第50章 ⑦
白い光が消えた。
暗い。
いや。
目を閉じている。
開ける。
顔があった。
近い。
ものすごく近い。
「うわっ!」
声が出た。
掠れていた。
顔が離れる。
「母ちゃん!?」
息子だった。
「近い!」
「母ちゃん!」
「聞こえてる。近いって」
息子が固まった。
目を見開いている。
何だ。
その顔。
「母ちゃん」
「何」
「分かる?」
「何が」
「俺」
「分かるよ」
自分の息子くらい分かる。
二十年経っていない。
私が知っている顔だ。
少し変な感じがした。
さっきまで見ていたのは、二十年後の子供たちだった。
なのに。
この子は変わっていない。
息子が急に立ち上がった。
「先生!」
大声を出す。
「先生! 母ちゃん起きた!」
うるさい。
足音がした。
人が入ってくる。
白衣。
病院。
そういえば、そうだった。
私は病院にいるらしい。
「聞こえますか?」
「聞こえます」
「お名前を言えますか?」
言う。
「ここがどこか分かりますか?」
「病院」
「今日は何月何日か分かりますか?」
分からない。
二十年分ずれている。
「分かりません」
白衣の人が頷いた。
何かを確認している。
「気分はどうですか?」
「普通」
言ってから、自分の声が変だと気付いた。
喉が乾いている。
でも。
身体は思ったより普通だった。
手を動かす。
指が動く。
足も。
「まだ起きないでください」
止められた。
「二か月近く眠っていたんです」
知っている。
でも、知らないふりをした方がいい気がした。
「二か月?」
「はい」
息子が横で何度も頷いている。
「ほんとに、ずっと起きなくて」
「そう」
「そう、じゃないよ!」
怒られた。
私は息子を見る。
目が赤い。
寝ていないのかもしれない。
「心配した?」
「するだろ!」
「そうだね」
それはそうだ。
二か月。
こっちでも、ちゃんと時間が流れていた。
白衣の人がいくつか質問する。
名前。
年齢。
住んでいるところ。
家族。
答えられる。
身体の感覚も確認された。
手を握る。
足を動かす。
力を入れる。
ちゃんと動く。
白衣の人が、もう一度確認した。
それから少し不思議そうな顔をする。
「痛いところはありませんか?」
「ないです」
「力が入りにくい感じは?」
「ないです」
「めまいは?」
「ないです」
また何かを確認している。
二か月近く寝ていた人間にしては、おかしいのかもしれない。
私は自分の手を見る。
ちゃんと動く。
力も入る。
本当に戻してる。
そこは仕事したらしい。
「これから詳しく検査します。急に立ったりはしないでくださいね」
「はい」
白衣の人が部屋を出ていく。
息子はまだ私を見ている。
「何?」
「いや」
「何よ」
「本当に母ちゃんだなって」
「失礼だな」
息子が笑った。
泣きながら。
私は少し困った。
こういう時、何を言えばいいのか分からない。
だから別のことを聞いた。
「私の荷物は?」
息子の顔が止まった。
「……は?」
「鞄」
「あるけど」
「財布は?」
「ある」
「スマホ」
「ある」
「車の鍵」
「あるよ」
よし。
「ネズミの国の缶」
「何で起きて最初に小銭の心配してんの!?」
「結構入ってるの!」
「知ってるよ!」
知ってるらしい。
ならいい。
「買い物は?」
「は?」
「冷凍肉とか魚とか」
「ストッカーにいれてるよ!」
「食べなかったの!?」
「誰が料理するんだよ!チンするやつしか食べてない!」
それもそうだ。
「アイスは?」
「食った!」
「誰が」
「俺!」
「そう」
まあいい。
溶かすよりいい。
息子が額を押さえた。
「母ちゃん、ほんとに母ちゃんだわ」
だから何だ。
私は天井を見る。
白い。
さっきの白とは違う。
ちゃんと病院の天井だった。
二か月。
向こうでは二十年。
ルーク。
サラ。
カイル。
ミラ。
ニコ。
孫たち。
イナ。
全部、本当にあった。
そう思う。
でも。
ここにいると、急に自信がなくなる。
二か月も意識がなかった。
長い夢を見ていたと言われたら。
そうなのかもしれない。
私は目を閉じた。
「母ちゃん?」
「起きてる」
「寝るなよ」
「寝ないよ」
さっき寝たばかりだ。
二十年くらい。




