて初めて、《送》ってのを知ったから。そいつをラーニングして、GINの思考をソートした」
「そんなことが、出来るの?」
「当てずっぽうの勘が当たっただけだ。こっちのサイもくれちまったみたいだけど」
彼はコートの襟を掴むYOUの手に触れながら、そう言って初めて警戒を解いた。不遜で生意気で、傲慢な微笑。得意げな感情をあからさまにするその態度が、YOUに彼の信用を勝ち得たことを伝えていた。
「ま、そっちの目的も判ったし、あんたがウソを言ってないのも、判った」
彼の言葉にはっとして、YOUは慌てて掴んでいたコートの襟から手を離した。多分、今彼に心を読まれた。どこまで読まれたのかはわからないけれど。
「あんたの言うとおり、俺もアッチの犬ってわけじゃない。あんたらの上ってのが、淘世を死んだことにする段取りをつけてるんだろう? なら、アッチと契約した仕事は完了だ。それよりあんたらの上と交渉したい。あのベビーフェイスに興味がある」
背後で放置されているGINを指差して意味深な物言いをする彼に、一瞬YOUの頬が引き攣れた。
「だから、GINにとどめを刺さなかったのね?」
そう問い掛けるYOUの声から、息苦しさが消えていた。解放された体が疲労の限界に達し、YOUはその場にへたり込んだ。
「あ、言い忘れたけど、コイツの出血はとっくに止まってるぞ」
彼がYOUに背中を向けたままそう言いながら、GINを軽々と担ぎ上げた。
「え、そうなの?」
「ああ。ただ単に現実逃避してクタってるだけ」
「どういうこと?」
彼は再びYOUの許へ戻る歩みを一瞬とめた。同時にものすごく不快げな表情をかたどった。何かマズいことを訊いたと覚り、YOUは一瞬身を縮めた。彼はそんなYOUの前で膝を折って身を屈めた。
「それよか、あんたの方が瀕死じゃん。コントロール出来るなら、水を操るのはやめた方が楽なんじゃねえの?」
YOUを安心させるためだろうか。問いには答えないものの、まるで荷物のようにGINをごろりと放り落とした。
「どぅあ!! 痛でっ!!」
耳に馴染んだその絶叫が、YOUにようやく安堵と心強い感覚を抱かせた。
「ヘイ、ハニー。いつまで寝てんだ。さっさと起きろよ」
更に青年から頭をつま先で蹴られ、GINがようやくまともに目を覚ました。
「てっめ、日本語がしゃべれるなら最初から日本語で話せッ! 何言ってるか全然解らなかっただろうが! っていうか、傷口をえぐるな!」
そうがなるGINからは、青年に対する敵意をまったく感じなかった。ふたりの間で交わされたのであろう、GINによる《送》で互いの事情を理解し合ったことは、そのやり取りから目に見えて明らかだった。
「てめえから日本語をラーニングしたばっかだろうが。ラーニング元以上の言語レベルが俺にはないから、さっさとウンディーヌのお姉さんに説明しろよ。彼女、目を白黒させてるぜ?」
そう語る彼の微笑は、まるで悪戯を成功させて満足げな少年の笑顔そのものだった。
「え? あ? あれ? っていうか、ここどこだ? って、え、YOU? タオちゃんは? つうか、ちょ、待て。足痛い、すげー痛いッ」
GINは自分の負った怪我に気づいた途端、《能力》発動の作用でさほど痛みを感じていないはずなのに、二度目の絶叫を轟かせた。
「んがああああああ! 死ぬ! 俺、絶対失血死する! キース、俺がこのまま死んだら呪ってやる!」
「死ねよ。うるせえな。ベビーなのはツラだけじゃねえのかよ」
そんなやり取りを呆然と見つめていたYOUの中で、緊張の糸がプツリと切れた。安堵の気持ちが腹立たしさに取って代わっていく。
(本当に、ミッションのとき以外はどうしようもない人)
YOUの微笑が引き攣れ、気づけば右手が上がっていた。
「うわ、なんだコレっ、脚に穴開い」
「GIN、ミッションは合流して初めてコンプなんですよ」
言い終わるか否かの速さで、パシン、と鈍い音が管制塔の天辺から轟く。
「あだぁッ!!」
YOUはもう任務が終わった気でいるGINのゆるんだ横っ面に、渾身の張り手をお見舞いして彼を諌めた。




