第29章① 芽
第29章① 芽
朝。
私は外へ出る。
空気が少し柔らかい。
冬の朝とは違う。
白くない。
痛くない。
冷たいけれど。
少しだけ。
優しい。
春だ。
私は畑を見る。
昨日まで土だった場所。
黒い土。
籾殻が混ざった土。
腐葉土を混ぜた土。
そこに。
小さい緑があった。
私は止まる。
しゃがむ。
かなり近付く。
小さい芽だった。
「出た」
声が出た。
思ったより小さい声だった。
でも、すぐ後ろで足音がした。
ルークだった。
「何?」
私は指差す。
「芽」
ルークがしゃがむ。
じっと見る。
「これ?」
「うん」
「芽」
ルークはしばらく見ていた。
かなり真剣だった。
「食べられる?」
私は少し考える。
「まだ」
「今は食べない」
ルークは頷いた。
「育てる?」
「うん」
「育てる」
その言葉が。
少し嬉しかった。
育てる。
食べるために育てる。
今は食べない。
待つ。
私は思う。
米も待った。
畑も待つ。
春は待つことが多い。
家の中からサラの声がした。
「みー?」
私は振り向く。
「芽」
サラが走ってくる。
後ろからニコも来る。
カイルも来る。
ミラも布を持ったまま出てきた。
イナも来た。
待て。
イナ。
私は手を出す。
「止まる」
イナが止まる。
畑の手前で止まった。
えらい。
かなり。
信用はしていない。
サラがしゃがむ。
「め?」
「うん」
「芽」
ニコもしゃがむ。
近い。
かなり近い。
私は二人の肩をそっと押さえる。
「触らない」
「小さい」
サラは目を丸くした。
「ちいさい」
ニコも言う。
「ちさい」
二人はじっと見る。
芽もじっとしている。
当然だった。
ミラが少し笑う。
「出ましたね」
私は頷く。
「出た」
カイルは畑の周りを見る。
「踏まれそうだ」
私は頷く。
「うん」
「踏まれたら終わる」
サラが慌てて後ろへ下がる。
ニコも下がる。
下がりすぎて尻餅をついた。
「いた」
ミラがすぐ抱き起こす。
「大丈夫?」
ニコは頷く。
多分。
大丈夫。
ルークは土の端を見る。
「石」
私は首を傾げる。
「石?」
ルークは畑の周りに、小さな石を置き始めた。
一つ。
二つ。
三つ。
「ここまで」
私は見る。
畑の境目。
なるほど。
良い。
かなり良い。
「いい」
ルークが少しだけ顔を上げる。
「分かる?」
「分かる」
「踏まない」
ルークは頷いた。
カイルも近くの石を拾う。
「もう少し大きいのも置く?」
私は頷く。
「お願い」
カイルはすぐ動く。
石を拾う。
重そうなものも運ぶ。
ミラも小さい石を集める。
サラとニコもやりたがる。
私は止めない。
「小さい石」
「畑の中は駄目」
サラは真剣に頷く。
「そと」
ニコも頷く。
「そと」
分かっているのか。
分かっていないのか。
多分、半分。
イナが石を咥えた。
私は見る。
イナがこちらを見る。
石を咥えたまま。
尻尾を振る。
「違う」
イナは止まる。
「置く」
イナは石を地面に落とした。
ごと。
畑の外。
合っている。
合っているけれど。
何か違う。
でも、えらい。
私はイナの頭を撫でる。
「えらい」
イナの尻尾が大きく揺れた。
サラが笑う。
ニコも笑う。
朝の畑の周りに。
少しずつ石が並ぶ。
立派な柵ではない。
ただの境目。
でも。
ここは畑。
ここから先は踏まない。
そう分かるだけで十分だった。
多分。
私は芽を見る。
小さい緑。
まだ何か分からない。
ほうれん草か。
菜の花か。
どっちだろう。
私は首を傾げる。
「どっち?」
ルークが聞く。
「分からない?」
私は頷く。
「まだ」
「大きくなったら分かる」
ルークは少し考える。
「待つ?」
「うん」
「待つ」
また待つ。
本当に。
春は待つことが多い。
でも。
嫌ではなかった。
待てば育つ。
多分。
育たないこともある。
枯れるかもしれない。
虫に食べられるかもしれない。
イナが掘るかもしれない。
サラとニコが踏むかもしれない。
私が水をやりすぎるかもしれない。
不安はある。
かなりある。
でも。
芽は出た。
それだけで。
今日は勝ちだった。
私は立ち上がる。
腰が少し鳴った。
聞かなかったことにした。
「水」
ミラがすぐ頷く。
「持ってきます」
私は首を振る。
「少しだけ」
「やりすぎない」
ミラは足を止める。
「少しだけですね」
「うん」
「多分」
カイルが笑った。
「また多分」
私は頷く。
「畑は多分」
ルークも少し笑う。
サラとニコはよく分からず笑う。
イナも尻尾を振る。
春の朝。
小さな畑に。
小さな芽が出た。
家の前には。
子供達がいて。
犬がいて。
石の境目ができて。
私は水桶を取りに行く。
今日もやることがある。
かなりある。
でも。
少しだけ。
胸の中が軽かった。
芽が出たから。




