第21章 ➉
第21章 ➉ 熊
イナが唸った。
私は止まる。
イナが唸るのは珍しい。
芋を見ても唸らない。
雪を見ても唸らない。
泥を見ても唸らない。
つまり。
これは芋ではない。
私は戸の隙間から外を見る。
白い。
真っ白の中に、黒いものがいた。
大きい。
かなり大きい。
薪ではない。
木でもない。
動いた。
私は息を止める。
熊……!
おばちゃんの顔が変わった。
「閉めな」
低い声だった。
私はすぐに戸を閉める。
サラが私の服を掴む。
ニコはミラに抱きついた。
ルークとカイルも固まっている。
イナだけが戸の前で低く唸っていた。
私はイナを見る。
イナ。
芋ルパン。
泥製造係。
押しくらまんじゅうの中心。
でも今は。
犬だった。
外は静かだった。
静か過ぎた。
私は耳を澄ます。
何も聞こえない。
それが一番怖い。
おばちゃんが小さく言う。
「誰も喋るな」
みんな頷く。
サラは私の服を掴んだまま。
ニコは震えていた。
ルークがニコの肩を抱く。
カイルは戸を見ている。
イナは動かない。
耳だけが立っていた。
しばらくして。
ザッ。
外で音がした。
重い。
かなり重い。
雪を踏む音だった。
一歩。
また一歩。
家の横を通る。
止まる。
私は息を止めた。
誰も動かない。
イナの唸りが少しだけ低くなる。
戸一枚。
向こうに熊がいる。
私は少し考える。
薄い戸だった。
その時だった。
ドン。
戸が揺れた。
サラが小さく息を呑む。
ニコが声を出しそうになる。
おばちゃんが口元へ指を立てた。
もう一度。
ドン。
家が静かに軋んだ。
私は戸を見る。
薄い。
やっぱり薄い。
でも今開ける方が悪い。
私はサラの頭を押さえる。
サラは黙っている。
偉い。
ニコもミラにしがみついたまま、声を出さない。
ルークはニコの肩を抱いている。
カイルはルークの横で、じっと戸を見ている。
おばちゃんは動かない。
イナも動かない。
唸るだけだった。
低く。
小さく。
でもずっと。
熊がまた動いた。
ザッ。
ザッ。
音が離れる。
少しずつ。
家の横を回る。
お風呂の方へ行ったのかもしれない。
私は息を止めたまま聞く。
雪を踏む音。
重い音。
遠くなる。
さらに遠くなる。
やがて。
聞こえなくなった。
誰も動かなかった。
まだ駄目。
おばちゃんが手を上げたまま、じっとしている。
かなり長かった。
多分、少しだった。
でも長かった。
やがて、おばちゃんが小さく息を吐いた。
「行ったね」
その声で、みんなが一斉に息をした。
サラが私に抱きつく。
ニコは泣きそうだった。
ミラがニコを抱きしめる。
ルークも息を吐く。
カイルはまだ戸を見ている。
私はイナを見る。
イナはまだ戸の前にいた。
耳が立っている。
尻尾は振っていない。
珍しい。
私は小さく言う。
「イナ」
イナがこちらを見る。
私は手を伸ばす。
イナは少し迷ってから近付いた。
泥だった。
でも。
偉かった。
私はイナの頭を撫でる。
手が泥になった。
仕方ない。
今日は許す。
おばちゃんが言った。
「今日は外に出ない方がいい」
私は頷く。
「うん」
外は雪。
熊もいる。
子供は無理。
大人も無理。
今日はもう出ない。
決定だった。
しばらくして、家の中に少しずつ声が戻った。
サラが鼻をすすった。
ニコも落ち着いてきた。
ミラが何度も頭を下げる。
「すみません」
私は首を振る。
「いい」
熊のせいだ。
雪のせいでもある。
イナのせいではない。
今回は。
外はまだ白い。
熊もいた。
雪も深い。
だから帰れない。
今日はもう一日。
みんなでいる。
家は狭い。
でも火はある。
シチューも少し残っている。
子供もいる。
おばちゃんもいる。
イナもいる。
泥だらけだけど。
番犬だった。




