番外編 黄色い花
春だった。
街道沿いには、黄色い花が揺れている。
菜の花だった。
今ではネモラ各地で見られる、ごく普通の光景である。
畑の端にも咲いている。
道端にも咲いている。
町を出れば、どこかしらで黄色い花を見ることができる。
種から油が採れる。
若い葉は食べられる。
花もきれいだ。
珍しいものではない。
だから、この花が昔からネモラにあったと思っている者も多い。
実際は違う。
いつ頃から広まったのか。
どこから持ち込まれたのか。
はっきりしたことは分かっていない。
ただ、古い記録はいくつか残っている。
ノルベルクの商人が、新しい方法で油を作り始めたこと。
それまで食用としてほとんど使われていなかった植物から、油を採る方法が広まったこと。
その油が料理に使われるようになり、やがて各地へ運ばれていったこと。
さらに記録を遡る。
最初にその方法を商人へ教えた人物がいたらしい。
名前は残っていない。
出身地も分からない。
商人でもない。
研究者でもない。
農業に詳しい者でもなかったようだ。
ただ、当時のノルベルクに突然現れ、しばらくして町の近くに住み始めた女。
古い記録には、その人物について短い記述が残されている。
『ポテトを売っていた変な女』
それだけだった。
その女が何者だったのか。
なぜ油の採り方を知っていたのか。
どこで覚えたのか。
記録にはない。
後の時代には、別の説も生まれた。
遠い国から来た商人だった。
どこかの貴族の料理人だった。
農業を研究していた学者だった。
中には、油の精霊に教えられたという話まである。
どれも確かな証拠はない。
分かっていることは一つだけ。
その頃から、ノルベルク周辺で黄色い花が増え始めた。
やがて隣の町へ。
さらに、その隣へ。
長い時間をかけて、ネモラ各地へ広がった。
今では誰も、その花を珍しいとは思わない。
街道を馬車が通る。
子供たちが走っていく。
一人が道端の花を摘んだ。
「母さん、これ持って帰っていい?」
「一本だけよ」
「うん」
子供は黄色い花を握って走っていく。
母親も、その子供も知らない。
ずっと昔。
この花が、まだこの国では珍しかった頃。
遠いところから来た一人のおばさんがいたことを。
春の風が吹く。
街道沿いで、菜の花が揺れていた。




