第2話「手記」
その夜、ヨーナは早くに家へ戻った。
誰かに何かを言われたわけではない。ただ、井戸端で聞いた「詳しすぎやしないか」という一言が、頭の中から離れなかった。
なぜ、あれほど引っかかるのか。自分でも、はっきりとした理由が分からなかった。
ヨーナは、屋根裏の物置に上がった。祖父が遺した木箱が、埃をかぶったまま置かれている。祖父が死んで、もう十年になる。中を開けたのは、数えるほどしかなかった。
箱の底に、古い帳面が一冊、沈んでいた。
表紙には、何も書かれていない。開くと、祖父の几帳面な字で、日々の農作業や、村の集まりの記録が並んでいた。天候のこと。収穫のこと。誰それの家の屋根を直したこと。
その中に、ある年のページだけ、字の勢いが違う箇所があった。
『今日、広場で裁きがあった。』
ヨーナは、その先を読み進めた。
『女が裁かれた。名はエレナ。薬草に詳しい女だった。裁判官は、女に、魔女ではないことを証明しろと言った。』
『女は、こう聞き返した。あなたは、自分が魔女ではないことを、どうやって証明するのですか、と。』
『広場が静まり返った。誰も、答えられなかった。』
ヨーナは、そこで一度、帳面から目を離した。
自分が聞いたことのある、村の古い言い伝えだった。子どもの頃、大人たちが声を潜めて話すのを、何度か耳にした覚えがある。「昔、この村には魔女がいた」という、それだけの話として。
だが目の前の帳面には、それが「魔女がいた」という話ではなく、「一人の女を、村が魔女にした」という、まったく違う出来事として、祖父自身の言葉で生々しく記されていた。
ページをめくる。
『私は、間違っていないと思った。』
『だが、声にはしなかった。』
『隣にいた男に、黙れと言われた。私は、黙った。』
ヨーナの手が、止まった。
――「今の……間違ってはいないよな」「しっ」。
誰かが、そう言い、誰かが、それを制した。あの言い伝えの中に、そんな一場面があったことなど、ヨーナは知らなかった。
最後のページに、日付のない一文が、ひとつだけ書き加えられていた。文字の勢いが、他の記述とは違う。何年も経ってから、改めて書き足されたもののように見えた。
『あの日、黙ったことだけは、今も覚えている。』
ヨーナは、しばらく、その一文を見つめていた。
窓の外では、村のどこかで、まだ井戸端の話し声が続いていた。
「あの女、詳しすぎやしないか」――昼間に聞いた言葉が、帳面の文字と、静かに重なっていく。
ヨーナは、帳面を閉じた。
だが、閉じたところで、頭の中で鳴り始めた音は、止まらなかった。
第2話 完




