番外編 おかえり
ずっと昔。
この家には、遠いところから来たおばさんが住んでいたという。
家の裏には畑がある。
少し離れたところには洞窟がある。
洞窟とその周りは、勝手に売ってはいけない。
誰かが突然現れたら、まず助ける。
それが昔から、この家に伝わっている約束だった。
理由は知らない。
かなり昔かららしい。
一度、祖父に聞いたことがある。
どうして洞窟を売ってはいけないのか。
祖父も知らなかった。
ただ、昔この辺りの土地を守るために、家の者が貴族の権利まで使ったという話は残っている。
そこまでして守るような場所には見えない。
畑があって、森があって、洞窟がある。
それだけだ。
家には古い記録も残っている。
何代も前まで遡れる家族の系図。
子供の頃、一度だけ見せてもらった。
知らない名前ばかりだった。
その中に、一人だけ変な人がいたのを覚えている。
亡くなった年が書かれていなかった。
代わりに、小さく一言だけ。
『行方不明』
結婚したという記録もない。
子供もいない。
だから自分の直接の先祖ではない。
どうしてそんな人まで家の記録に残っているのか。
聞いた気もするけれど、忘れた。
ずっと昔の話だ。
「イナ!」
呼ぶ。
茶色の犬が走ってくる。
今日も元気だ。
毛並みもいい。
この犬がいつから家にいるのか。
誰に聞いても、よく分からない。
祖父は言っていた。
自分が子供の頃にもいたと。
曾祖母も同じことを言っていたらしい。
でも、ずっとイナという名前の犬を飼っているだけかもしれない。
多分。
イナが洞窟の方を見る。
耳が動いた。
立ち上がる。
「どうした?」
イナは答えない。
当然だ。
犬だから。
そのまま洞窟へ向かって走っていった。
「イナ!」
追いかける。
洞窟までは、それほど遠くない。
子供の頃から何度も来ている。
ただし、奥へ行ってはいけない。
それも昔からの約束だ。
入口へ着く。
イナがいない。
「イナ?」
中を見る。
暗い。
追いかけようかと思った。
でも、やめる。
奥へ行ってはいけない。
理由は知らない。
それでも、昔からそう言われている。
仕方なく入口で待つ。
しばらくして。
奥から足音がした。
イナが戻ってきた。
その後ろに、誰かいる。
「……え?」
男だった。
腰に剣を下げている。
外套も服も古い。
祭りの衣装でも、今ではあんな格好はしない。
イナが少し進む。
振り返る。
男がついてくる。
また進む。
また振り返る。
まるで、道を教えているみたいだった。
男も、それを不思議に思っている様子はない。
ずっと前から、この犬を知っているみたいに。
二人が入口まで来る。
イナが外へ出た。
男も続く。
そして。
足を止めた。
家を見る。
畑を見る。
道を見る。
もう一度、家を見る。
「……え?」
男が周囲を見回す。
それから、イナを見た。
「……ここ、だよな?」
イナが尻尾を振る。
男はもう一度、家を見る。
「……家、変わった?」
背中がぞくりとした。
この人は、ここを知っている。
私は男の顔を見る。
知らない人だ。
でも。
どこかで見た気がした。
ずっと昔。
祖父に見せてもらった家族の記録。
名前の横に、小さな肖像が残っていた人。
結婚の記録がない。
子供もいない。
そして。
亡くなった年もない。
代わりに書かれていたのは、一言だけ。
『行方不明』
名前は。
「……ルーク?」
男が私を見る。
目を丸くした。
「なんで俺の名前知ってるの?」
イナが嬉しそうに尻尾を振っていた。




