第28章 ④
第28章④ 焼く
鉄板の上で。
おにぎりが焼ける。
じゅう。
じゅう。
小さな音だ。
でも。
耳に残る。
私はおにぎりを見ている。
表面が少し乾く。
少し固くなる。
ここで触ると崩れる。
だから待つ。
待つ。
また待つ。
商人が聞く。
「まだか」
私は頷く。
「まだ」
「焼けるまで」
商人は黙った。
多分。
もう聞かない方がいいと覚えた。
私はおにぎりを返す。
少しだけ焼き色が付いていた。
いい。
悪くない。
サラがカートの上で揺れる。
「みー」
「いいにおい」
私は頷く。
「まだ」
ニコも見る。
「ごはん?」
「焼きご飯」
ニコは首を傾げる。
「やき、ごはん」
サラが真似する。
「やきごはん!」
うん。
違わない。
多分。
私は味噌の器を見る。
上に溜まった濃い汁。
少しだけ。
とろりとしている。
醤油ではない。
でも近い。
多分。
私は小さな布を棒に巻いた物を持つ。
刷毛はない。
無いなら作る。
私は汁を少し付ける。
おにぎりに薄く塗る。
じゅっ。
音が変わった。
匂いも変わる。
ふわっと。
香ばしい匂いが広がった。
町の人達が静かになる。
それから。
少し近付いた。
おお。
効いている。
私はもう片面にも塗る。
返す。
また焼く。
焦げすぎない。
でも焼く。
薄く。
何度か。
商人が横で呟く。
「これは……」
私は頷く。
「焼きおにぎり」
「味噌の汁」
「少し塗る」
「香りが出る」
商人は鉄板を見る。
真剣だった。
商売人の顔だ。
「味噌も売れるな」
私は止まる。
少しだけ止まる。
「……高くなる?」
商人はちらりと私を見る。
「売れればな」
困る。
かなり困る。
でも今日は仕事だ。
私は焼きおにぎりを見る。
まずは仕事。
後で考える。
主人公は思った。
後で考える事は。
大体、手遅れである。
私は聞かなかったことにした。
焼けたおにぎりを皿に乗せる。
焦げ目。
香り。
少し茶色い表面。
美味しそうだ。
私は一つ割る。
熱い。
中から湯気が出る。
外は香ばしい。
中はご飯。
私は小さく分ける。
まずルークへ。
ルークは受け取る。
食べる。
目が少し大きくなった。
「お焦げ」
私は頷く。
「お焦げ」
サラにも小さく渡す。
ミラが冷ましてから口へ運ぶ。
サラは食べた。
すぐ笑った。
「おいしい!」
ニコも食べる。
「おいし」
イナが前に出る。
私は止める。
「イナ」
「熱い」
イナは不満そうだ。
でも座った。
よし。
えらい。
多分。
町の人達が見ている。
子供達の顔を見ている。
匂いを嗅いでいる。
さっきより近い。
私は皿へ焼きおにぎりを並べる。
商人が声を張る。
「次は焼いたものだ」
「味噌を使っている」
「香りが違うぞ」
男達が顔を見合わせる。
一人が手を出す。
別の女も手を出す。
さっきの男も、また一つ取った。
みんな少し齧る。
噛む。
黙る。
今度は。
黙り方が違った。
さっきは考えていた。
今は味わっている。
私は見る。
商人も見る。
男が言う。
「これは……」
もう一口。
「さっきよりいい」
女も頷く。
「香ばしいね」
別の男が言う。
「酒に合いそうだ」
商人の目が光った。
あ。
売る顔だ。
「だろう」
商人が言う。
「仕事の途中にも食える」
「手で持てる」
「腹持ちもいい」
私は頷く。
「冷めても食べられます」
「焼くと崩れにくい」
「持ち歩けます」
商人が私を見る。
少し笑う。
「助かる」
私は頷く。
「仕事だから」
商人はまた笑った。
焼きおにぎりは減っていく。
町の人が少しずつ食べる。
最初より反応は良い。
かなり良い。
でも。
私は見る。
顔。
手。
足。
買う顔ではない。
美味しい。
珍しい。
でも。
家で作るか。
袋で買うか。
そこまではまだ。
弱い。
私は少し考える。
焼きおにぎりは強い。
でも、この町の人には。
もう少し分かりやすいものがいる。
肉。
私は商人を見る。
「商人さん」
商人が振り向く。
「何だ」
私は言う。
「肉」
「薄く切った肉」
「それと」
少し考える。
「スパイス」
「カレーの粉」
商人が眉を上げる。
「全部使うのか」
私は首を振る。
「分からない」
「でも、すぐ使えるように」
「少しずつ」
商人は私を見る。
鉄板を見る。
町の人を見る。
それから頷いた。
「分かった」
「薄い肉だ」
「出来るだけ薄く切れ」
「串もだ」
「スパイスとカレーも少し出せ」
「使いやすい器に分けろ」
「急げ」
店の人が走る。
町の人がざわつく。
「肉?」
「米に肉を巻く?」
「そんな食い方があるのか」
私は鉄板を見る。
残った焼きおにぎりを見る。
味噌の汁を見る。
そして。
次のご飯を手に取る。
少し固めに握る。
崩れないように。
丸く。
でも少し平たく。
肉を巻くなら。
この形がいい。
多分。
ルークが近くへ来る。
「次も、お焦げ?」
私は頷く。
「多分」
「肉のお焦げ」
ルークの目がさらに明るくなった。
サラも聞く。
「にく?」
ニコも言う。
「にく」
イナが立った。
私はすぐ見る。
「まだ」
イナは座り直した。
でも尻尾は止まらない。
町の人達も待っている。
商人も待っている。
子供達も待っている。
私も待っている。
肉はまだ来ない。
でも。
場の空気は変わっていた。
さっきまで遠巻きだった人達が。
今は鉄板を見ている。
私は思う。
おにぎりは強い。
でも。
肉は、もっと強い。




