第1章 おばさん、異世界へ行く ②
犬はアイスを舐め終わると、くるりと向きを変えた。
そして歩き出す。
数歩進み。
振り返る。
また歩く。
また振り返る。
私はしばらくその様子を見つめた。
「……着いて来いって事?」
犬は答えない。
当然だった。
でも。
他に当ても無い。
私はカートを握る。
「待って待って」
犬はもう歩き出している。
私は慌てて追いかけた。
ガラガラ。
ガッ。
止まった。
前輪が木の根に引っかかっていた。
私はカートを持ち上げる。
重い。
「ぬぉぉぉぉ……」
何とか越える。
犬は少し先で待っていた。
また進む。
ガラガラ。
ガッ。
「またぁ!?」
森だった。
全然優しくない。
私は再びカートを持ち上げる。
重い。
めんつゆも重い。
料理酒も重い。
味噌も重い。
全部重い。
私はカートを見つめた。
異世界かもしれない。
なら。
魔法とかあるのではないだろうか。
私はそっと手を伸ばす。
「レビテーション」
何も起きない。
「フロート」
無反応。
「リフト」
変化無し。
私は少し考える。
「テレキネシス」
カートは地面に居座り続けた。
私は腕を組む。
「言い方か?」
異世界である。
言い方が違う可能性は十分ある。
私は真剣だった。
「軽量化」
無。
「ライトウェイト」
無。
「フェザー」
無。
「エアリィ」
無。
犬は待っていた。
私は頑張った。
最後は物理だった。
「ぬぉぉぉぉ!!」
持ち上げる。
重いものは重かった。
犬はまた歩き出す。
私は追いかける。
そんな事を何度か繰り返し。
やがて岩場が見えてきた。
犬は岩の隙間へ入り込む。
私は立ち止まった。
少し迷う。
でも。
ここで一人になる方が不安だった。
私は意を決して後を追う。
岩場を抜ける。
その先に洞窟があった。
犬は迷わず中へ入る。
私は入口から中を覗き込み――
固まった。
子供が居た。
男の子だった。
だが。
私より先に。
男の子の方が固まった。
見たこともない大人だった。
さらに。
大量の荷物。
発泡スチロール箱。
段ボール。
そして。
見たこともない車輪付きの何か。
警戒するなという方が難しい。
男の子は私を見る。
荷物を見る。
もう一度私を見る。
そして最後に。
カートを見た。
沈黙。
私はゆっくり両手を上げた。
「怪しい者じゃないです」
言ってから思う。
怪しい。
とても怪しい。
男の子は黙ったままだった。
私は少し困る。
何を話せば良いのだろう。
その時だった。
男の子がおそるおそる口を開いた。
「……魔物?」
私は固まった。
「え?」
男の子はカートを指差す。
私はカートを見る。
男の子を見る。
カートを見る。
「これ?」
男の子は頷いた。
私は数秒考え――
思わず吹き出した。
「違う違う違う!」
慌てて首を振る。
「魔物じゃない!」
私はカートへ駆け寄る。
取っ手を掴む。
「これ荷物運ぶやつ!」
説明になっている気はしなかった。
男の子は少し困った顔をしている。
当然だった。
私だって異世界で初めてカートを見たら困る。
私は少し考え込み――
ぽつりと聞いた。
「……魔物っているの?」
男の子は不思議そうな顔をした。
まるで。
何を当たり前の事を聞いているのかと言いたげだった。
そして。
小さく頷く。
「いる」
私は固まった。
「いるの?」
男の子はもう一度頷く。
「いる」
即答だった。
私は静かに天井を見上げる。
知らない森。
魔物。
私は小さく呟いた。
「異世界だ……」
男の子は意味が分からない顔をしていた。




