第28章 ⑥
第28章⑥ 売れる
カレーの匂いは強かった。
強すぎた。
肉。
焦げ。
ご飯。
そこへカレー。
反則だった。
多分。
鉄板の前から、人が少し引いた。
違う。
逃げたのではない。
匂いに驚いた顔だった。
そして。
また近付いた。
商人が笑う。
「何だそれは」
私は答える。
「カレー味」
「肉巻きおにぎり」
商人は鉄板を見る。
「それは分かる」
「だが匂いが違う」
私は頷く。
「強い」
「分かりやすい」
商人は私を見る。
「分かりやすい、か」
私は頷く。
「うん」
「知らない食べ物は怖い」
「でも」
「肉とカレーは分かりやすい」
商人は少し黙った。
それから笑った。
「お前、今日は本当に仕事をしているな」
私は頷く。
「仕事だから」
焼けた肉巻きおにぎりを皿へ取る。
カレーの粉を少し振っただけなのに。
色が違う。
匂いも違う。
強い。
私は小さく切る。
中はご飯。
外は肉。
その上にカレー。
これは。
多分。
勝つ。
主人公は思った。
勝ちを確信した時ほど。
大体、何かを失っている。
私は聞かなかったことにした。
「一つ」
さっきの男が言った。
早い。
とても早い。
商人が笑う。
「さっき食っただろう」
男は皿を見ている。
「これは別だ」
別らしい。
気持ちは分かる。
私は小さく切ったものを渡す。
男は受け取る。
口へ入れる。
噛む。
止まる。
周りが見る。
男はもう一度噛む。
そして。
眉間にしわを寄せた。
不味い顔ではない。
考えている顔だ。
しばらくして言う。
「……何だこれ」
私は答える。
「カレー」
男はもう一口欲しそうに皿を見る。
商人が言う。
「一人一つだ」
男は黙った。
多分。
納得していない。
でも下がった。
次に女が食べる。
「辛い」
少し目を丸くする。
でも飲み込む。
「でも、後から欲しくなるね」
別の男も食べる。
「酒に合う」
また酒。
この町の人はすぐ酒に合わせる。
分かる。
多分。
商人の目がさらに光った。
「酒場にも売れるな」
まずい。
売り先が増えた。
私はカレーの粉を見る。
しまった。
本当に出してしまった。
サラがカートの上から手を伸ばす。
「みー」
「からい?」
私は頷く。
「少し」
サラは考える。
「ちょっと」
「食べる」
ミラが困った顔をした。
私は小さく小さく切る。
ほんの少し。
冷ます。
「少しだけ」
サラは口を開ける。
食べる。
止まる。
目が丸くなる。
「からい」
私は頷く。
「辛いね」
サラは少し考える。
そして言う。
「でも」
「おいしい」
ニコも食べたがる。
私はさらに小さくする。
ニコが食べる。
止まる。
顔がくしゃっとなる。
「から」
私は水筒を渡す。
ニコは水を飲む。
そして。
もう一度皿を見る。
強い。
カレーは強い。
イナも見ている。
とても見ている。
私は首を振る。
「イナは駄目」
イナは動かない。
「辛い」
イナは動かない。
「後で」
イナの尻尾が少し動いた。
分かっているのか。
分かっていないのか。
多分、後で、だけ分かった。
店の人が、次々に米の袋を運んでくる。
商人が声を張る。
「米だ」
「炊けばご飯になる」
「握ればおにぎりになる」
「焼けば香ばしい」
「肉を巻けば、こうなる」
町の人が袋を見る。
さっきまでの顔と違う。
鳥の餌を見る顔ではない。
食べ物を見る顔だった。
一人が聞く。
「いくらだ」
商人がすぐ答える。
値段を言う。
小麦より安い。
町の人達が顔を見合わせる。
「そんなに安いのか」
「腹に溜まるなら悪くないな」
「子供にも食わせられるか」
私は頷く。
「柔らかく炊けば」
「食べられます」
「塩だけでも」
「味噌でも」
「肉でも」
「汁に入れてもいい」
商人が私を見る。
「汁にも入れるのか」
私は頷く。
「雑炊」
「お粥」
商人が固まった。
あ。
また何か言った。
商人の顔が変わる。
「それも後で聞く」
私は目を逸らした。
今日は肉巻き。
今日はおにぎり。
余計なことは言わない。
多分。
町の人が米を買い始める。
少しずつ。
本当に少しずつ。
一袋。
半袋。
試しに少し。
そんな感じだ。
でも。
売れている。
商人は笑っている。
とても笑っている。
私は少し不安になる。
「商人さん」
「あ?」
「米」
「高くなる?」
商人は私を見る。
そして。
にやりと笑った。
嫌な笑い方だった。
「売れればな」
私は黙った。
やっぱり。
やらかした。
主人公は思った。
美味しい物を広める時は。
自分の分を確保してからにするべきだった。
私は強く聞かなかったことにした。
その時だった。
「何だい、いい匂いだねぇ」
聞き覚えのある声。
おばちゃんだった。
人の間から顔を出す。
そして鉄板を見る。
米の袋を見る。
私を見る。
「また何か始めたのかい」
私は頷く。
「仕事」
おばちゃんは笑った。
「そりゃ珍しい」
失礼だ。
多分。
商人がすぐ皿を差し出す。
「食ってみてくれ」
おばちゃんは受け取る。
肉巻きおにぎり。
味噌味。
少し冷めたもの。
おばちゃんは匂いを嗅ぐ。
そして食べた。
もぐ。
もぐ。
しばらく黙る。
町の人達が見る。
おばちゃんは頷いた。
「うまいね」
その一言で。
空気が少し変わった。
商人が勝った顔をした。
おばちゃんはもう一口食べる。
「腹に溜まりそうだ」
「畑仕事にいい」
近くの人が頷く。
「畑仕事か」
「昼に持って行けるな」
「焼けばいいのか」
私は頷く。
「焼くと崩れにくいです」
「肉無しでも」
「味噌だけでも」
おばちゃんは米の袋を見る。
「安いなら買ってみるかね」
商人がすぐ動く。
早い。
本当に早い。
袋を一つ用意する。
おばちゃんは笑う。
「まだ買うとは言ってないよ」
商人は笑う。
「言ったも同然だ」
強い。
商人も強い。
おばちゃんが笑って。
結局買った。
その後は早かった。
一人が買う。
もう一人が買う。
少しずつ。
少しずつ。
米が減っていく。
私は鉄板の前で肉巻きおにぎりを焼く。
ミラが肉を渡す。
カイルが串を渡す。
ルークも一つ巻く。
形はまだ少し歪んでいる。
でも焼けば美味しい。
サラとニコはカートの上で応援している。
「ごはん!」
「にく!」
応援なのか。
注文なのか。
分からない。
イナはずっと座っていた。
偉い。
かなり偉い。
私は焼き終えた端を小さく切る。
肉の付いていないところ。
少しだけ。
冷まして。
イナに渡す。
「待ったから」
イナは食べた。
一瞬だった。
そして。
もっと、という顔をした。
「終わり」
イナは納得していない。
でも座った。
本当に偉い。
夕方が近付く頃。
米の袋は、思ったより減っていた。
商人は満足そうだった。
町の人も、何人かは袋を抱えて帰っていく。
私は鉄板を見る。
米を見る。
味噌を見る。
カレーの粉を見る。
減っている。
売れた。
成功した。
多分。
でも。
私は少し遠い目になる。
安かった米が。
明日も安いとは限らない。
商人が隣に立つ。
「助かった」
私は頷く。
「仕事だから」
商人は笑う。
「また頼む」
私はすぐ言う。
「値上げしないで」
商人は笑った。
答えなかった。
答えなかった。
つまり。
そういうことだ。
私は空を見る。
夕方だった。
今日は。
鳥の餌が米になった。
米がご飯になった。
ご飯がおにぎりになった。
そして。
おにぎりは売れた。
私は思う。
良かった。
多分。
でも。
少しだけ。
失敗した気もする。




