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閑話 酒場の米

閑話 酒場の米


その日の夜。


酒場は少し賑やかだった。


いつも賑やかだが。


今日は少し違う。


話題が一つだった。


「米だ」


「肉を巻いたやつだろ」


「あれは良かった」


「酒に合う」


「絶対合う」


酒場の親父は黙って聞いていた。


聞いていた。


かなり聞いていた。


そして。


少し腹が立った。


「うるせぇ」


客達が笑う。


「親父、作れねぇのか」


「あの商会の前で焼いてたやつだ」


「肉巻きなんとか」


「おにぎりだ」


「そう、それだ」


親父は腕を組む。


「見てねぇもんを作れるか」


客の一人が笑う。


「米を握って」


「肉を巻いて」


「焼くだけだ」


「簡単だろ」


親父は男を見る。


「なら、お前が作れ」


男は黙った。


酒場は笑った。


だが。


親父は米を見ていた。


商会から買ってきた米だ。


少しだけ。


試しに。


安かった。


今のところは。


親父はため息を吐く。


「炊けばいいんだな」


「そうだ」


「炊いて、握って、肉を巻く」


「簡単だ」


簡単。


その言葉ほど信用ならないものはない。


親父は鍋を見る。


米を見る。


水を見る。


しばらく考える。


そして米を洗った。


水が濁る。


何度か替える。


昨日、店先で聞いた通り。


多分。


水を入れる。


少し上。


どのくらい上かは分からない。


多分、このくらい。


火に掛ける。


酒場の客達が見ている。


見すぎだった。


「見るな」


「見るだろ」


「新しい飯だぞ」


「焦がすなよ」


「うるせぇ」


親父は蓋を見る。


湯気が出る。


少し鳴る。


弱火。


多分。


待つ。


待つ。


まだ待つ。


「まだか」


「まだだ」


「昨日の女もそう言ってた」


「黙れ」


火を落とす。


蒸らす。


まだ開けない。


客がそわそわする。


親父もそわそわする。


やがて蓋を開ける。


湯気。


米。


炊けていた。


少し硬い。


でも食えそうだった。


客達が覗く。


「おお」


「米だ」


「鳥の餌じゃねぇ」


「飯だな」


親父は木の匙で混ぜる。


少し粘る。


手に水を付ける。


熱い米を取る。


握る。


「熱っ」


客達が笑う。


「頑張れ、親父」


「うるせぇ」


親父は米を握る。


丸く。


いや、細く。


いや。


どうだった。


昨日見ていない。


話だけだ。


とりあえず細長くする。


少し崩れる。


押す。


さらに崩れる。


「……」


客達が黙る。


親父が睨む。


客達は目を逸らした。


肉を広げる。


薄い肉。


商会で買った。


高い。


少し高い。


親父はそこに米を置く。


巻く。


巻く。


肉が足りない。


もう一枚。


巻く。


米が横から出る。


押す。


崩れる。


「……」


客が小さく言う。


「昨日のは、もう少し綺麗だった」


親父は包丁を持った。


客は黙った。


串を刺す。


米が割れる。


もう一本。


肉がずれる。


鉄板に置く。


じゅう。


音はいい。


匂いもいい。


客達が身を乗り出す。


親父は少し得意になる。


しかし。


転がそうとした瞬間。


崩れた。


米がばらける。


肉が剥がれる。


串だけ残る。


鉄板の上で。


米。


肉。


米。


肉。


ばらばらだった。


酒場が静かになる。


そして。


笑った。


かなり笑った。


「親父!」


「それは違う!」


「肉巻きじゃなくて肉散りだ!」


「うるせぇ!」


親父は赤い顔で鉄板を見る。


ばらばら。


だが。


匂いは悪くない。


肉の脂が米に染みている。


味噌の汁もある。


昨日買ったカレーの粉もある。


少しだけ。


親父はしばらく黙る。


それから言った。


「もういい」


客が聞く。


「諦めるのか?」


親父は鉄板へ米を足した。


崩れた肉もそのまま。


味噌の汁を少し。


塩を少し。


刻んだ干し肉も少し。


残っていた野菜も少し。


全部入れる。


客が止まる。


「親父?」


親父は木の匙を持つ。


「面倒だ」


そして。


混ぜた。


じゅう。


音が変わる。


米が鉄板の上で転がる。


肉の脂を吸う。


味噌が焦げる。


野菜が混ざる。


香りが広がる。


酒場が静かになった。


さっきまで笑っていた客達が。


鉄板を見る。


匂いを嗅ぐ。


「……なんか」


「いい匂いだな」


「うるせぇ」


親父は混ぜる。


さらに混ぜる。


米が少しぱらつく。


ところどころ焦げる。


肉が小さく混ざる。


野菜も混ざる。


失敗のはずだった。


肉巻きおにぎりではない。


絶対に違う。


でも。


悪くなかった。


かなり悪くなかった。


親父は皿に少し取る。


自分で食べる。


熱い。


噛む。


米。


肉。


味噌。


焦げ。


塩。


野菜。


「……」


客達が見ている。


親父はもう一口食べる。


そして言った。


「食える」


客が一斉に手を伸ばした。


「よこせ」


「俺も」


「酒に合うか試す」


「それは失敗だぞ」


親父が言う。


客は頷く。


「分かってる」


「失敗でいい」


「食わせろ」


親父は皿に盛る。


少しずつ。


客達が食べる。


黙る。


噛む。


酒を飲む。


また食べる。


一人が頷いた。


「合う」


別の男も頷く。


「合うな」


「肉巻きより食いやすいかもしれん」


「箸が欲しい」


「はし?」


「木の棒でいい」


親父は鉄板を見る。


失敗した米。


崩れた肉。


混ぜた飯。


客は食べている。


かなり食べている。


「親父」


「これ、名前は?」


親父は黙った。


名前。


肉巻きおにぎりではない。


おにぎりでもない。


米を炒めた。


肉を混ぜた。


味噌で焼いた。


「……炒め飯」


客が首を傾げる。


「いためめし?」


「鉄板で炒めた飯だ」


「そのままだな」


「うるせぇ」


客は笑う。


だが皿は空になっていく。


親父はもう一度作る。


今度は最初から。


炊いた米。


刻んだ肉。


野菜。


味噌の汁。


塩。


鉄板へ。


混ぜる。


じゅう。


じゅう。


今度は崩れない。


最初から崩れているからだ。


強い。


失敗しようがない。


多分。


客達が笑う。


「親父、こっちの方が向いてるな」


「うるせぇ」


「肉巻きは諦めたのか?」


親父は鼻を鳴らす。


「肉巻きは明日だ」


「今日はこれだ」


「失敗じゃなかったのか?」


「売れたら失敗じゃねぇ」


酒場が笑った。


強い。


酒場の親父も強かった。


しばらくして。


親父は小さな器を見る。


カレーの粉。


少しだけある。


本当に少し。


商会で高くなる前に買っておいた。


親父は考える。


かなり考える。


そして。


ほんの少しだけ取る。


鉄板の端へ振る。


じゅう。


匂いが変わった。


酒場が止まる。


「おい」


「それ」


「昨日の匂いだ」


親父は黙って混ぜる。


カレーの匂いが広がる。


米。


肉。


味噌。


焦げ。


カレー。


客達の目が変わる。


「親父」


「それくれ」


「まだ出来てねぇ」


「出来たらくれ」


「酒、もう一杯」


親父はにやりと笑った。


売れる顔だった。


かなり売れる顔だった。


商人が見たら喜ぶ顔だった。


多分。


その夜。


酒場では、新しい飯が出た。


肉巻きおにぎりの失敗から生まれた飯。


米を鉄板で炒めた飯。


名前はまだ決まっていない。


炒め飯。


焼き飯。


失敗飯。


客達は好き勝手に呼んだ。


でも。


皿は空になった。


何度も。


何度も。


親父は鉄板の前で米を混ぜる。


じゅう。


じゅう。


音が鳴る。


酒の匂い。


肉の匂い。


焦げた味噌の匂い。


そこへ。


少しだけカレー。


酒場の夜に。


新しい匂いが増えた。


親父は空になった米袋を見る。


少し黙る。


そして言った。


「明日、商会に行く」


客が笑う。


「米か」


親父は頷く。


「米だ」


少し間を置いて。


「あと、カレーの粉もだ」


客達が歓声を上げる。


その頃。


商人はまだ知らなかった。


米を売った翌日。


酒場で。


また一つ。


売れる物が増えていた。

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