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閑話 商人の帳面

閑話 商人の帳面


翌日。


商人は帳面を開いていた。


繁忙期の様に忙しかった。


米を買った人間が来る。


米の炊き方を聞きに来る。


石臼を借りに来る。


昨日買った米を持って来る。


「これで合ってるか?」


「水はどのくらいだ」


「白くするってどのくらいだ」


「焦げたらどうする」


「柔らかくなりすぎたらどうする」


店の人達は走り回っていた。


石臼の前。


水桶の前。


鍋の前。


米袋の前。


商人はそれを見る。


そして帳面へ書く。


米。


石臼。


平たい石。


水桶。


鍋。


炊き方説明。


書くことが増えた。


商人は額を押さえる。


売れる。


それは良い。


大歓迎だ。


だが。


売る物には。


売った後の面倒がある。


商人は思う。


あいつはそれを見ていた。


だから帰った。


商人は少し笑う。


「食えん女だ」


近くの店の人が聞く。


「何か言いましたか?」


商人は首を振る。


「仕事しろ」


店の人は走って行った。


商人は帳面を見る。


米。


昨日まで鳥の餌だったもの。


安く仕入れたもの。


誰も買わなかったもの。


それが。


今日は。


人が並んでいる。


商人は笑う。


良い。


とても良い。


その時。


店の前が少し騒がしくなった。


「親父、来たぞ」


誰かの声。


酒場の親父だった。


腕を組み、少し不機嫌そうな顔で入ってくる。


後ろには、昨夜の客らしい男達が何人かいる。


商人は眉を上げた。


「何だ」


酒場の親父は言う。


「米をくれ」


商人は頷く。


「いくらだ」


「昨日の倍」


商人は少し止まった。


「何に使う」


親父は少し黙った。


客達が笑う。


「親父、言えよ」


「炒め飯だろ」


「失敗飯だ」


「うるせぇ」


商人は目を細めた。


「炒め飯?」


親父は渋い顔で答える。


「米を鉄板で炒めた」


「肉と味噌と野菜を入れる」


「客が食った」


「売れた」


商人は黙った。


帳面を見る。


米の横へ、線を引く。


炒め飯。


書いた。


「詳しく」


親父が嫌そうな顔をした。


「何でだ」


商人は答える。


「売れるからだ」


親父は黙った。


客が笑う。


「親父、負けたな」


「うるせぇ」


商人は続ける。


「肉は?」


「いる」


「味噌は?」


「いる」


「串は?」


「いらん」


「鉄板は?」


「いる」


「カレーの粉は?」


酒場の空気が少し変わった。


親父は顔を逸らす。


「……少し」


商人は笑った。


「少しでいいのか」


親父は商人を見る。


「高いんだろう」


商人はにやりと笑う。


「これからな」


親父は舌打ちした。


「だから今日来た」


強い。


酒場の親父も強い。


商人は帳面へ書く。


カレー粉。


酒場。


炒め飯。


追加。


これは売れる。


かなり売れる。


米だけではない。


肉が売れる。


味噌が売れる。


カレーの粉が売れる。


鉄板も売れる。


木の匙も売れる。


器も売れる。


酒も売れる。


酒は自分の店ではない。


少し惜しい。


商人は少し考える。


その横で、酒場の親父が言う。


「あと、木の平たい匙」


商人が見る。


「何に使う」


「混ぜる」


「鉄板の上で」


商人は帳面へ書く。


平たい匙。


炒め飯用。


また増えた。


商人は笑う。


笑うしかなかった。


その時、別の客が入ってきた。


女だった。


手には小さな鍋。


「昨日の米だけどね」


商人は顔を上げる。


「何だ」


「水が多すぎて柔らかくなったんだよ」


「失敗かと思ったんだけど」


「味噌を入れたら美味しかった」


商人は止まった。


「味噌を」


「うん」


「干し肉と野菜も入れた」


「子供がよく食べたよ」


商人は帳面を見る。


お粥。


その横へ書く。


味噌。


干し肉。


野菜。


子供。


年寄り。


女は続ける。


「だから米をもう少し」


「あと味噌も」


商人は店の人を呼ぶ。


「米と味噌だ」


「はい!」


店の人が走る。


商人は帳面へまた線を引く。


米。


家庭用。


柔らかく煮る。


味噌。


干し肉。


野菜。


朝飯。


昼飯。


病人。


子供。


年寄り。


書けば書くほど増える。


売れる先が増える。


使い方が増える。


面倒も増える。


商人は少し天井を見た。


「あいつ……」


本当に、面倒なものを持ち込んだ。


だが。


良いものだった。


商人は分かっている。


米は安い。


腹に溜まる。


味を変えられる。


少しの肉で満足感が出る。


味噌にも合う。


カレーにも合う。


焼ける。


煮られる。


炒められる。


持ち歩ける。


柔らかくできる。


これだけ使えれば。


広がる。


間違いなく。


広がる。


問題は。


広がり方が早いことだった。


店の人が戻ってくる。


「米の精米待ちが増えています」


「石臼が足りません」


商人は頷く。


「増やす」


「平たい石も」


「はい」


「籾殻は捨てるな」


「畑に売る」


店の人が止まる。


「籾殻も売るんですか」


商人は見る。


「捨てるのか?」


店の人は首を振る。


「売ります」


よし。


分かってきた。


商人は帳面へ書く。


籾殻。


畑用。


安く。


いや。


最初は安く。


後で考える。


商人は筆を止める。


後で考える。


あの女の口癖が移った気がした。


嫌だった。


また別の店の人が走ってくる。


「酒場から追加です」


「米と肉と味噌とカレーの粉」


「今聞いた」


「それとは別で」


「別?」


「客が家でも作ると言っています」


商人は黙った。


そして帳面へ書く。


炒め飯。


家庭用。


酒場発。


商人は笑った。


本当に。


広がるのが早い。


早すぎる。


昨日、商会の前で火を焚いた。


米を炊いた。


握った。


焼いた。


肉を巻いた。


カレーを振った。


それだけだ。


それだけで。


翌日には、町の鍋と鉄板に米が入っている。


商人は帳面を指で叩く。


これは商品だ。


間違いなく商品だ。


だが。


商品にするなら。


商会が責任を持つ。


炊き方、精米。


失敗した時。


保存、値段仕入れ、道具。


全部。


あいつに頼むわけにはいかない。


商人は昨日のことを思い出す。


「私は米を売る人じゃない」


そう言った顔。


いつものぼんやりした顔ではなかった。


仕事の顔だった。


そして。


家に帰る人の顔だった。


商人は小さく息を吐く。


あいつには家がある。


子供達がいる。


犬もいる。


畑もある。


あれは商会の人間ではない。


便利な発想の箱でもない。


商人は帳面の端へ、小さく書いた。


みーに頼りすぎるな。


少し眺める。


それから、もう一行足す。


頼む時は、仕事として頼む。


商人は筆を置いた。


「よし」


店の人が聞く。


「何がですか」


商人は帳面を閉じる。


「商会の仕事をする」


店の人は少し嫌な顔をした。


仕事が増えると分かったのだ。


正しい。


かなり増える。


商人は言う。


「石臼を二つ追加」


「米の下処理を店で受ける」


「白くした米は別値で売る」


「籾殻も畑用にまとめる」


「味噌は小分けを増やす」


「カレーの粉は量を決めて売る」


「酒場にはまとめ売り」


「鉄板職人にも話を通せ」


店の人が青ざめる。


「多いです」


商人は頷く。


「売れるからな」


「はい」


店の人は走る。


商人はもう一度帳面を開く。


最後のページに書く。


米。


売れる。


味噌。


売れる。


肉。


売れる。


カレー粉。


危険。


商人は少し考える。


危険。


高く売れる。


だが出しすぎると、町中があの匂いになる。


それはそれで悪くない。


いや。


悪いかもしれない。


商人は苦笑した。


そして、帳面を閉じた。


外では、石臼の音がしている。


ごり。


ごり。


誰かが米を洗っている。


水の音。


鍋の蓋が鳴る音。


遠くから、酒場の親父の声も聞こえた。


「米はまだか!」


商人は笑った。


昨日まで鳥の餌だったものが。


今日から飯になる。


町の飯になる。


その始まりに立ち会えた。


悪くない。


ただし。


忙しい。


かなり忙しい。


商人は店の奥へ声を張った。


「動け!」


「米は待ってくれんぞ!」


少しして。


店の人が小さく言った。


「米は、待つ料理では?」


商人は止まった。


少し黙る。


そして言った。


「売る方は待たん」


店の人達は走った。


商人は帳面を抱える。


商会の仕事は。


ここからだった。

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