第50章 ⑤
責任者が来た。
アルトより少し立派な服を着ている。
男なのか女なのか、よく分からない。
年齢も分からない。
若く見えるような気もするし、かなり年上にも見える。
まあ、どっちでもいい。
「このたびは、当管理局の処理に重大な不備があり――」
「前置きはいいです」
責任者が口を閉じた。
「まず確認したいんだけど」
「はい」
「私、死んだの?」
責任者は少し間を置いた。
「転移先で構成された身体については、その生命活動を終えています」
やっぱり。
あのまま寝たんだ。
孫の隣で。
痛くもなかった。
苦しくもなかった。
眠っただけだった。
「地球の私は?」
「生存しています」
「どういうこと?」
責任者が説明を始めた。
二十年前。
私は地球から、あの世界へ転移した。
ただし、地球にあった身体そのものが移動したわけではなかった。
転移先の環境に合わせて、私の身体を再構成した。
着ていた服も。
持っていた鞄も。
中身も。
買った物も。
その時の状態を元に、向こうで再構成されたらしい。
「じゃあ、地球の身体は?」
「その場に残っています」
「駐車場?」
「はい」
思い出した。
業務スーパー。
カート。
車。
鍵を押した。
反応しなかった。
もう一度押した。
顔を上げたら、森だった。
「……あれから?」
「地球側では、およそ二か月です」
「二か月」
「はい」
「私、二十年いたよ?」
「二つの世界では、時間の進み方が異なります」
一か月で、向こうのおよそ十年。
二か月。
二十年。
随分違う。
「地球の私は、二か月ずっと駐車場にいたわけじゃないよね?」
「発見後、医療機関へ搬送されています」
「意識は?」
「戻っていません」
昏睡状態。
そういうことらしい。
「家族は?」
「ご家族も無事です」
少し安心する。
でも、二か月だ。
迷惑をかけている。
かなり。
「向こうは?」
責任者が私を見る。
「ルーク。サラ。ニコ。カイル。ミラ」
名前を挙げる。
「孫たちも」
「無事です」
「イナは?」
一瞬。
本当に一瞬だけ。
責任者が止まった。
「……無事です」
何だ、今の。
まあいい。
無事ならいい。
「向こうの時間は、この後も続く?」
「はい」
「私が死んだから終わるとかじゃなく?」
「ありません」
それならいい。
あの子たちの人生は、あの子たちのものだ。
私がいなくなったから終わるわけじゃない。
「で」
私は責任者を見る。
「私は地球に戻れるの?」
「はい」
「このまま?」
「地球側に残されている元の身体へ意識を戻すことが可能です」
「向こうには?」
「戻ることはできません」
「どうして?」
「転移先の身体は、すでに生命活動を終えています」
そうか。
そこは仕方ない。
死んだのだから。
「分かった」
私は頷いた。
「じゃあ次」
責任者の姿勢が少し固くなった。
「そもそも、どうして私は転移したの?」
アルトが隣で小さくなる。
責任者が答えた。
「選定処理の誤作動です」
「簡単に」
「本来、転移対象ではない方を転移させました」
「つまり?」
「こちらの誤りです」
うん。
分かりやすい。
「いつ気付いたの?」
責任者が黙った。
嫌な予感がした。
「まさか、今日じゃないよね?」
「……違います」
「いつ?」
また黙る。
「かなり前?」
「はい」
「私が向こうにいる間?」
「はい」
私は笑った。
自分でも分かる。
接客をしていた頃の笑い方だ。
怒っている時ほど丁寧になる。
「気付いてたんだ?」
「はい」
「でも、迎えに来なかった」
「担当部署との引き継ぎに不備があり――」
「迎えに来なかった」
「……はい」
「説明も?」
「しておりません」
「帰るか残るかも聞かなかった」
「はい」
「そのまま二十年?」
「……はい」
なるほど。
「担当者が三百年休んでるから?」
アルトが目を伏せた。
責任者も少し黙った。
「それだけが原因ではありません。管理上の不備が重なった結果です」
「つまり放置?」
「……結果としては」
「放置だよね?」
「はい」
よし。
話が早い。
「じゃあ、どうするの?」
「まず、帰還に際し、地球側の身体については原状復帰を行います」
「原状復帰?」
「転移が発生する直前の状態を基準として、二か月の昏睡によって生じた身体的な影響を解消します」
それは助かる。
二か月寝たきりだったら、普通はすぐ歩けない。
「それから?」
「今回の事象によって発生した医療費についても、こちらで補填いたします」
「それは当然」
「はい。また、ご家族に発生した交通費その他の実費についても――」
「それも当然」
「……はい。休業などによる経済的損失についても確認の上、補填いたします」
「うん」
責任者が少し安心したような顔をした。
「では――」
「で、賠償は?」
止まった。
アルトまで止まった。
「……はい?」
「今までのは、全部元に戻す話でしょう?」
「……はい」
「私も家族も、そちらが間違えなかった時より損をしない状態まで戻す」
「はい」
「それでゼロ」
責任者が黙る。
「ゼロになったところから、二十年分の話をしようか」
「……承知しました」
責任者が何かを確認した。
そして、金額を示した。
私は見る。
もう一度見る。
「これ?」
「規定上の算定では――」
「二十年で?」
「……はい」
「私、二十年帰れなかったんだけど」
「はい」
「帰れないどころか、帰るという選択肢があることすら知らなかった」
「はい」
「途中でそっちは間違いに気付いてた」
「……はい」
「それでも放置した」
「はい」
私はもう一度、金額を見る。
「やり直し」
「ですが、基準では――」
「地球の二か月で計算してない?」
責任者が黙った。
当たりらしい。
「私は二十年だよ」
「時間差については――」
「私が二十年生きたことは変わらないよね?」
「……はい」
「じゃあ、二十年で計算して」
「確認いたします」
「それと」
「はい」
「途中で気付いてたのに放置した分も入れてね」
責任者がアルトを見る。
アルトは目を逸らした。
しばらくして。
新しい金額が示された。
私は見る。
さっきよりはいい。
「これなら?」
「当管理局として認められる範囲で再算定しております」
「税金は?」
「帰還先で不利益が生じないよう処理します」
「出所を聞かれたりしない?」
「問題が生じない方法を用意します」
「家族に影響は?」
「ありません」
「誰かが損する?」
「ありません」
「後から返せって言わない?」
「ありません」
「書いて」
「……はい」
「今の全部」
「記載します」
「口約束は嫌だから」
「承知しております」
「二十年間、記録を放置したところの口約束を信じろって方が無理でしょ?」
「……おっしゃる通りです」
よし。
責任者が書類を確認する。
「では、金銭による賠償については、こちらの内容で手続きを進めます」
「はい」
「また、今回のような事案については、規定により能力付与による補償も可能です」
能力。
私は責任者を見る。
「能力って?」
「帰還先でも使用可能な、こちらでいう魔法に近いものです」
「魔法?」
「はい」
それは聞いていない。
「どんなの?」
「いくつか選択できます。ただし、帰還先の環境では使用できないものや、制限が必要なものもあります」
「それも賠償?」
「はい。規定では、状況に応じ、金銭及び能力付与による補償を行うことができる、と定められています」
ん?
「今、何て言った?」
責任者が止まる。
「……状況に応じ、金銭及び能力付与による補償を行うことができる、と」
「及び」
「……はい」
「じゃあ両方」
アルトが下を向いた。
笑ってない?
「何か?」
「いえ」
責任者が、ほんの少し黙った。
「……承知しました。ご希望の能力はありますか?」
ある。
攻撃魔法はいらない。
火もいらない。
雷なんてもってのほかだ。
家で間違って出したら洒落にならない。
「リペアってある?」
「修復系ですね。あります」
「壊れた家電も直せる?」
「対象の正常な構造を理解し、修復後の状態を正確に構築できれば可能です」
「構造を理解?」
「はい」
「冷蔵庫の?」
「はい」
「エアコンも?」
「はい」
「洗濯機も?」
「はい」
無理。
「じゃあクリーン」
「清浄化ですか?」
「埃取れる?」
「可能です」
「油汚れ」
「可能です」
「換気扇」
「可能です」
「風呂の水垢」
「可能です」
「トイレ」
「可能です」
「窓」
「可能です」
「服」
「可能です」
「布団」
「可能です」
「ダニの死骸とか」
「除去できます」
「決めた」
早かった。
「クリーンで」
「よろしいのですか?」
「十分」
世界を救う予定はない。
魔王も倒さない。
掃除が楽になる方がいい。
「ただし、確認があります」
「何?」
「帰還先には、こちらの世界のような魔力環境がありません」
やっぱり。
そこは気になっていた。
「じゃあ使えないの?」
「能力付与と同時に、専用の魔力生成及び蓄積機能を付与します」
「何を使って魔力作るの?」
「通常の身体活動と休息によって、徐々に回復します」
「寿命削らない?」
「削りません」
「生命力は?」
「消費しません」
「老化が早くなったり」
「ありません」
「病気になりやすくなるとか」
「ありません」
「体力をものすごく使うとか」
「通常の使用であればありません」
「通常じゃない使い方したら?」
「蓄積された魔力が不足し、発動しなくなります」
「それだけ?」
「はい」
「命を削れば最後の一発が出せる、とかない?」
「ありません」
よし。
そこ大事。
「空になったら?」
「休息などによって再び蓄積されます」
「寝れば戻る?」
「はい」
「どれくらい使えるの?」
責任者が説明する。
小さな範囲なら何度も使える。
一部屋なら問題ない。
家一軒を一度に、となるとかなり消費する。
使い切れば、回復するまで使えない。
なるほど。
一部屋ずつやればいい。
「クリーンって、どこまで出来る?」
「基本的には、対象に付着、混入した不要物の除去です」
「想像力?」
「大きく影響します」
「じゃあ、ここからここまでって決めて、埃と油だけ消すとか?」
「可能です」
「構造は知らなくていい?」
「清浄化の対象を認識できれば問題ありません」
やっぱりクリーンだ。
「人間に使ったら?」
「生命そのものを消去することはできません」
「汗は?」
「可能です」
「泥」
「可能です」
「臭い」
「可能です」
「病気」
「治療にはなりません」
「脂肪」
「対象外です」
残念。
「歯の虫歯」
「治療に該当します」
「歯垢」
「除去可能です」
おお。
便利。
「カビは?」
「建物や物品に付着したものについては可能です」
「じゃあ、結局、私が何を汚れとして指定するか?」
「正確には、能力の範囲内にある不要物を、使用者が認識して指定する形です」
「何でも想像すれば消えるわけじゃない?」
「はい。選択された能力の範囲を越えることはできません」
なるほど。
魔法だから何でもあり、ではないらしい。
「あと、制限があります」
まだあるのか。
「帰還先で第三者に視認されている状態では発動しません」
「見られてたら使えない?」
「はい」
「家で一人なら?」
「問題ありません」
「家族が別の部屋にいたら?」
「問題ありません」
「防犯カメラは?」
「記録される状態では発動しません」
「スマホで撮ってても?」
「発動しません」
「窓の外から誰か見てたら?」
「発動しません」
「私が気付いてなくても?」
「はい」
面白い。
「じゃあ、誰もいない時に掃除する分には?」
「問題ありません」
「十分」
別に人前で魔法を披露したいわけではない。
換気扇の掃除を見物されたいわけでもない。
「故障したら?」
責任者が止まった。
「……故障?」
「その魔力を作るやつ。そっちが付けるんでしょ?」
「はい」
「二十年放置したところが付けるんだから、保証あるよね?」
アルトが完全に下を向いた。
肩が少し動いている。
やっぱり笑ってる。
「管理局の責任において維持されます」
「書いて」
「……記載します」
「クリーンが地球で使えることも」
「はい」
「寿命、生命力、健康に影響しないことも」
「はい」
「金銭の賠償とは別ってことも」
「はい」
「原状復帰とも別」
「はい」
「家族の損失補填とも別」
「……はい」
よし。
責任者が書類を整える。
私は最初から読む。
金額。
原状復帰。
医療費。
家族に生じた損失。
賠償。
クリーン。
魔力。
条件。
保証。
全部ある。
「これでいい」
責任者が、ほんの少しだけ息を吐いた。
「では、帰還手続きへ移ります」
「その前に」
また責任者が固まった。
「荷物はどうなるの?」
まだ確認することはある。
私の財布。
スマホ。
車の鍵。
それから。
ネズミの国の缶。
結構、小銭が入っている。




